嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
僕らは不幸だけどいつも幸せ。キュートでポップで残酷な青春ラブストーリー
2010年 カラー ビスタサイズ 110min 角川映画配給
製作 椎名保、高野潔 監督、脚本 瀬田なつき 脚本 田中幸子 撮影 月永雄太
美術 黒川通利 録音 岩丸恒 編集 山田佑介 原作 入間人間 音楽 木下美紗都 主題歌 柴咲コウ
出演 大政絢、染谷将太、三浦誠己、山田キヌヲ、鈴木卓爾、田畑智子、鈴木京香、原舞歌
石川樹、宇治清高
2011年1月22日(土)より 全国ロードショー
(C)2011「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」製作委員会
電撃文庫(アスキー・メディアワークス)より発刊されている入間人間原作によるライトノベルの実写映画化。シリーズ累計130万部を突破し、台湾や韓国などアジア各国でも絶大な人気を誇り、熱狂的ファンから“みーまー”の略称で愛されている。想像を絶するトラウマを持った“みーくん”と“まーちゃん”役に次世代俳優として大きな注目を浴びるドラマ『ヤマトナデシコ七変化』のヒロインに抜擢された大政絢、“みーくん”には『パンドラの匣』で長編映画初主演を果たした染谷将太が扮し、清純と狂気が入り混じる演技を披露する。また、演技派・鈴木京香と田畑智子が脇を固めて主演の二人をしっかりとサポート。主人公の精神に破綻を来たすキッカケとなる誘拐犯を劇場版『ゲゲゲの女房』の監督を務めた鈴木卓爾が熱演している。独特の文体で綴られる原作の映像化に挑戦したのは『彼方からの手紙』『あとのまつり』などインディーズ時代から注目を集めていた瀬田なつき監督。本作がメジャーデビュー作となっている。また、彼女は『トウキョウソナタ』の脚本家・田中幸子と協同で脚本を手掛け、残酷な物語にも関わらず、純粋で爽やかなラブストーリーに仕上げている。切なくファンタジックなエンディングを飾る主題歌は、歌手としても活躍する女優・柴崎コウが自ら詞も書き上げている。劇中、瀬田監督が「現在と過去を繋ぐ曲として」提案し、象徴的に使われている荒井由美の名曲“ルージュの伝言”もカバーしている。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
高校2年生の御園マユ(大政絢)は、学校では誰とも接点を持とうとせずに、いつも学校では机に伏せていた。マユの住む街では、小学生姉弟の失踪事件と女性ばかりが狙われる通り魔猟奇殺人事件が連日報道されていた。ある日、下校途中のマユの前に現れた一人の少年。彼女が住むマンションに強引に入り込んできた少年こそが、幼なじみのみーくん(染谷将太)であった。それまで学校の誰にも心を開かなかったマユだったが、みーくんには喜びを爆発させて抱きついた。10年ぶりに再会を喜ぶ二人は、かつてこの街で起こった少年少女監禁事件で生き残った被害者だったのだ。そこで、みーくんは行方不明になっていた姉弟を発見、マユが誘拐犯となって監禁していたのだ。マユの犯罪を隠すために同居を始めるみーくん。一方で、通り魔殺人事件は警察をあざ笑うかのように続いていた。その頃、みーくんとマユの担当医であった精神科医・坂下(鈴木京香)の元に、容疑者としてマユに目を付けていた刑事(田畑智子)が接触していた。次第に明らかになっていく10年前の監禁事件と現在の猟奇殺人事件…そこには意外な真犯人の存在があった。
これを単純に青春映画と呼んでいいものだろうか?本作で描かれている幼児誘拐、異常犯罪、連続殺人…そのどれもが現代社会に巣くうヘドロのような現実だ。ライトノベルの登竜門“電撃小説大賞”なるものの存在を本作で初めて知って、ライトノベルという小説形態がここまで来たのかとカルチャーショックを受けた。入間人間が描く若き二人の主人公まーちゃんとみーくんは子供の頃に体験した監禁殺人事件がトラウマとなって奇行を繰り返す。異常者によって死を間近に体験した子供たちを描いた作品と言えば、青山真治監督の『ユリイカ』を思い出すが、まだ『ユリイカ』には救いがあった。同じ体験をした大人が強引に現実の世界から二人の兄妹を引きずり出したからだ。それに対して本作の主人公たちには共通の体験をして救いの手を差し伸べる大人はいない。まーちゃんの暮らすマンションの一室は一見、明るく感じるが、全てが無機質で生命が感じられない。カラフルなプラスチックの食器やら玩具が散らばるリビングは無機質なイメージの空間だ。瀬田なつき監督は、どうやって高校生のまーちゃんが一人で生活しているのか?とか、何故近くに大人がいないのか?といった説明は全て排除している。そういう意味では本作は実に舞台的である。瀬田監督は本作に着手する前に二人の男女のロードムービーを撮りたかった…と語っていたが、どこか違う場所へ旅をする2次元的な移動ではなく、現在と過去を行き来するある意味、4次元的ロードムービーになっていたのが面白い。
シニカルなブラックユーモアを交えるみーくんのセリフに笑って良いものか…戸惑い常に死の影を画面の端々に感じさせるものだから観ている側に混乱が生じる。瀬田監督は、現在と過去を交互に見せる事で、過去と現在の壊れる瞬間と壊れてしまったまーちゃんをシンクロさせている。自分の親を殺さざるを得ない状況に陥った彼女の時間がそこでストップしてしまい、まるで止まった時計にネジを巻きに現れたのが犯人の息子であるみーくんというのが皮肉な話しだ。本作のテーマはタイトルからも分かる通り“壊れる”という事だ。今まで普通に生活していた人間が何かの弾みや出来事でアイデンティティが壊れた時、どうなってしまうのかは本人ですら予測が出来ない。ここで重要なのは、心の何かが壊れたまーちゃんに対して、嘘を重ねていく事で彼女を守っているみーくんの存在だ。驚くのはまーちゃんに扮した大政絢とみーくんに扮した染谷将太の表現力である。最後まで両刃のような二人の危険な言動は決してハッピーエンドではないし(そもそも現代社会においてハッピーエンドはあり得るのか?)何も解決しないまま物語は終焉を迎える。時折見せるファンタジックな映像が、子供の頃のまま凍結させたまーちゃんを表現しているようである種の戦慄を覚えてしまった。犯人役を見事なまでに飄々と演じた鈴木卓爾が怖い。行方不明の我が子を探す両親を普通の顔で金槌で殴り拉致してしまうシーンは悪夢を見ているようだ。
「壊れなければ危なくないのにね」粉々になった食器を前にまーちゃんが言うセリフ。人間も同じだ。