わが母の記
たとえ忘れてしまっても きっと、愛だけが残る。
2012年 カラー ビスタサイズ 118min 松竹配給
プロデューサー 石塚慶生 監督、脚本、編集 原田眞人 原作 井上靖 撮影 芦澤明子
音楽 富貴晴美 照明 永田英則 美術 山崎秀満 録音 松本昇和 衣裳 宮本まさ江 編集 原田遊人
出演 役所広司、樹木希林、宮崎あおい、三國連太郎、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、菊池亜希子
三浦貴大、真野恵里菜、赤間麻里子
(C)2012「わが母の記」製作委員会
感動と称賛の声は、海の向こうから上がり始め、またたく間に世界各国に広がっていった。第35回モントリオール世界映画祭の審査員特別グランプリ受賞を皮切りに、続く第16回釜山国際映画祭のクロージング作品となり、その後もシカゴ、ハワイ、インドと、さまざまな国際映画祭の出品作に名を連ねている『わが母の記』。昭和を生きた日本の家族の物語が、時代も国境も越えて、なぜこれほどまでに、現代に生きる人々の心を揺さぶり続けているのだろうか。小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中でひとりだけ両親と離れて育てられたことから、母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。父が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、妻と琴子ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。老いて次第に失われてゆく母の記憶。その中で唯一消されることのなかった、真実。初めて母の口からこぼれ落ちる、伝えられなかった想いが、50年の時を超え、母と子をつないでゆく。家族だからこそ、言えないことがある。家族だからこそ、許せないことがある。それでも、いつかきっと想いは伝わる。ただ、愛し続けてさえいれば──。たとえ時代が変わり、社会が複雑になり、困難な未来が訪れても、家族の絆だけは変わらない。人と人との絆の大切さを知った今の時代にこそふさわしい、希望に満ちた普遍の愛の物語が、2012年ゴールデンウィーク、日本中を感動で包みます。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
ふと甦る、子供の頃の記憶。土砂降りの雨のなか、軒下に立っていた。向かい側には、不機嫌な顔をした母と、まだ幼い二人の妹がいる。小説家の伊上洪作(役所広司)は、父の見舞いに訪れた湯ヶ島の両親の家で、物想いにふけっていた。「あれ、どこだっけ?」と妹たち志賀子(キムラ緑子)と桑子(南 果歩)に問えば、口々に答えが返ってくる。幼少期に伊上はひとりだけ両親と離れて育てられていた。「僕だけが捨てられたようなものだ」軽い口調で話す伊上だが、本当はその想いをずっと引きずっていた。東京に帰ると、妻の美津(赤間麻里子)、長女の郁子(ミムラ)、二女の紀子(菊池亜希子)が、伊上の新作小説にせっせと検印を捺している。ベストセラー作家の家族の大切な仕事なのに、三女の琴子(宮崎あおい)の姿はない。自室にこもって夕食にも降りて来ない琴子に、不満を募らせる伊上。繊細な紀子は、その姿を見ているだけで、息が苦しくなる。だが、当の琴子は声を荒げる伊上に反抗的な態度で言い返す。そして深夜、持ち直したかに見えた父(三國連太郎)の訃報が入る。1960年。父亡き後、桑子が母・八重(樹木希林)の面倒を見ているが、八重の物忘れはますますひどくなっていく。1963年、八重の誕生日に、川奈ホテルに集まる一族。その頃には、八重の記憶はさらに薄れていた。1966年、結婚した郁子が赤ん坊を抱いて里帰りした日、湯ヶ島は大騒ぎになっていた。八重が、交通事故に遭って家で療養している明夫を罵倒するというのだ。しばらく伊上が引きとることになるが、八重を冗談のタネにする家族に、琴子が突然怒り出す。さらに話は伊上の子育て批判に発展、紀子までもが初めて父に反抗する。日頃から家族を小説やエッセイのネタにする父への不満が一気に爆発したのだ。琴子の提案で、軽井沢の別荘で八重の面倒を見ることに。1969年、八重は夜に徘徊するようになり、もう誰が誰かも分からなくなっていた。ある朝、おぬいに息子を奪われたという八重の言葉に感情を抑えられなくなった伊上は、初めて母と対決しようと「息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね」と問いつめる。しかし、八重の口からこぼれたのは、伊上が想像もしなかったある“想い”だった。こらえきれず、母の前で嗚咽する伊上。母との確執を乗り越え、晴れ晴れとした気持ちで紀子を送るハワイ行きの船に乗りこむ伊上のもとに八重がいなくなったという知らせが届く。
土砂降りの雨の中、軒先で雨宿りする母娘と対峙する道を挟んだ向の軒先に立つ息子。母は小さく溜め息をついて息子のそばに歩み寄る。芦澤明子カメラマンによる雨粒ひとつひとつが美しいオープニング映像から名作の予感に思わず胸が高鳴る。…と、次の場面では役所広司扮する主人公が伊豆の実家で妹たちと何気ない会話を交わす日常の光景が映し出される。「あれ、どこだっけ?土砂降りで…」「浜松だじゃ」と静岡弁で、せわしなくリズミカルに繰り出されるセリフはユーモアに溢れ、細かく切り替わる小気味よいカット割に原田眞人監督ならではのセンスが光る。「兄さん得してるわよ」「してる、してる」この場面ひとつ取っても妹を演じた南果歩とキムラ緑子の演技は出色の出来映えだ。時おりインサートされる真俯瞰から捉える卓袱台に並ぶご飯にフリカケ、そして味噌汁のしずるカットが絶妙なアクセントとなっていてお見事。こうした日常の会話すらもエンターテイメントにしてしまうのだから原田監督の演出テクニックには毎度ながら感服してしまう。思えば『金融腐食列島 呪縛』や『クライマーズ・ハイ』のような職場で交わされる会話にも胸躍らされた…つまり我々の日常はエンターテイメントに溢れているという事か。
主人公は、冒頭に出て来た雨宿りをした日がトラウマとなり、胸にわだかまりを抱き続けている。自分は母親から見捨てられた…その思いが、記憶を無くしていく母親との確執をますます広げてゆく。いや、むしろ確執を広げる主人公の行為は母親に対する息子のアンビバレントな感情に他ならない。先日、原田監督にインタビューさせていただいた時、繰り返し言われていた「良い映画には主人公が抱くアンビバレントな感情を描くのが大事」という言葉。母親に愛されたいという思いと、見捨てられたというわだかまりのアンビバレントな状況の中でスリリングな展開が生まれてくるのだ。
樹木希林のトボケた立ち振る舞い(この愛らしさと強かさが混在する演技は国宝級だ)に翻弄される家族たちにも相反する感情が常に存在しており、それが露呈するのは大概、家族の団欒の場となる食卓であるのが興味深い。原田監督は本作の映画化に当たって松竹大船調…中でも小津安二郎監督作品を意識して作られたという。テーブルを囲んで家族が揃って夕食を食べるという儀式。一人欠けているだけで家族の行動が分かる場…そうだ、昭和三十年代の家族は重要な事は食卓で決まったものだ。主(あるじ)が家族の中心にいるように、食卓は家の中心に位置する。
井上靖の書かれた原作にあるのは、家族の絆であり、その根底にあるのは家族の中心にいる大黒柱の主人公と母親との関係だ。痴呆症となった母親の薄れていく記憶と、決して忘れる事が出来ない息子の見捨てられたという記憶。記憶が薄れていく母親の心の奥に、ある記憶が大事に保管されていた事が分かるラストに至るまでの緩急自在のスピード感は相変わらず見事な原田演出だ。「途中で色々あってもゴールはひとつだ」主人公が宮崎あおい扮する末娘に言うセリフは家族という小宇宙の真理かも知れない。
「日本人の付き合いは全て貸借関係が基本だからな。相殺しあって零…無にする。何も残っていないという結果ありきだ」昔の香典帳を探す役所広司が香典返しの理念について娘に教えるセリフ。