オカンの嫁入り
お母さん、この人と結婚することにしたから。
2010年 カラー ビスタサイズ 110min 角川映画
製作 椎名保 監督、脚本 呉美保 撮影 谷川創平 美術 吉田孝 音楽 田中拓人 編集 高橋信之
原作 咲乃月音 照明 金子康博 録音 弦巻裕 音響効果 帆苅幸雄
出演 宮崎あおい、大竹しのぶ、桐谷健太、國村準、絵沢萠子、林泰文、斎藤洋介、春やすこ、友近
(C)2010「おにいちゃんのハナビ」製作委員会
母ひとり娘ひとりで仲良く暮らしていた親子が母親の結婚宣言から仲違いをしてしまうという物語で、第三回日本ラブストーリー大賞にてニフティ/ココログ賞を受賞した咲乃月音の小説“さくら色 オカンの嫁入り”を原作に、サンダンス・NHK国際映像作家賞2005日本部門を受賞した『酒井家のしあわせ』で監督デビューをして本作が長編2作目となる呉美保監督が映画化。突然の母の結婚を素直に喜べない娘と、自由奔放でありながらも娘を愛情深く見つめる母の姿を描く。出演は『少年メリケンサック』の宮崎あおいと『信さん・炭坑町のセレナーデ』の大竹しのぶという日本映画界のトップを走る二人の名女優が初共演を果たしている。共演者には『BECK』の桐谷健太、『アウトレイジ』の國村隼など。呉監督は何稿も脚本を重ね、現場でも宮崎、大竹と納得がいくまでディスカッションを繰り返した。全編、関西弁のセリフに挑戦した主演の二人は1カットごとに徹底的にセリフをチェックし、完璧な関西弁を披露している。また、本作の主要な舞台となる主人公の家は太秦東映京都撮影所の第二スタジオに原寸大のセットが組まれ、何と人気時代劇“銭形平次”のセットを利用している。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
母ひとり子ひとりで仲良く暮らしてきた月子(宮崎あおい)と陽子(大竹しのぶ)。ある日の深夜、陽子が酔っ払って若い金髪の男・研二(桐谷健太)を連れて帰ってきた時から全てが変わってしまった。何の説明もないまま翌朝、ケロッとした顔で陽子が「おかあさん、この人と結婚することにしたから」と告げる。あまりに突然のことにとまどう月子は、とっさに家を飛び出し、隣の大家・サク(絵沢萌子)のもとへ向かった。月子が生まれる前に、陽子は夫・薫と死に別れており、ずっと「薫さんが、最初で最後の人」と言っていたにも関わらず、すっと年下でしかも無職の研二と結婚する陽子に月子は納得がいかなかった。しかし、研二は「月ちゃんがいない家に同居はできない」と庭の縁側の下で寝泊りする。そんな中、陽子に対しても、研二に対しても頑なに心を閉ざし続ける月子に、陽子の勤め先、村上医院の村上先生(國村隼)は、これまで誰にも話すことのなかった陽子との秘密を告白、月子を驚愕させる。それを聞いて陽子の結婚を了承することにした月子だったがある朝、陽子と研二が二人で衣裳合わせに出かける間際、陽子が倒れてしまう。緊急搬送された病院の医師から受け止めがたい現実を月子は突き付けられる。陽子は余命一年の癌に侵されているというのだ。そして月子は、陽子を白無垢の衣裳合わせに連れて行くことを決意。由緒ある神社の静かな衣裳部屋で、白無垢に身を包んだ陽子が三つ指をついて月子の前に座り、これまで決して話すことのなかった本音を陽子は語り始めるのだった。
真夜中、けたたましく玄関を叩き「月ちゃーん、起きれー」と大声で叫ぶオカンの声(オカン以外に考えられない)から始まる本作。酔っ払った関西のオカンの鬱陶しさが全開する冒頭だが、全編を通して大竹しのぶ扮するオカンの自己チューぶりが一貫して描き抜かれる。不思議なことに中盤から、その鬱陶しさが愛らしさに変わってくるのだ。昔懐かしい関西の人情劇にオマージュを捧げたような作り方に、何となく作り手の真意が見え隠れする。咲乃月音の原作を呉美保監督が女性らしい目線で自分勝手な母親とそれに翻弄される娘のゆるぎない関係(これを絆と呼んでいいと思う)を丁寧に捉えている。宮崎あおい演じる娘の月子(しかめっ面の演技が実に愛らしい)は、若い男と結婚するというオカンにとうとうブチぎれて家を出て行く。そこで敢えて引き戻したりせず、フッと優しい笑みを浮かべる大竹の演技が実にイイ。彼女の凄いところは「動と静」の切り替えがさりげなく、絶妙なタイミングでチラッと見せる天性の演技力にある。大竹演じるオカンは、ムチャクチャな行動を繰り返しながら、癌で1年の余命しかない事実を内に秘めて生きている。その天命を全て包括した上で、人生を謳歌しようとする吹っ切れた生き様は、大竹しのぶを置いて他の女優では表現出来なかったのでは…と思う。呉監督は大竹の旨みをいい感じで引き出しており、隣に住む家の大家を演じた絵沢萠子や彼女が勤務する病院の医者に扮した國村隼との掛け合いが実に心地良く耳に入ってくる。また、最大の見どころは、がっぷり四つに組んだ大竹と宮崎が火花を散らす競演だが、中でも街から外へ出られなくなった(同僚にストーカーされた事がトラウマとなる)月子が、死を目前にしながらも人生を謳歌しようとする母に触発されて電車に乗るシーンは感動的だ。
この映画では食卓が重要なパートとなっている。あの名作ドラマ“寺内貫太郎一家”でもそうだったが事件は食卓で起きているのだ。そこでキーバーソンとなるのがオカンの亭主となる元板前の研二に扮する桐谷健太の存在だ。二回り近くも年下の研二はバラバラになった母娘を近づけようと懸命に料理の腕を振るう。食卓という場所は家の中でも唯一、家族が全員顔を揃える団欒の場であり聖域と言っても良いだろう。そこに、家族以外の研二が突然侵入してきていきなり朝食を作っている姿を見て月子が怒ったのは至極当然の事だと思う。逆を言えば、研二が作った料理を月子が食べるシーンは両者の和解を意味するのではなかろうか。最近の日本映画では珍しく、太秦スタジオに大掛かりな家のセットを組んだ事から呉監督の食卓シーンに対する思いがうかがえる。昔の家庭では重要な事は食卓で決まったものだ。食卓がメインとなるだけに元料理人という設定の桐谷健太は1ヶ月間、辻料理師専門学校で料理の指導を受けただけに劇中、美味しそうな料理が食卓に並び思わずお腹が鳴りそうに…。こうした料理の数々(お弁当も含めて)が親子の絆を表現する手段として効果的に使われており、やはり人間の営みにおいて、いかに“食”が大切かを教えられた。
「どうか最後の日までどうか一緒にいてください」母が嫁ぐ日、娘に三つ指をついて言うセリフだ。