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物語の主軸がマドンナにひと目惚れする寅さんのドタバタ劇だとすると、数々の名優が演じる大家(たいか)と寅さんが旅先で出会い、人生の師となったり、逆に寅さんに救われたりする人情劇がサイドストーリーとして存在する。むしろ寅さんの成長は、こちらのサイドストーリーの方にあると言っても良いだろう。旅先で寅さんと関わり、人間の在るべき姿や人生について教えてくれた先人たちの言葉から寅さんは、反省し、頭を垂れつつ柴又へ帰るのである。寅さんに一番、影響を与えたのは博の父(なんと!シリーズ3作品に登場した)であろう。朴訥とした演技で寅さんだけではなく多くの観客に感動を与えた志村喬の晩年の当たり役と言っても過言ではない。8作『寅次郎恋歌』では、「りんどうの花が咲く家の茶の間で家族団欒の光景を見て、それが本当の人間の生活なのだ」と寅さんに語るシーンはシリーズ屈指の名シーンであった。放浪の旅を続け、ひとつの所に定着をしない寅さんだからこそ、実感して理解出来る事であり、これをとらやの人間に寅さんが説明してもピンとこない。先人の言葉から寅さんが自分自身を見つめ直すキッカケとなり、この事があったからこそラストでシリーズ初、寅さん自ら身を引く事となるわけである。続く22作『噂の寅次郎』でも二人は旅先で偶然出会い、今度は“今昔物語”で人生のはかなさを説かれる。翌朝、“今昔物語”の本と汽車賃を拝借して帰って行った寅さんの手紙を読んで「大人物は反省したか…」とつぶやく志村喬の言葉が印象に残る。また、寅次郎の高校時代の恩師(東野英治郎)は、訪ねてきた寅さんを「お前はバカだ!」と言いながらも実直な性格を認めており、最後の最後まで寅さんを可愛がっていた。また、寅さんに一目を置く人には巨匠や名人と呼ばれる人物が多い。名作と高い評価を得ている17作『寅次郎夕焼け小焼け』では宇野重吉演じる日本画の人間国宝と対等に接し、普通ならあり得ない寅さんの無理な頼みも渋々引き受けてしまう。29作『寅次郎あじさいの恋』でも片岡仁左衛門演じる陶芸家の人間国宝に頼られ親交を深め爽やかなラストシーンが出来上がった。偉い立場の人になればなる程、寅次郎を認めているのが本シリーズの特徴であり、観客に愛される所以であろう。後期の名作として名高い38作『知床慕情』では三船俊郎演じる気難しい知床の獣医と対等に渡り合うどころか恋の指南役まで買って出る程。むしろ、この頃の寅さんは、あまり馬鹿な真似はせずに本当に、ちょっと間の抜けた良い兄貴分という役所になっていた。だから、さくらも泣く回数が徐々に少なくなり(相変わらず心配はしているが…)時には満男の相談をするようになる。 後期になると寅さんも自分の恋話しは脇に置いて、若者たちの良きアドバイザー役となり、満男の出演時間の方が寅さんよりも多くなる。これは、渥美清の体力が年々落ちてきたために物語の最初から最後までハイテンションで寅さんを演じるのが難しくなったためだろうが、逆にこの交代劇が幸をそうしたと言える。それには吉岡秀隆という天才子役がいたからで、彼無くしては後期の『男はつらいよ』は有り得なかったかも知れない。寅さんは、41作目『僕の伯父さん』から恋に悩む甥っ子満男を見守る伯父さんとして応援する立場となる。この作品では満男が密かに想う後藤久美子演じる泉(この作品から寅次郎ではなく満男のマドンナが登場)が住む佐賀に行くのだが、そこで泉の堅物な伯父が追いかけてきた満男に批判的な言葉を浴びせる。さて、今までの寅さんならば「何だ!テメェこの野郎!」って大喧嘩に発展するところだが、何と寅さんは淡々と「私は甥を誉めてあげたい」と語るのだ。正直言ってこのシーンを観た時は、余りの寅さんのカッコ良さに全身の毛が逆立った。そういえば同じ思いを27作『浪花の恋の寅次郎』でも感じたなぁ(詳しくは特集2にて紹介)。寅次郎の変化について渥美清本人も満男の良き相談相手となった事について、こう語っている。「それでもいいんじゃないでしょうか。寅の精神構造も押しつけがましい事はできなくなっているし、年からいってもそういうことは面映ゆくなってきている。当然のことなんでしょうね」思春期や反抗期を迎えた子供に対して攻撃の対象となる親は第三者に全てを委ねるしかない。満男編が始まったのは、自然の流れなのである。その少し前…36作『柴又より愛をこめて』では、裏のタコ社長の一人娘・あけみ(美保純が好演)が家出した時に寅さんに泣きついたのは、いつも寅さんをバカにしているタコ社長だった。実は、満男編の以前にあけみ編が存在していたのだ。父親をタコと呼び、聞く耳を持たない彼女は寅さんにだけ心を許す。勿論、あけみを連れ戻しに下田に向かった寅さんは、そこで知り合った美人教師に心奪われ、あけみはそっちのけとなってしまう。しばらく準レギュラーとして登場するあけみは、満男と一緒に寅さんを崇拝し、慕うのである。寅さんが恋愛の対象としてではなく弱い立場の少女たちに手を差し伸べたのは7作目『奮闘篇』からだ。榊原ルミ演じるマドンナの花子は知的障害を持った心優しい娘で、寅さんは彼女を守ってやりたいという感情が強すぎるあまり結婚を決意する。その後、26作『寅次郎かもめ歌』では、死んだ仲間の娘・伊藤蘭を引き取り、父親の目線で陰に日向に応援する姿が描かれた。この作品は、寅さんが恋するマドンナが登場しない珍しい構成となっている。若い者たちにしてみると自由奔放に自分の意のままに生きている寅さんは魅力的であり、憧れの的となる。後期の『男はつらいよ』を観ていると小さな事で悩んでいる自分が馬鹿らしく思えてくる。寅さんは現代人に対して、「もっと馬鹿になれ!」と警鐘を鳴らしているのかも知れない。
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