あなたと二人で来た丘は、港が見える丘〜♪『男はつらいよ寅次郎相合い傘』の中、キャバレーで歌うリリーを演じる浅丘ルリ子の歌声は美しく、それでいて、いつも、どこか切なさを帯びている。シリーズ屈指の名作と呼び名も高いリリー篇4作に出演した浅丘ルリ子は、従来の『男はつらいよ』シリーズに登場したお嬢様タイプのマドンナとは異なり、まるで彼女自身の女優人生を投影したかのような力強い女性を演じている。間違いなく寅さんと相思相愛の仲であるリリーは、時には寅さんに甘えてみせるも、寅さんから同情されたり、女のくせに…という発言をされると、途端に怒りを露わにする。地方のキャバレーを廻る売れない歌手であるが、気持ちは常に気高く、その姿はボロを纏った貴婦人のようでもあった。そして、その気質は、彼女の女優としての姿勢にダブって見える。浅丘ルリ子の女優人生は、子供の頃、父親が満映(戦時中、かの李香蘭を生んだ映画会社―満州映画協会)の理事長と懇意にしていた事から始まった。映画の世界を身近に感じていた浅丘は終戦後、子役として北條誠の原作を井上梅次が監督した『緑はるかに』の主役オーディションに3000人の中から満場一致で選ばれ、日活にてデビューを果たす。この時の主人公の役名“浅丘ルリ子”が、そのまま芸名となった…というのは有名な話しだ。その後、スレンダーな体型と日本人ばなれした目の大きな顔立ちのおかげで、無国籍アクション映画のヒロインとして小林旭(私生活でも恋人同士だった)とコンビを組み、瞬く間にスターの地位を駆け上がってゆく。しかし、アクション映画のお嬢様役ばかりを演じていた浅丘は、演技力を殆ど必要としない“ただ可愛いだけで務まる”そうした役に対して、常に疑問を持ち続けるようになる。「デビューして10年近く、出演作は90本にもなろうとしているのに、代表作は?と聞かれても『絶唱』と『憎いあンちくしょう』くらいしかあげられない。私は男性映画の刺身のツマのようなもの」とマスコミに不満を語るようになる。そんな時、彼女に転機が訪れた。映画の斜陽化による日活が経営方針の転向(ロマンポルノへの路線変更)に伴い、五社協定が緩和され、他社の作品に自由に出演できるようになったのだ。ここで浅丘は、大島渚や増村保造監督らと出逢い、女優として新たな境地を見出す。プログラムピクチャーとは違ったアート志向の強いそれらの作品は、今までの演劇論が一切通用しない新しいフィールドであった。ここで、浅丘は、まるでゴダールの映画に出てくるようなジーン・セバーグの如くアバンギャルドな演技を披露する。この経験が、その後の彼女の演技に大きく影響を与えたのは、言うまでもなく、それが『男はつらいよ』シリーズのリリー役によって開花したと言っても過言ではない。
 シリーズ中、最も人気の高いマドンナとなったリリーであったが、この役を演じるに当たって『寅次郎忘れな草』の撮影中、彼女は山田監督にこんな質問をしたという。「監督、この二人は寝たんですか、寝なかったんですか」確かに、現実的な観客ならば、同じ思いを抱いた人も多かったのではなかろうか。『男はつらいよ』シリーズでタブー視されている寅さんの性について、ズバっと質問したのは彼女が初めてだという。彼女曰わく、もっとリリーは寅さんに対してねちっこくなってもイイのでは…という事である。こんな意見をサラッと言ってのける彼女の性格と力強く生きてきたリリーという役が見事にシンクロしたからこそ多くのファンから支持されたのだろう。その疑問に対する山田監督の答えは的確で実に的を得ている。「観客は、男と女になった寅さんとマドンナを誰も望んでいないんだよ」ともあれ、リリーというキャラクターは、日活を離れた浅丘ルリ子にとっての最大の当たり役となった。この頃、33歳を迎えた浅丘は、演技に円熟味を増しており、この役によって新たな新境地を開拓出来たのは間違いない。網走の港で寅さんと自分たちの稼業についての儚さをしみじみと語る初登場シーンは、どのマドンナよりも強烈な印象を我々に与えた。ズケズケと臆することなく物を言う性格と、堅気ではない派手な出で立ちから、いつもは笑顔で迎え入れてくれる“とらや”の面々も一瞬、怪訝な表情を見せる。案の定、母親との仲が上手く行っていないリリーは、夜中に酔っ払って“とらや”にやってきて大騒ぎとなる。いつもなら、騒動を起こす寅さんが、今回はたしなめる側に回るのだ。浅丘の目鼻立ちのクッキリとした顔立ちが、旬をとうに過ぎた売れない歌手という設定にぴったりと符合し、時折見せる弱さが彼女の持つ味となった。その後、リリーは、堅気の寿司職人と結婚するも、次回作『寅次郎相合い傘』の冒頭で別れた事が早々にリリーから告げられる。この時、力無く呟くおいちゃんの「寿司屋の女房じゃ、我慢できなかったのかねぇ…」という台詞が全てを代弁している。また、地方を転々とする根無し草稼業に戻ったリリーは、前作と同じ北海道で寅さんと再会を果たす。本作での演技は高く評価され、ブルーリボン主演女優賞を始めとする主要各賞総ナメとする。次回作『寅次郎ハイビスカスの花』のリリーは、前作よりも角張った雰囲気が無くなり、浅丘も自由にのびのびとリリーを演じていたように感じられた。それが、次第にリリーが寅さんへ心を許している過程と相まって実にリアルな時の流れを感じたものだ。バス停でバスを待つ寅さんの前に陽傘を斜めにスッと立つ彼女の姿の何とカッコいい事か…。『寅次郎ハイビスカスの花』のラストシーンはシリーズ最高のエンディングとなった。
 その頃から活動の場をテレビや舞台に移して活躍。日生劇場で公演された“ノートルダム・ド・パリ”は初演ながらも高く評価されている。しかし、最終作『寅次郎紅の花』で、リリー4回目の登場が決定した時、山田監督は「これが最後になるかも知れない…」という、ある種の覚悟の中、「だったらマドンナはリリーが相応しいのでは」と浅丘に出演を依頼した。その意志を告げると彼女は「私も歳だからクローズアップは無理よ。でも、渥美さん、そんなに悪いの?だったら私、出ます」と、二つ返事で快諾されたらしい。寅さん最後の作品は、テレビシリーズでも最後となった奄美大島の加計呂麻島。島に立つ記念碑には、山田監督の言葉が以下のように刻まれているという。「我等が寅さんは、今も加計呂麻島のあの美しい海岸で、リリーさんと愛を語らいながらのんびり暮らしているだろう。きっとそのはずだ。ぼくたちはそう信じている」
(キネマ旬報2008年9月下旬号より転用)その記念碑の言葉は、間違いなく、渥美清が亡くなった9日後の平成8年8月13日にシリーズ全ての撮影が行われた松竹大船撮影所で開かれた「渥美清さんとお別れする会」で浅丘ルリ子が贈った言葉からきている。最後に、その浅丘ルリ子が読み上げた弔辞を全文、紹介させていただく。朝日ソノラマ刊寅さんは生きている」より抜粋)

 リリーから寅さんへ手紙を書きました。
 寅さん、今どのあたりを旅しているの。景気はどう?今日は晴れてる。それともどっかで雨宿りしてる?くたびれた羽を休めたくなったらいつでも寄って。あたし寅さんを大歓迎してあげる。「おいリリー、腹減っちゃったよ。何か食わしてくれ」「あいよ、支度するから先にお風呂に入っといで」「そうかい、じゃあそうさせてもらおうか」。たとえそれがつかの間でも、寅さんと一緒にいられるのが最高の幸せ。寅さんと初めて出会ったのは、北海道網走の橋の上。あんたはレコードなんか売ってたんだ。「姉さん、なんの商売してんだい」「あたし歌うたってるの。だれも聞いてくれないへたくそな歌をね」。寅さんは、ニッと笑ってた。
 男らしくて、粋で、不良っぽくて、色気があって、照れ屋で、やさしくて、かわいくて、くるくる変わるいろんな顔があって…。あんたはきっともてるんだろうなってずっと思ってた。寅さんはたくさん恋をしたのよね。奄美大島で満男君がみんなばらしてしまっておかしかった。あたしの手前、一生懸命弁解していたけど、でも寅さんはその人たちを精いっぱい愛してあげたんでしょ。きっとその人たちもあたしと同じように、寅さんからいろんなものをもらったので。寅さんとはずいぶん旅をしたっけ。ずっと一緒にいたいのに、最後は決まって怒鳴りあいのケンカ。
 あたし、沖縄でのことは一生忘れない。もうどうにでもなれとやけっぱちになっていたあたしを、大嫌いな飛行機に乗ってはるばる看病に来てくれて、あの時は本当にうれしかった。去年は奄美大島、15年ぶりにひょっこうり訪ねてきて、どうせ旅の途中で文無しになって転がり込んできたんだろうけど「オレたちも赤い糸で結ばれてるんだよ」なんてうまいこと言って。そうそう、2人で満男君と泉ちゃんの恋を実らせてあげたよね。「リリーお前それでも女か。かわいくねぇ」「どうして女はかわいくなきゃいけないんだい」。お互いに好きでたまらないのに、それをすぱっと口に出せないで、意地の突っ張りあいばかりやって、また別れ別れになってしまう。寅さんと私は似たもの同士。宿なしの流れ者。世間に振り回されず、自分の行きたいところへいつも旅してきた。
 でも、さくらさんと博さんが望んでくれてるように、寅さんと所帯をもちたかった。だから寅さん、いつかそうなる日をリリーはいつまでも待ってるからね。
 寅さんへ、リリー


浅丘 ルリ子(あさおか るりこ)RURIKO ASAOKA 本名:浅井 信子(あさい のぶこ)
1940年7月2日生まれ。満州国・新京生まれ。
 父親が満州国経済部大臣秘書官を務めていた関係で、満州国新京市(現・長春)に生まれ、3歳のときバンコクに軍属として転居。 終戦後、引き揚げ、東京神田に育つ。1954年(昭和29年)、千代田区立今川中学校在学中に井上梅次監督の『緑はるかに』のヒロイン役のオーディションに応募し、約3000人の中から選ばれて美少女女優としてデビュー。学校を長期欠席しての撮影だったため、PTAと生徒会が奉祝の花輪を出したことで一時物議を醸した。以後、日活の看板女優として多数の映画に出演し、人気を博する。現在までの映画出演本数は150本以上。日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ等では、ほとんどの作品で相手役をつとめた。蔵原惟繕監督の『銀座の恋の物語』や、『憎いあンちくしょう』、『何か面白いことないか』、『夜明けのうた』の典子三部作により男性スターの彩り的存在から脱皮。1964年、100本出演記念映画となった蔵原惟繕監督の『執炎』で、愛する夫を戦争に奪われた女性の姿を哀感たっぷりに演じ、その演技力は誰もが認めるところとなり、同じ蔵原監督の映画『愛の渇き』でも熱演を魅せた。その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、などの映画の話題作に出演した。
 1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、「泉鏡花」の作品などで高い評価を受け、「ファッショナブルな女優の代名詞」となる。映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表し、1969年に発表した『愛の化石』は大ヒットした。1971年、石坂浩二と世の男性の羨望を一身に集めさせて結婚したが、程なく別居。2000年に離婚が成立している。
 映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手のリリー役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数え、最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。この最終作の撮影現場で具合の悪そうな渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため、山田監督に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田監督は50作まで製作したかったらしく、浅丘の願いは叶えられず、渥美は映画公開後9ヶ月後にこの世を去り、「紅の花」が最後の作品になってしまった。
(Wikipediaより一部抜粋)



【参考文献】
RURIKO

328頁 19.2 x 13.4cm 角川グループパブリッシング
林 真理子 【著】
1,517 円(税込)


【参考文献】
寅さんは生きている

214頁 28.4 x 21cm 朝日ソノラマ
日刊スポーツ新聞社文化部 【編集】

【主な出演作】

昭和30年(1955)
緑はるかに
銀座二十四帖

昭和31年(1956)
愛情
裏町のお転婆娘
むすめ巡礼 流れの花
愛は降る星のかなたに

昭和32年(1957)
踊る太陽
 お転婆三人姉妹
鷲と鷹
17才の抵抗
今日のいのち

昭和33年(1958)
運河
絶唱
禁じられた唇
永遠に答えず完結編
夫婦百景
続 夫婦百景

昭和34年(1959)
南国土佐を後にして
ギターを持った渡り鳥
銀座旋風児
世界を賭ける恋

昭和35年(1960)
拳銃無頼帖
 抜き打ちの竜
海から来た流れ者
拳銃無頼帖
 電光石火の男
大草原の渡り鳥
十六歳

昭和36年(1961)
銀座旋風児
 嵐が俺を呼んでいる

昭和37年(1962)
銀座の恋の物語
憎いあンちくしょう
危いことなら銭になる
愛と死のかたみ
若い人

昭和38年(1963)
何か面白いことないか
夜霧のブルース
太平洋ひとりぼっち
霧に消えた人
丘は花ざかり
結婚の条件
アカシアの雨がやむとき

昭和39年(1964)
執炎
赤いハンカチ
夕陽の丘
若草物語

昭和40年(1965)
夜明けのうた
水で書かれた物語

昭和41年(1966)
二人の世界
源氏物語

昭和42年(1967)
愛の渇き
夜霧よ今夜も有難う
紅の流れ星
君は恋人

昭和43年(1968)
狙撃
私が棄てた女
栄光への5000キロ
女体
華やかな女豹

昭和45年(1970)
戦争と人間・第一部
愛の化石

昭和46年(1971)
告白的女優論
嫉妬
戦争と人間・第二部
愛ふたたび

昭和48年(1973)
戦争と人間・第三部
男はつらいよ
 寅次郎忘れな草

昭和50年(1975)
男はつらいよ
 寅次郎相合い傘

昭和53年(1978)
渚の白い家

昭和55年(1980)
男はつらいよ
 寅次郎ハイビスカスの花

昭和61年(1986)
鹿鳴館

平成6年(1994)
四十七人の刺客

平成7年(1995)
男はつらいよ
 寅次郎紅の花

平成14年(2002)
木曜組曲

平成16年(2006)
博士の愛した数式
早咲きの花




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