東京公園
もう一度、幸せに。やさしくも切実な想いがあふれる、みずみずしいラブストーリー。
2011年 カラー ビスタサイズ 119min ショウゲート配給
プロデューサー 齋藤寛朗、山崎康史 監督、脚本、音楽 青山真治 脚本 内田雅章、合田典彦
原作 小路幸也 撮影 月永雄太 美術 清水剛 照明 斉藤徹 音楽 山田勳生 編集 李英美
出演 三浦春馬、榮倉奈々、小西真奈美、井川遥、高橋洋、染谷将太、長野里美、小林隆、宇梶剛士
2011年6月18日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー
(C)2011「東京公園」製作委員会
「東京バンドワゴン」で多くのファンを生んだ小路幸也の同名小説を世界的映画監督であり三島賞作家でもある『EUREKA ユリイカ』の青山真治監督が映画化。『サッドヴァケイション』以来4年ぶりとなる長編作で織り上げたのは、恋愛・結婚・家族の中に息づく、純度の高い愛の物語だ。そばにいるからこそ気づく事の出来なかった思い。失してしまった存在と向き合う勇気。自分自身の心の奥底を見つめ、相手のまなざしを受け止めたとき、ようやく新たな時間が動き出して行く。奇妙な撮影依頼を受けたことをきっかけに、カメラマン志望の青年と周囲の女性たちとの関係が微妙に変化していく様子を描く。出演は、若手演技派俳優『君に届け』の三浦春馬が受け身がちに生きてきた主人公の姿を伸びやかに演じる。共演に『余命1ヶ月の花嫁』の榮倉奈々、『のんちゃんのり弁』『行きずりの街』の小西真奈美、また『ディアドクター』の井川遥がセリフの無いミステリアスな人妻を好演している。都内に実在する秋の美しい公園を『乱暴と待機』の撮影監督・月永雄太が透明感溢れる映像で再現している。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
東京の公園を訪れては家族写真を撮り続けている大学生の光司(三浦春馬)は、幼い頃に亡くした母親の影響でカメラマンを目指していた。ある日、一人の男性から「いつも娘を連れてあちこちの公園を散歩している彼女を尾行して、写真を撮って欲しい」という突然の依頼が舞い込む。依頼主である歯科医の初島(高橋洋)の態度に光司は迷いを感じながらも、なかば強制されるように依頼を受ける。光司の家には、親友で同居人のヒロ(染谷将太)がおり、彼にだけはこの依頼内容の話をしようとするが、どこか気がとがめて全てを話す気にはなれない。ヒロは、光司の幼なじみの富永(榮倉奈々)の元カレだった。富永は元気な笑顔が魅力の溌溂とした性格で、ヒロと別れてからも光司のバイト先、ゲイのマスター(宇梶剛士)が営むカフェバーを訪れ、食べ物やDVDを持参しては家に出入りしている。マスターはゲイを承知でプロポーズしてきた女性と結婚をしたが、その妻を病気で亡くしていた。カフェバーには光司の義理の姉・美咲(小西真奈美)も足しげく通ってくる。富永は、親の再婚で兄弟になった光司と美咲を楽しそうに眺めながら、今日も酒を片手に大好きなゾンビ映画のことを語るのだった。「潮風公園、よろしく」という初島からのメールが届き、光司は重い腰をあげて公園へと出かける。そこには、百合香(井川遥)がいた。彼女が娘と一緒に東京の様々な公園を散歩する写真を撮るうち、光司は次第に記憶の中の大切な人の面影と百合香を重ね合わせるようになっていく。そんな中、母が倒れたという報せを受け、光司と美咲は両親が住む大島へと向かう。その夜、美咲と光司は二人きりで話をする。百合香のことを語り始めた光司だったが、逆に美咲に富永のことを問われ、光司は戸惑う。やがて、富永の心の中にある深い悲しみ、美咲が心の中にしまってきた切実な愛情、言葉を交わしたこともない百合香の眼差しに触れながら、光司の心は次第に変わり始めていく。
公園は都会の雑踏の中にデーンとあるからこそオアシス的な空間になれるわけで、田舎の自然の中にある公園とは意味合いや役割は随分と違う。都会の中にある公園は明らかに人工的に作られたものであり言わばフェイクである。それでも人々がそのフェイクな空間に安らぎや癒やしを求めてやって来るのはリアルなソーシャルネットワーク空間として疑似的(裏を返せば手軽に…ということ)に自然とふれあいたいからだ。東京にある公園全て(中央に位置する皇居を除く)が疑似空間であり、三浦春馬演じる主人公・光司が亡き母の面影を持つベビーカーを押す人妻・百合香(セリフが無い井川遥の表情だけの清純な色気を有する演技に息を飲む)に興味を持った場所が公園だった…というのは彼にとって忘れられない母へのメタファーと取れないだろうか?そういった意味で「妻の隠し撮りをして欲しい」と光司に話を持ちかける夫(高橋洋が了見の狭い小さい男を見事に好演)も疑似空間を遠巻きに光司をアバターとして動かしているように見えるのが興味深い。ちなみに意図的に公園を巡っている百合香は時計と逆回りだった事にお気づきだろうか?まるで母と同じ面影を持つ百合香が光司を過去へといざなっているようにも思えるのが興味深かった。(特に青山監督はその件に言及していないが…)ときたま隠し撮りをしている光司と間違いなく目が合っているはずの百合香が知らん顔を通すのは、どこかから死んだ母になっていたとか?は考え過ぎだろうか…。でも、親友の幽霊が出てくる映画だからあながち有り得なくもない?
内容はいたってシュールなのだが、様々な表情を見せる秋の公園を背景に美しい人妻と姉、親友との間で揺れ動く青年の心境を描く青山真治監督の作品としては珍しくオーソドックスな作り方をしている。(本人も映画雑誌で述べているから間違いない)まず、オープニングタイトルが実にクラシカル。出演者の顔写真が順番に現れて紹介する手法は成瀬巳喜男や豊田四郎の女性映画を彷彿とさせる。本作に出てくる男たちは、揃いも揃って女心に気づかない愚鈍さを持ち合わせており、この辺のディテールもどこか昭和っぽい。最近、清純派から大人の色気を出している小西真奈美演じる光司と血のつながらない姉・美咲は、自分の気持ちに歯止めを効かせるため幼なじみ・福永の気持ちを利用する。まるで成瀬映画『流れる』の高峰秀子のような葛藤が彼女の中で渦巻いているのだが、肝心の光司はそれに気づかない。逆に榮倉奈々演じる福永からは「お姉さんの気持ちに気づかないの!?」と揶揄される始末だ。ところがユニークなのは彼がカメラのファインダーを覗くと意外とサディスティックな一面を見せるところだ。終始、草食男子的な油の感じられない青年だった光司が姉の気持ちを知り、カメラを向けた時に恥ずかしがる姉に覆い被さるように肉迫する姿はエロティシズムを感じさせる。そして盗撮されている人妻の笑顔が果たして確信犯なのかどうか…本作ではカメラを通して人間の本心が浮き彫りになるという逆転の論理で構成されているのが面白い。いずれにしてもフレームという限られた世界観と公園って似ているかも。そこに写るものは果たして本物なのか?
「女を愛するっていうことは赤の他人を愛すること。それが社会ってものなんだよ」夫婦も所詮は血がつながらない他人。人を愛することはそれだけ覚悟が必要なのだ。