ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版
ゴジラが翻弄するひとりの女とふたりの男、そして全人類。
1954年 白黒 スタンダード 97min 東宝配給
製作 田中友幸 監督、脚色 本多猪四郎 特技監督 円谷英二 脚本 村田武雄 原作 香山滋
撮影 玉井正夫 美術 北猛夫、中古智 音楽 伊福部昭 録音 下永尚 音響効果 三縄一郎
編集 平泰陳 照明 石井長四郎
出演 宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬、堺左千夫、村上冬樹、山本廉、鈴木豊明、馬野都留子
岡部正、小川虎之助、手塚克巳、橘正晃、帯一郎、中島春雄、笈川武夫、林幹、恩田清二郎、高堂国典
2014年6月7日全国東宝系ロードショー
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1954年11月3日。伝説はこの日に始まった。『ゴジラ』公開。放射能を扱った空想科学映画。観客は映画館に押し寄せ、渋谷・道玄坂の上映館(渋谷東宝)では次回上映を待つ列は駅前の交差点を越え、ハチ公像にまで及んだという。観客動員は961万人。縦横無尽に暴れまわるゴジラの凶暴性。見るもの全ての度肝を抜いた特撮技術。切なさに満ちたラブストーリー。そして痛烈に込められた原水爆反対のメッセージ。60年の時を経た今年、ハリウッド版『GODZILLA』が製作されるなど、今なお、世界中に影響を与え続けている「ゴジラ」。「色あせないメッセージ」「時代を超えるストーリー」。そしてデジタルリマスターによって蘇る映像、音声によって「ゴジラ」は新たな伝説となる。監督は数多くのゴジラシリーズを手掛ける本多猪四郎、脚色は本多監督と『飛びだした日曜日』の村田武雄が共同で執筆、『恋愛特急』の玉井正夫が撮影を担当。音楽は、本作でゴジラのイメージを決定付けた伊福部昭が担当する。出演は『七人の侍』など黒澤明監督作品の常連・志村喬、『水着の花嫁』の河内桃子、そして東宝ニューフェイス宝田明、『宮本武蔵』の平田昭彦など。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
1954年、第二次世界大戦終結から復興途上の日本。太平洋沖で謎の船舶遭難事故が相次いだ。古生物学者の山根博士の説によれば、太古の昔から海底深くに生息していた生物が度重なる水爆実験で目覚め、暴れているのだという。その凶暴な怪獣は近海の伝説になぞらえて「ゴジラ」と名付けられた。やがて、ゴジラは本州に上陸。破壊の限りをつくし、東京を火の海にする。高圧電流攻撃、最新鋭兵器による陸海空からの攻撃にも全くひるまないゴジラ。人類に打つ手はないのか?一方、山根博士の可憐な娘・恵美子は父の教え子で天才科学者と評判の芹沢博士と許嫁(いいなずけ)同然といわれる関係であった。しかし、二人の間には次第に距離が生まれ、恵美子は最近では若くてハンサムな尾形とデートを重ねている。地下室でたった一人、秘密の研究を重ねていた芹沢は、最後の愛の告白のように、自らが行ってきた恐るべき実験の成果を恵美子だけに披露する。彼の思いを受け止める恵美子。しかし、再び襲撃してきたゴジラの猛威を目の当たりにした恵美子は、苦悩の末、ゴジラ打倒の切り札となりうる芹沢の研究を尾形に打ち明けてしまう。恵美子と尾形からの必死の説得に心を打たれた芹沢は自らの研究成果(オキシジェンデストロイヤー=酸素破壊装置)を手に、人類の存亡と恵美子との関係を賭けた悲しすぎる決断を下す。
昭和39年生まれの筆者が東宝特撮映画に初めて触れたのは映画館では東宝チャンピオン祭りで再映(カットされた再編集版なのでリバイバルとは呼ばない)された『キングコング対ゴジラ』だったか…。もしくは土曜日の夕方に放送される映画番組で、ウケが良くなかったのか白黒の『ゴジラ』や『ゴジラの逆襲』勿論、『大怪獣バラン』も、まず掛かる事が無く…当時の白黒作品に対する視聴者の拒否反応は尋常じゃなかった事が分かるだろう。仕方ないから、小学生の筆者はせめて子供向けの書籍(フォトストーリー・ブック)を読み返しては頭の中で再構築を繰り返し…それでも満足していたのだが。だから『ゴジラ』をまともに観たのは大学の頃に特集上映された“ゴジラフェスティバル1993”と、かなり遅かった。池袋の西武百貨店向かいにあった今は無きテアトル池袋という小さい小屋だったが、初観賞にかなり興奮した覚えがある。
さて、今回はゴジラ生誕60周年という事でデジタルリマスター版での再登場。従来のニュープリント版と比べてもコントラストがハッキリとして、かなり鮮明な画像となっている。ゴジラのブロンズ像が立つ日比谷シャンテ(やはりゴジラは銀座か日比谷に限る)で観賞したのだが、相変わらずゴジラ好きは大勢おいでらしく平日の夜にも関わらず7割の入りには驚いた。改めて観ると公開された年に起きた第五福竜丸事件の記憶も新しい中で、よくぞ事件を彷彿させる最初にゴジラの犠牲となる漁船シーンを組み込んだものと感心させられた。製作者たちの核に対する怒りに満ちた信念を感ぜずにはいられない。思えば広島・長崎の原爆投下から10年も経っていないのだ。
かくして、終の住処を核実験によって奪われ、己自身も大量の放射能を浴びた事によって恐ろしいモンスターとなったゴジラは怒りの矛先を日本に向けて東京を焼き尽くす。重要なのは放射能の熱線を吐き散らしたゴジラが去ったの光景だ。救護所でゴジラの放射能を浴びた女の子にガイガーカウンターを当てる職員、そして無表情な女の子の姿に胸を締めつける。このガイガーカウンターなる機械は、初期の東宝特撮映画の必需品となり、子供の筆者ですら放射能を測定するものというのは容易に理解出来たし、同時に放射能への恐怖心も植え付けられた。本多猪四郎監督は「反核を訴えるつもりで『ゴジラ』を作ったつもりはない」とインタビューで述べていた(確かにそうだろう)が、あくまでも本作は怪獣映画、娯楽として楽しめるのが大前提(娯楽に理屈をこねた映画にロクなものはない)だが、日本国民の記憶で敗戦が最近の事として刻み込まれていた時代において、放射能を体内に蓄えたゴジラの登場はショッキングな出来事であったのは間違いない。
「一旦、このオキシジェンデストロイヤを使ったが最後、世界の偽政者たちが黙って見ているワケがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている」平田昭彦演じる天才科学者芹沢博士が言うセリフ。こうして核兵器も生まれたのだ。