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それでは、リリーにとって寅さんとは何なのだろうか?安い場末のキャバレーで歌うリリーは、酔っ払い相手に幾つもの修羅場を経験してきたに違いない事は想像するに容易い。『寅次郎相合い傘』で、さくらの家に泊めてもらうため、夜遅くバス停から歩いていく途中で酔っ払いにからまれたリリーが、その酔っ払いの横っ面を思い切りひっぱたくシーンがある。あまりのショックにどぎまぎしているさくらに対してリリーが「ごめんね、嫌な思いさせて…」と謝る。そこからもリリーがどういった日常を過ごしているか理解できる。多分、彼女にとって心を許して甘えられる男性は、寅さん唯一人だったのだろう。ここで言う“甘える”というのは、一人の女性として見せる“甘え”そのものである。ところが、その甘えに対して寅さんは、男性として応える事は無く、親友として受け入れるだけに止まる。それが顕著に表れているのが、久しぶりの再会を果たしたリリー篇2作目『寅次郎相合い傘』のワンシーンにある。偶然、北海道で再会した寅さんとリリー…そして放浪の旅をする船越英治扮するパパの3人が安宿で雑魚寝する時のエピソードだ。久しぶりの寅さんとの再会にはしゃぐリリーが「寅さん…アタシ冷え症で夏でも足が冷たいんだ」と言い出す。普通の恋愛映画ならば、ここから緊張するシーンに突入するのだが…寅さんはあろうことか「下で湯たんぽもらってきなさい」とアッサリ。するとリリーは突然、横で眠る寅さんの布団に「足が冷たいから暖めて…」と潜り込んでくる。一瞬ドキッとするシーンであるが、寅さんは「あっ!冷てぇ!パパに暖めてもらえ!」…と、言う始末。寅さんは、リリーを女性として見ていないのか?というと、そういう訳ではない。同作品中、かの有名なメロン騒動の後、リリーと口論になって言い負かされた寅さんが、雨が降って来たから…と仕事から帰るリリーを柴又の駅まで傘を持って迎えに行くシーンがある。「うわぁ〜迎えに来てくれたんだ。」と喜ぶリリーと腕を組みながら相合い傘で帰る寅さんの表情には確実に、仄かな恋心が芽生えてきているのが窺える。最初は、恋愛の対象として意識していなかったが、日々一緒に過ごすうち相手を異性として意識し始める。まるで、寅さんとリリーの仲は、小中学生の時に体験した恋心…のような懐かしさを感じさせるのだ。このリリー篇2作目で二人の距離は、頂点を迎えたと言っても良いだろう。 それでは、何故、二人は夫婦にならなかったのか?リリーはともかく、寅さんは、多分…『寅次郎相合い傘』の段階では、リリーの夢を叶えてやりたい…という気持ちだけに凝り固まっていた。かの有名なアリアのシーンで、リリーを大きな舞台で歌わせてあげたいと家族の前で夢を語る寅さん。彼自身、その思いが愛情から来ているもの…である事すら気づいていない。そんな寅さんでも、シリーズ最初で最後のプロポーズをしたのがリリーであった。『寅次郎ハイビスカスの花』で、沖縄で夫婦のように暮らしていた二人が、一度喧嘩別れをした後、例によって柴又で再会。沖縄での思い出話しをしている途中で、突然クライマックスが訪れる。「リリー…俺と所帯持つか」沖縄での生活は、二人にとって、現実を直視しないバーチャルな世界での“夫婦ごっこ”だったのだろう。周りから夫婦扱いされる事に喜ぶ二人だが、リリーが寅さんに揺さぶりを掛けた時、リリーは現実に目を覚ます。「あたしと寅さんは一体何なの?」かつて、さくらに「リリーさんが、お兄ちゃんのお嫁さんになってくれたら…」と言われて「いいよ…こんなあたしで良かったら」と、OKの返事をさせておきながら、冗談で返した5年前と、ちっとも変わっていない寅さん。本作は、そんな寅さんに遂にリリーが決別を決意した回だったのではないだろうか?全てが終わってから寅さんが、プロポーズしても、後の祭…こうして二人は、親友の道を歩み始めるのである。珍しくエンディングで二人が再会するシーン(海沿いの小さなバス停で)をあえて描いた山田監督の意図は、親友として再会するラストにする事で、リリー篇の完結を試みたのかも知れない。 それが、15年を経て『寅次郎紅の花』で再会した時に、あの後リリーが再婚していたという設定にしていたのもよく理解できる。既に、亭主と死に別れたリリーに対して、以前のような浮かれた感情を持つわけでもなく、寅さんがよく口にする名セリフ「昔、ちょっとワケありの女よ」という説明がピッタリの関係になったと思う。もし、『寅次郎紅の花』が完結篇として最初から製作されていたとしたらラストは違った展開になっていたかも知れない。しかし、山田監督は完結という選択をせずに、後日“とらや”に送られてきたリリーの手紙から、また喧嘩別れしたとする事で二人を永遠の親友にしてしまった。きっと、日本中を旅している寅さんが、リリーという理解者の元に、ひょっこり現れて、しばらく羽を休めているのだろう。リリーとの関係をうやむやにしてくれたおかげで、ファン各々の想像の中で寅さんは生き続けているのである。
タイトルは『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』と付けられた(既に公式に発表されていた)この作品は、室生犀星の小説“あにいもうと”をモチーフとした兄と妹の物語であった。西田敏行演じるヤクザっぽい兄と、田中裕子演じるアメリカから帰ってきた妹。アメリカ人と結婚して、家を飛び出ていった妹が、失敗して十数年ぶりに故郷の高知県に戻ってくるというもの。勝手に出て行った妹を許せない兄は怒りまくり、二人は大ゲンカとなる。その一部始終を見ていた寅さんが、たまりかねて仲裁に入るというものだ。この頃、既に西田は『釣りバカ日誌』シリーズで『男はつらいよ』に並ぶ、松竹の看板番組を背負っており、渥美と西田の共演が実現していたならば、上位にランキングされる名作となったに違いない。そもそも、『男はつらいよ』も寅さんとさくらの兄と妹のドラマである。二組の兄妹がどのように対比して描かれたのであろうか…また、平行して、満男と泉がいよいよ結婚…に至るまでが描かれる予定で、なかなか捕まらない寅さんが最後に結婚式に現れて、粋な演説をぶって立ち去って行くサイドストーリーも考えられていたらしい。そうなると『寅次郎ハイビスカスの花ー特別篇』に登場した満男は、その後の満男となるわけだ。結局、実現しなかった本作は、渥美清へ捧げる…という名目で田舎の映画館主を主人公にした『虹を掴む男』として製作。西田敏行と田中裕子がそのまま主演している。本作で、CG合成された寅さんがエンディングにひょっこり姿を見せて、まだ旅を続けている事をさり気なくアピールする演出に胸が熱くなった。 実は、幻の企画は他にもあり、吉永小百合が演じた歌子3度目の登場となる作品だ。聾学校の教師となっていた歌子(この設定が実に吉永小百合っぽくて良い!)と再会する寅さんが、色々と学校の手伝いをして、仄かな恋心がまたも芽生える…というもの。歌子に触発されて、寅さんも手話を勉強するのだが、ラストで駅のホームの反対側から、寅さんが手話で歌子に愛を告げるのだ。しかし、その手話が歌子に通じたのかどうかは分からない…という切なく美しい幕切れ。山田洋次監督が、キネマ旬報で語っていたその一文を読んだだけで、何とも切なく美しいシーンを何としても観たくなってしまった。勿論、どうにもこうにも不可能なのだが…。 幻の企画とは言わないが、山田監督と脚本家の朝間義隆との間で検討材料として話題にあがった『寅次郎紅の花』の前日談というものがある。『寅次郎の青春』のミーティングを始めた時は、リリー篇が既に候補に挙がっていた。リリーは、富豪の老人と結婚して、アジアのどこかで暮らしているが相変わらず、どこか満たされない空虚な生活を送り、それを寅さんが励ましに訪れる…という設定だ。具体的には映像化はされなかったものの、『寅次郎紅の花』ではその設定が使われており、リリーは金持ちの爺さんと再婚するも、死に別れてしまい、たくさんの財産を相続して奄美大島で悠々自適な生活を送っていたのだ。
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