の・ようなもの のようなもの
何者にもなりきれないものたちの、笑いと涙にあふれた物語。
2016年 カラー ビスタサイズ 95min 松竹配給
原案 森田芳光 監督 杉山泰一 脚本 堀口正樹 製作総指揮 大角正 音楽 大島ミチル
プロデューサー 三沢和子、池田史嗣、古郡真也 撮影 沖村志宏 照明 岡田佳樹 録音 高野泰雄
美術 小澤秀高 衣装 宮本まさ江 落語指導 古今亭志ん丸 主題歌 尾藤イサオ
出演 松山ケンイチ、北川景子、伊藤克信、尾藤イサオ、でんでん、野村宏伸、鈴木亮平、鈴木京香
ピエール瀧、佐々木蔵之介、塚地武雅、宮川一朗太、仲村トオル、笹野高史、内海桂子、三田佳子
2016年1月16日全国ロードショー
(C) 2016「の・ようなもの のようなもの」製作委員会
『家族ゲーム』『それから』『(ハル)』『阿修羅のごとく』日本映画のフォームを根本から生まれ変わらせる「ひらめき」に満ちた筆致と、唯一無二の着眼点で、数多の傑作、名作を世に放った森田芳光監督。2011年暮れの急逝から4年。劇場デビュー作『の・ようなもの』の35年後を描く完全オリジナルストーリーだ。舞台は古き良き下町、谷中。生真面目なばかりでサエない落語家・志ん田が、落語を捨て気楽に生きる兄弟子・志ん魚と出会い、悩みながらも自分らしく生きる楽しさを知っていく—。落語を続けるのが幸せ?やめて新しい道を探す?好きなあの娘との恋は?いくつもの人生の岐路に立たされた志ん田が出した答えとは?一度は落語を辞めた男の再生。そこに、明日の見えない毎日をひたむきに生きる青年の純情が重なり、一途なひとびとの「やさしさ」が、さらりと浮かび上がる。主演の志ん田役には、森田監督の遺作『僕達急行 A列車で行こう』の松山ケンイチ。志ん田を振り回しながらも優しく見守るヒロインの夕美に『間宮兄弟』の北川景子。そして前作と同じ役で伊藤克信、尾藤イサオ、でんでんが顔を揃え、さらには森田作品ゆかりの豪華キャストがカメオ出演している。歯切れのよいリズムにのせて、<人間は面白い>という森田監督が一貫して追求したテーマを踏襲した作品を作り上げたのは、『の・ようなもの』以降、助監督として支え続けた杉山泰一。洒脱な脚本は、やはり森田作品の助監督を経て、昨年『ショートホープ』で監督デビューを飾った堀口正樹が手掛けた。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
東京、谷中。30歳で脱サラ、落語家になるものの、いまだ前座の出船亭志ん田(松山ケンイチ)。師匠、志ん米(尾藤イサオ)の自宅に住み込み修行中だが、「小学生が国語の教科書を読んでいる」ような落語で、全然パッとしない。同居している師匠の娘、夕美(北川景子)に秘かな想いを寄せているが、彼女にはいつもイジられっぱなし。ある日、志ん田は志ん米から、以前、この一門にいた兄弟子・志ん魚(伊藤克信)を探し出すよう命じられる。志ん米の師匠、志ん扇の十三回忌一門会に、スポンサーである斉藤後援会長(三田佳子)のご機嫌とりのため、彼女お気に入りの志ん魚を復帰させようという魂胆。すったもんだの挙句、夕美と張り込んだ墓地で見つけ出した志ん魚は、落語とは無縁の生活を送る55歳の男になっていた。志ん扇が亡くなってから、もう二度と落語はやらないと誓っていた志ん魚の頑な心を動かすべく、志ん米の命令で志ん田は志ん魚と男2人のおかしな共同生活を始めることに。志ん田は、のん気に暮らしながらも、自分らしく、楽しく生きる志ん魚の姿に、自分の中に足りない何かを見つける。一方の志ん魚も、不器用ながらもまっすぐな志ん田の姿に昔の自分を重ね、忘れかけていた落語への愛を思い出すようになっていた。果たして志ん田は落語も恋も最高の“オチ”を見せることができるのか?
あぁ、みんな「シー・ユー・アゲイン雰囲気」が好きだったのね。主演の松山ケンイチの姿が見えなくなるまでのエンドロール(谷中のランドマーク「ヒマラヤ杉」がイイ味を出している)にフルコーラスで流れる尾藤イサオの名曲に、思わずウルッときてしまった。森田芳光監督の長編一般映画第一作目となる『の・ようなもの』を観たのは高校に入って間もない頃。確か『金田一耕助の冒険』と二本立で、どちらかというと後者を目当てに札幌市内の小さな映画館で観た。ところが…冒頭10分も経たない内に私は『の・ようなもの』の不思議な魅力にすっかりハマってしまった。物語は下町の落語家・志ん魚がソープ嬢(当時はトルコ嬢と呼ばれていたっけ)と付き合ったり、女子校の落ち研の女の子と恋に落ちたり…そうこうしながら落語家として、人間として何となく成長する姿を描いたもの。1980年代というシラケ世代とブランド志向が相まった時代の「ニュアンス」(当時のキャッチコピーは「ボタンダウンの似合うスタッフが新しい笑いとニュアンスの映画を作りました。」だった)を見事、映像に取り入れた森田監督の最高傑作だ。
2011年の年末に急性肝不全で他界した森田監督の突然過ぎる死に、未だ心の整理がついていなかったが、今回、志ん魚を探す旅に出る松山ケンイチ扮する志ん田が行く先々で、かつて森田監督作品で主役を務めた、所縁のある俳優たちが演じる人々と出会う…まるで森田監督巡礼の旅のような構成。そのおかげで、ある意味、森田監督の死に対して区切りがついたような気がする。『の・ようなもの』オリジナルキャストを中心に33年後の出船亭一門が、行方不明になっていた志ん魚を探して再び口座に上げるまでを描く。かと言って、単なる続編というものなんかじゃなくて、みんなで集まって森田監督を偲ぼう…といった映画となっているのが泣かせる。スタッフも森田組が集結して森田芳光への愛情がたっぷり詰まった映画が出来上がっている。また、既に役者を引退している小林まさひろ(志ん肉)と大野貴保(志ん菜)が、この映画のために特別出演しているのも嬉しいではないか。
パンフレットによると監督の杉山泰一は、ずっと森田監督の助監督として、『の・ようなもの』から遺作となった『僕達特急 A列車で行こう』まで16作品に関わった(確かにエンドロールには演出助手としてクレジットされている)というだけに、的確にオリジナルのシークエンスを切り取って現在のエピソードにつなげているのが見事だ。前作で師匠に新作を勧められた志ん魚だが、頑として古典をやる事に固執するシーンがある。寄席で披露する「寝床」のオチに差し掛かるところでは、客全員を眠らせてしまう程ヘタクソなのだ。演じる伊藤克信の栃木訛りがイイ。落語家としては致命的と言ってもよい程、抑揚があまりに無さ過ぎるしゃべりは、どの作品を見ても同じだから「素」なのだろう。今も変わらないヘタクソぶりが、本作のキーポイントとなる。そんな二つ目の落語家が後援会長と約束した新作を書いている途中で行方不明となってしまう…これがオリジナルの後日談。それから10年が過ぎて突然「久しぶりに志ん魚の落語が聞きたい」と言いだした後援会長のために志ん魚探しが始まる…というオリジナル脚本は、なかなか良く出来ている。ようやく探し出した志ん魚だったが、会長と約束した新作を持って高座に上がる事になかなか首を縦に振らない。しかもヘタクソさは10年のブランクによって拍車が掛かっており…といったところで、迎えるクライマックスの師匠の十三回忌。さんざ、新作ネタで物語を進めておきながら古典を披露するという決着のつけ方を選んだ杉山監督には心底敬服する。
「これで区切りが付きました」無事に口座を終えた志ん魚が兄弟子に言うセリフ。これは、森田監督を慕う関係者全員の思いだったように思える。