ケンタとジュンとカヨちゃんの国
戻る場所は、ない。
2010年 カラー ビスタサイズ 131min リトルモア配給
プロデューサー 土井智生、吉村知己、中野朝子 監督、脚本 大森立嗣 撮影 大塚亮
美術 杉本亮 音楽 大友良英 編集 普嶋信一 録音 加藤大和 衣裳 伊賀大介
企画 菊地美世志、田中正、孫家邦 主題歌 阿部芙蓉美
出演 松田翔太、高良健吾、安藤サクラ、宮崎将、柄本佑、洞口依子、多部未華子、美保純
山本政志、新井浩文、小林薫、柄本明
(C)2010「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」製作委員会
未来を担う3人の若い俳優が鮮烈に体現する「私たちの物語」。怒りと悲しみを鋭い瞳と体にたぎらせるケンタを演じるのは、故・松田優作の次男にして次世代を担う俳優として熱い注目を集める松田翔太。ケンタと共に旅に出るジュンを演じるのは、『BANDAGE』、『ソラニン』等、話題作に次々と出演を果たす実力派・高良健吾。そして『愛のむきだし』、『罪とか罰とか』等で強烈な印象を残し今もっとも注目を集める新人・安藤サクラがカヨちゃん役で出演。さらに、柄本明、小林薫、美保純、洞口依子、山本政志等のベテラン俳優が一堂に集結、映画としての強度を確かなものにしている。監督は、『ゲルマニウムの夜』で圧倒的賞賛を集めた大森立嗣監督。この時代を生きる同世代の若者たちの切実な“生”と“死”の物語をオリジナル脚本で描き、映画史に残る本格派青春映画として誕生させ、再び世界へ大きな問いを投げかける。また、撮影を前作『ゲルマニウムの夜』でも大森監督の世界観を写し撮った大塚亮が担当。さらにエンディングテーマは、70年代フォークの神様と呼ばれた岡林信康による名曲「私たちの望むものは」を、阿部芙蓉美がカバー。誰もが胸をつかまれるそのラストを飾っている。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は同じ施設で兄弟のように育った幼なじみ。工事現場でひたすら壁を壊す“はつり”と呼ばれる仕事が二人の仕事だ。低賃金、劣悪な労働環境。そして職場の先輩・裕也(新井浩文)による理不尽で執拗ないじめ…。ある日二人はナンパに出かけ、ブスな女の子・カヨちゃん(安藤サクラ)に出会う。それ以来ジュンはカヨちゃんの部屋に転がり込んでいた。裕也の腹には消えずに残る何本もの傷痕がある。その傷は、ケンタの兄・カズ(宮崎将)によるものだった。ケンタがまだ13才だった頃にカズが起こした幼女誘拐未遂事件。カズは、事件のことを馬鹿にした裕也の腹をカッターナイフで何度も切りつけたのだ。その賠償金と称されて、ケンタは毎月裕也に金を払い続けている。ある深夜、ケンタとジュンは仕事場へ向かった。付いてくるカヨちゃん。二人は裕也の愛車を大ハンマーで破壊すると三人は、カズのいる網走に行くことを決める。途中、闘犬を飼う謎の男(小林薫)、同じ施設で育った片目の洋輔(柄本佑)…様々な出会いの中で少しずつズレてゆくケンタとジュン。網走刑務所で面会したカズとケンタ。しかし、兄の口からは何も答えは見つからず、ケンタは失意の中、刑務所を後にする。夜、野原でキャンプファイヤーの若者たちとケンタは、些細な事から喧嘩沙汰となる。それを止めようとしたジュンを毒づいたケンタをジュンは、裕也から手に入れた拳銃で撃ってしまう。ジュンは血まみれのケンタを抱え水平線の向こうを目指して二人はゆっくりと水の中に入ってゆく。
最近の日本の青春映画は1970年代を席巻したアメリカンニューシネマに似ている。日活の青春映画と確実に異なるのは、現代に生きる若者は社会や大人に対して三行半を下しているところだろうか?だからと言って社会に反抗しているわけでは無く、単に自分の行き場所(生き場所と言った方が正しいか)を探し回っているのだ。本作の主人公たちも、どこかにある楽園(そんなものは存在しないのに…)を求めて旅をして、どこかに答えを見いだそうとする。自分たちが唯一、心の寄りどころにしていたモノが崩壊した時、全ての怒りは行き場の無いエネルギーとして、身近なモノに向けられる。本作の場合は松田翔太(だんだんお父さんに似てきたなぁ)演じるケンタの寄りどころは、刑務所に入っている兄であった。「今の世界をぶっ壊せば何かが見つかる」と言っていた兄の言葉を信じて、(ぶっ壊して)刑務所に入った兄に答えを求めたところで、ぶっ壊されていたのは兄自身だった…という現実を目の当たりにした時、ケンタの崩壊が始まる。そんな二人を見て『スケアクロウ』を思い出した。それはケンタとジュンが先が見えないまま旅立ち、その結果として破滅へ向かう姿が『スケアクロウ』のジーン・ハックマンとアル・パチーノ演じる主人公とダブったのかも知れない。常に受け身だった高良健吾扮するジュンがケンタを撃ってしまう行動の裏には同性愛的な“ケンタに裏切られた”という感情がジュンの中にあったようにも見えるのだが…。
それから、もう一人の主人公、安藤サクラ演じるカヨちゃんが口の中に溜まった血をペッと吐き出す顔のアップで終わる実に印象的なラスト。その前に車から叩き出されるカットがあるのだが、多分一人残った彼女は行きずりのドライバーにカラダを提供しながら旅を続けていたのだろう。実は本作におけるキーパーソンはカヨちゃんであり、ケンタとジュンの行動を圏外から見ている(それは彼女の本意ではなく無理やり外に追いやられている設定)彼女が男二人を菩薩のように包括して見守っているのだ。ブスでバカでワキガと罵られながらも真っ直ぐ正面を向いて生きている彼女をラストショットに持ってくるおかげで、かすかな救いを感じる事が出来た。このラストショットでの彼女の表情が菩薩から阿修羅の如く変化していき、その力強さが何ともカッコいいのだ。
大森立嗣監督の手掛けた脚本には二人のルーツである孤児院に関して深く掘り下げていない。それよりも主人公たちが世界の果てを求めて網走に向かうまでに重きを置いている。ロードドムービーの定番であるが、本作でも主人公の逃避行中、幾つかの出逢いがある。中でもトラックと一緒に盗んできた銅線を売りつけるために入った小林薫演じるスクラップ工場のオヤジのシークエンスが実に味わい深い。そこで飼っている土佐犬は、かつて飼い主を喰い殺した犬で処分されるところをコッソリ引き取ったのだ。そこでオヤジさんが語る「犬は殺そうなんて考えちゃいない。何も選んじゃいないんだよ。」というセリフがズッシリと響く。関東から北上(茨城県より北へ行った事が無いとジュンは度々口にする)する彼らの背景には人の生活臭が常に漂っている。撮影監督・大塚亮のカメラは時に生っぽく、時には人工的な冷たさを浮かび上がらせたり…光と影を絶妙なバランスでシークエンスに応じて使い分けている。全体的に青みがかった映像が主人公たちの空虚な心境を表しているようにも感じたのだが。そして、注目したいのは、主人公たちにとって世界の最果てが網走である事。彼らの住む世界がいかに狭く、ちっぽけなのか?ジュンが傷ついたケンタを抱えて見えない対岸(つまりは外国)に向かって「あっちの世界に行こう」というセリフが果たして外国の事か、あの世の事か…。
「ぶっ壊して抜け出すんだよ」頻繁に出てくる壊すという象徴的な言葉。主人公たちの職業も建物を壊す“はつり”であったが、鬱屈したエネルギーは全てを壊そうというのか?