トイレット
みんな、ホントウの自分でおやんなさい。
2010年 カラー ビスタサイズ 109min パラダイス・カフェ、バックプロダクションズ
エグゼクティブプロデューサー 尾越浩文 監督、脚本 荻上直子 撮影 マイケル・レブロン
美術 ダイアナ・アバタンジェロ 音楽 ブードゥー・ハイウェイ 編集 ジェームス・ブロックランド
衣装 堀越絹衣 フードスタイリスト 飯島奈美
出演 もたいまさこ、アレックス・ハウス、タチアナ・マズラニー、デイヴィッド・レンドル
サチ・パーカー
『かもめ食堂』と『めがね』を大ヒットさせた荻上直子監督が、構想から5年を費やして完成させた最新作。監督によるオリジナルストーリーとなる本作は、家族という小宇宙で起きる衝突と、それを乗り越えて愛情という絆で結ばれる、家族の成長物語である。ひっつめ髪で動作もゆっくり、いつも不機嫌そうな顔をしたばーちゃんを演じるのは、荻上監督のこれまでの全4作品に出演してきたミューズ、もたいまさこ。唯一の日本人キャストでセリフがほとんどない中、孫たちの願いを心で感じとる賢者にしてパンク・スピリッツも併せ持つ老女を、悠然と演じている。そして『かもめ食堂』『めがね』で組んだ衣装の堀越絹衣とフードスタイリストの飯島奈美も、監督の強い要望を受けて参加。若いカナダ人俳優たちからも絶賛された。兄弟役には、オーディションで選ばれた3人の若手俳優を起用。それぞれ個性豊かなキャラクターを息もぴったりに生き生きと演じている。リサ役のタチアナ・マズラニーは、2010年のサンダンス映画祭「ワールド・シネマ・ドラマ」部門で、主演作『Grown Up Movie Star』の演技により、審査員特別賞(ブレイクスルー・パフォーマンス賞)を受賞している。また、現地で選んだ撮影監督をはじめとするスタッフは、荻上監督よりもほぼ全員が年下の若々しいチームで構成。こうして、南カリフォルニア大学での6年間の留学を終えた2000年に荻上監督が「いつか北米で映画を撮りたい」と心に誓ってから10年、シナリオの構想を得てから5年を経て、2009年の初秋にカナダのトロントで撮影を行い誕生した快心の作品である。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
北米東部のとある街で暮らす三兄妹、長男のモーリー(デイヴィッド・レンドル)と、次男のレイ(アレックス・ハウス)、人を小馬鹿にした目で見る妹のリサ(タチアナ・マズラニー)、猫のセンセー。そして死んだ母が生前に日本から呼んだ彼らの祖母ばーちゃん(もたいまさこ)。レイは、毎朝トイレに長くこもって、出てくると深いため息をひとつつくばーちゃんが気になって仕方が無い。自分の生活パターンを崩された上に、言葉も通じず似たところが見当たらないという理由からレイは密かに、血が繋がっているのかDNA鑑定を依頼する。ある日、母親が使っていた古い足踏みミシンを見つけたモーリーは、「どうしても縫いたいものがあって、布を買いたいからお金を貸して欲しい」と、ばーちゃんに訴える。パニック障害で4年間外に出られずにいるモーリーの変化をばーちゃんは察し、札束をモーリーに差し出す。こうして、ゆっくりとばーちゃんとの距離が縮まっていく三兄妹。次第に回復するモーリーは、遂にピアノ・コンテストの舞台に立つ決意をする。4年前、コンテストの演奏途中で緊張のあまり吐いたことがトラウマになっていたモーリーに向かって、ばーちゃんが立ち上がり大声で呼びかける。そのおかげで、モーリーは見事な演奏を披露するのだった。それから数日後、ばーちゃんは突然この世を去ってしまう。数日後、ばーちゃんのためにレイが頼んでおいたウォシュレットが届く。
さすがです。一貫した荻上直子ワールド。主役のもたいまさこに一言もセリフをしゃべらせず(本当は一箇所だけセリフを言うシーンがあるのだが…)表情と仕草だけで得体の知れない“ばーちゃん”を作り上げてしまった(外国の人から見たら異国の人間ってエイリアンに近いかも?)。『かもめ食堂』では異国の地フィンランドで一人食堂を経営する女性を描いていたが、本作では言葉の通じない家族という名の異国に入り込んだ老女を描く。いや、むしろその逆で三人兄妹の生活の中に文化も風習も異なる日本人の老女が同居する事で彼ら自身に様々な変化が現れ、戸惑う様子を描いていると言った方が良いかも知れない。兄妹たちが不思議な生き物でも見るかのように老女の生態を観察するところが面白く、彼女が毎朝長いトイレから出る度に深いため息をつく事に疑問を持つところから、少しずつ距離が近づき始める。あぁなるほど…タイトルの『トイレット』とはここからきているのか。今さらながら日本のトイレが世界の最先端を走っていた事実に驚かされた。次男のレイは毎朝、ばーちゃんの長いトイレのおかげで生活のリズムを狂わされる事にイラつき、それが次第に「何故?」という疑問に変わっていく。この過程を観ていると、異文化同士の理解というのは、こうした相手の行動に対する疑問から始まるのではないかと思う。事実、レイにばーちゃんの長いトイレと大きなため息の理由を示唆するのは彼の同僚のインド人だという点も奥が深い。
では言葉が通じている兄妹はどうかというと、兄はパニック障害で4年間引きこもりの生活を送り、妹は一歩引いて第三者的に二人の兄を見ている。つまり荻上監督が目指したのは会話の破壊だったのではないだろうか?会話が成立しない一方通行な言葉の応酬(無言のばーちゃんに兄弟だけが語りかけている奇妙な関係)で、そこから真の人間性が見えてくるのだ。会話による意思の疎通を一切封印してしまった荻上監督が放り込む絶妙な間…実は、ばーちゃんも兄弟を観察しており、その間合いこそが人間が分かり合うために必要な時間なのかも知れない(確かに、現代人は言葉を発して相手から答えが返ってくるまでの時間が短すぎる)。だから、ばーちゃんは中盤以降言葉が通じなくても兄弟たちが何を求めているのか理解出来てしまうのだ(そういえば『かもめ食堂』でも言葉の通じないフィンランド女性を慰めてましたっけ)。もたいまさこには、表情の力といおうか顔力(がんりき)みたいなものが存在しており、ある意味セリフ以上の説得力を有している。言ってしまえば本作のような企画向けの女優さんなのかも知れない。どうしても字幕を目で追ってしまう習性が身についてしまった筆者だが、幸いに片言のブロークンイングリッシュ程度の理解力しかないので、今度は字幕を全て遮断して、ばーちゃんの目線で本作を観てみたいと思った。
毎回、透明感のある涼しげな映像で心地よくさせてくれる荻上監督だが、本作は今までのトーンとは少々異なって、やや光の加減がアンバーなのが特徴だ。ロケ地であるカナダの気候が影響しているのか、それとも北米の建物や調度品のオーク材を使用している色合いからなのか…?でも、そのコントラストがかえって、しかめっ面のばーちゃんにシックリきていた。これが、偶然ではなく計算の上で成り立っているのだとすれば、やはり荻上監督はただ者ではない。また、相変わらず小物の使い方が最高で、特に古いミシンで長男がスカートを縫うだけのシーンに目が釘付けになってしまった。勿論、映画館を出てから中華やさんに直行して餃子定食を頼んだのは言うまでもない。
「欲求に理由を求めるのは無意味だ」突然スカートをはいた長男が、その理由を尋ねた弟に言うセリフ。