八日目の蝉
優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。
2010年 カラー ビスタサイズ 147min 松竹配給
製作総指揮 佐藤直樹 監督 成島出 脚本 奥寺佐渡子 撮影 藤澤順一 原作 角田光代
音楽 安川午朗 美術 松本知恵 照明 金沢正夫 録音 藤本賢一 編集 三條知生 主題歌 中島美嘉
出演 井上真央、永作博美、小池栄子、森口瑤子、田中哲司、市川実和子、平田満
劇団ひとり、余貴美子、田中泯、風吹ジュン
2011年4月29日(祝・金)全国ロードショー
(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会
直木賞作家・角田光代が手掛けた初の長編サスペンスであり、最高傑作の呼び声高い「八日目の蝉」。第2回中央公論文芸賞を受賞し、各メディアから絶賛と驚愕をもって迎えられたベストセラー小説が、日本映画屈指のスタッフ、キャストによって、遂に映画化された。主役の恵理菜役には、大ヒット作『花より男子ファイナル』『僕の初恋をキミに捧ぐ』などに主演し、人気、実力共にトップ女優の地位を獲得した井上真央。対する希和子役には、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で07年の映画賞助演女優賞を総なめにした永作博美。そして、恵理菜の幼なじみに小池栄子、我が子との4年間を奪われた実の母親役に森口瑤子が配された他、劇団ひとり、風吹ジュン、田中哲司、市川実和子、平田満、田中泯、余貴美子ら実力派俳優が集結。『孤高のメス』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した成島出監督が、自ら出版社に問い合わせて映画化を実現させた。脚本は『しゃべれども しゃべれども』『サマーウォーズ』で高い評価を得ている奥寺佐渡子。そして主題歌を復帰後初となる中島美嘉が原作に深い感銘を受け“Dear”を提供している。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
1995年10月東京地裁。秋山丈博(田中哲司)、恵津子(森口瑤子)夫婦の間に生まれた生後6カ月の恵理菜を誘拐、4年間逃亡した野々宮希和子(永作博美)への論告求刑が告げられた後、希和子は静かに「四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」と述べた。会社の上司で妻帯者の丈博を愛した希和子は彼の子供を身ごもるが、産むことは叶えられなかった。そんな時、丈博から恵津子との子供のこと知らされた希和子は、夫婦の留守宅に忍び込み、赤ん坊を抱かかえて雨の中を飛び出す。希和子は子供を薫と名づけ、各地を転々としながら、流れ着いた小豆島でひと時の安らぎを得る。楽園のようなこの地で、薫に様々な美しいものを見せたいと願う希和子だったが、捜査の手は迫り、福田港のフェリー乗り場で4年間の逃避行は終わりを迎える。秋山恵理菜(井上真央)は21歳の大学生となった。4歳で初めて実の両親に会い、私たちこそが正真正銘の家族だ、と言われても実感が持てなかった。世間からはいわれのないない中傷を受け、無神経に事件が書きたてられる中、家族は疲弊していった。誘拐した希和子を憎むことで自分を殺し、誰にも心を開かないまま、恵理菜は家を出て一人暮らしを始める。そんな中、岸田孝史(劇団ひとり)に出会い、好きになった。だがある日、自分が妊娠していることに気づいた恵理菜の心は揺れる。岸田は家庭のある男だった。そんな頃、恵理菜のバイト先にルポライターの安藤千草(小池栄子)が訪ねてくる。千草はあの誘拐事件を本にしたいという。恵理菜を度々訪れ、親しげに生活に立ち入ってくる千草。だが、恵理菜は放っておいて欲しいと思いながらも、なぜか千草を拒絶することが出来なかった。千草に励まされながら、恵理菜は今までの人生を確認するように、希和子との逃亡生活を辿る旅に出る。そして最終地、小豆島に降り立った時、恵理菜は記憶の底にあったある事実を思い出す。
上手い!ラストシーンへと物語が向かうにつれて胸が熱くなるのを感じる映画って、実はそうそうあるものではない。永作博美演じる主人公・野々宮希和子と誘拐して逃避行を続ける薫の結末には別れがある事を承知の上で観ているわけだが、不思議にも中盤から幸せそうな二人の姿に法を犯して成立していた関係である事をすっかり忘れてしまっていた。これは成島出監督の演出力によるところが大きい。そういえば、前作『孤高のメス』も硬派な内容にも関わらず、優しさに溢れていたのを思い出す。現在を生きる井上真央演じる恵理菜(もうここでは薫ではない)のシーンに希和子と生活を共にしていた4年間の過去を交互にインサートする事で映像的に幼い時と成長した恵理菜の感情が分かりやすく対比されていた。原作では過去と現在を1章と2章に分かれているのだが、過去と現在を交互に描く構成にした脚本家・奥寺佐渡子の見事な作戦勝ちと言って良いだろう。奥寺がラストシーンを大胆に変更して(というか書き足した?)恵理菜に言わせるセリフは女性ならではのものだと思うし、このシーンにおいて永作と井上の二つの母性がシンクロされるといった思いがけない効果を生み出していた。
奥寺は脚本を執筆するに当たって「誰が良くて、誰が悪いというジャッジをしない。エゴがぶつかり合っている、そんなふうに描きたかった」と語っていた。観終わった後、本作には実は被害者も加害者もいない事に気付く。それはまるでエッシャーの絵のように人間のエゴが巡っているようでもある。しかし、登場人物たちの根底にあるのはある種の母性だ。希和子は不倫関係を続ける男の子を身籠り、そして堕す。その最悪なタイミングで男の妻は女の子を出産する。希和子は留守中に男の家に上がり込み、赤ちゃんに向かって自分の子につけようとしていた名「薫…」と呼びかけた時にその子が天使のような笑顔を浮かべる。もう子供を産めない体となった希和子の奥底に失った我が子への母性愛が一気に湧き上がった瞬間だ。恵理菜もまた同じように妻子ある男性と不倫し彼の子を宿す。希和子を母と慕いつつ、同じ過ちをしたくない恵理菜は私生児として産む選択をする。実家の両親にそれを告げに行くシーンでの井上は最高の演技を披露する事となる。かつて夫に裏切られた恵理菜の母・恵津子は半狂乱となり娘に包丁を向ける。本作に出てくる三人の女性に見え隠れするのが母親が子供に対する愛情の見返りを無意識に求めているエゴだ。
とにかく主演女優二人の演技がこの映画の完成度を高めた最大の要因である事は間違いない。永作は言わずもがな、特に素晴らしいのは小豆島のフェリー乗り場のシーンだ。刑事に保護され連れて行かれる薫を気遣い「その子はまだ何も食べていません。よろしくお願いします」と叫ぶ。それまで感情を露わにしなかった彼女が初めて叫んだ姿に胸が熱くなった。そして、ズバ抜けて素晴らしかった井上の演技。誘拐犯を母親と信じた幼い子供は当たり前だが実の母親の元に戻されたからといって、すぐに甘えたり慕ったり出来るわけがない。ギクシャクした母娘関係にヒステリックになる実母との生活で娘から笑顔が消えても不思議ではない。井上は成長した薫を演じるに当たって笑顔を封印し、逆に眉間に皺を寄せて他人を遠ざける表情で押し通したからこそラストの慟哭が生きるのだ。上手いなぁと思ったのは井上が小豆島に立った時、「ここにいた事がある」というセリフが関西弁になるところ。成長した恵理菜が記憶の場所に立った時、薫に戻った瞬間だ。それは、井上真央が女優として新たな領域へステップアップした瞬間でもある。
「何でだろう…私もうこの子の事が好きだ。まだ顔も見ていないのに」ラストシーンで全てを思い出した恵理菜がお腹にいる子供に対する気持ちを告げるセリフ。