残穢【ざんえ】—住んではいけない部屋—
観る者の常識を覆す、衝撃の結末。小野不由美の傑作小説、待望の初映画化。
2016年 カラー ビスタサイズ 107min 松竹配給
監督 中村義洋 脚本 鈴木謙一 原作 小野不由美 製作総指揮 藤岡修 音楽 安川午朗
撮影 沖村志宏 照明 岡田佳樹 録音 高野泰雄 美術 小澤秀高 録音西山徹 編集 森下博昭
出演 竹内結子、橋本愛、佐々木蔵之介、坂口健太郎、滝藤賢一、古澤健、不破万作、上田耕一
2016年1月30日(土)全国公開
(C) 2016「残穢−住んではいけない部屋−」製作委員会
第26回山本周五郎賞を受賞した小野不由美(『屍鬼』「十二国記」シリーズなど)の小説『残穢』(ざんえ)を、ミステリーの名手・中村義洋監督(『白ゆき姫殺人事件』『予告犯』)が映画化。予定調和を許さない驚愕のラストまで、かた時も目が離せない。小野自信を彷彿とさせる主人公「私」には、人気実力派女優=竹内結子。「私」とともに調査を重ねる「久保さん」には、神秘的な魅力を放つ女優=橋本愛。初共演の2人に加え、佐々木蔵之介、坂口健太郎、滝藤賢一ら個性的な出演陣が集結。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
あなたは、考えたことが、ありますか?今、自分が住んでいる場所に、過去どんな人が住み、どんな事件があったかを…。その「音」を聞くまでは、日常でした—小説家である「私(竹内結子)」のもとに、女子大生の久保さん(橋本愛)という読者から、1通の手紙が届く。「今住んでいる部屋で、奇妙な“音”がするんです」好奇心を抑えられず、調査を開始する「私」と久保さん。すると、そのマンションの過去の住人たちが、引っ越し先で、自殺や心中、殺人など、数々の事件を引き起こしていた事実が浮かび上がる。彼らは、なぜ、“音”のするその「部屋」ではなく、別々の「場所」で、不幸な末路をたどったのか。「私」たちは、数十年の時を経た壮大なる戦慄の真相に辿り着き、やがて、さらなる事件に巻き込まれていく。
今やJホラーが、ジャパニーズホラーではなく、ジュニア(Jr.)ホラーとなってしまい、大人の怪談が好きな世代にとっては、いささか物足りない日々を過ごしていた。誤解が無いように言うが、決してJホラーの低年齢化を嘆いているのではない。事実、『劇場霊』では、後ろの席に座っていた小学生の女子たちはキャーキャー楽しく(?)怖がっていたのだから、それはそれで正しいのだ。ただ、『女優霊』の怖さに惹かれて中田秀夫監督のファンとなった者にとって、シネコンで上映されるホラー映画はアトラクションでしかなく、こんなんで怖がれるか!…と、半ば諦めていたのだ。そんなところに「そうだ!中村義洋監督がいたじゃないか!」と思い出させてくれたのが『残穢(ざんえ) ー住んではいけない部屋ー』だった。今では60巻にも及ぶ人気シリーズでレンタルビデオ店の棚を占拠している『本当にあった呪いのビデオ(以後、ほんのろ)』創成期の監督として、現在もナレーションを担当している中村監督は、やっぱり遊園地のお化け屋敷映画は作らなかった。むしろ、なんで中村監督は今までホラー映画を撮らなかったのか不思議なくらいだ。
原作者の小野不由美は『ほんのろ』をリスペクトして本作を書かれたという。それを『ほんのろ』の構成作家・鈴木謙一が脚本を書き、中村義洋が監督するのだから怖くないはずがない。問題は恐怖の方向性とターゲットとなる観客層をどこに向けるか…だ。発端は、ホラー雑誌で短編ホラーを書く竹内結子演じる作家の元に寄せられた投稿者からの手紙。橋本愛演じる投稿者は毎晩、何かが畳を摩るような音に悩まされている…という。それだけを見れば、まぁ、体験談としては中の下程度。しかし、そこに何か「引っかかり」を感じた作家は調査を進めて行く。この「引っかかり」の見せ方が、さすが中村監督は長けている。遡ると以前にも同じような内容の投稿があって、その住所が同じマンションだったという事実。そこで、同じマンションではあるものの住んでいた部屋が違う…という、次の「引っかかり」が用意されている。これが上手い。
どうやら部屋によって全く違う霊現象が起きているらしい。その理由を探るため、近所の人たちに取材していくと、点と点が線でつながり、やがて面となって現れる恐怖は正にツウ好みだ。そう言えば『ほんのろ』でも、1本の投稿ビデオで完結せずに、それを見た視聴者から新しい情報が寄せられて、次の巻で、思わぬ事実が浮上してくるのが面白かった。かくして、曰く付きは部屋ではなく建物全体…つまり、そのマンションが建つ前の住人にあったと判明する中盤まで、物語はドキュメンタリータッチで緩やかに進行するのだが、要所々々にトラップが仕掛けられ、一瞬たりとも目を離す事が出来ない。
見ている途中でビデオを先に進めてよいものか…躊躇してしまうリアリティーが『ほんのろ』にはあった。シリーズが進むに連れてフェイクと分かってきても、10の内1つか2つはホンモノなんじゃないの?と思ったり、いや逆に、それがフェイクだったとしても、この話の持って行き方は上手いよね…などと騙しのテクニックに感心させられる魅力があった。霊の映り方ももっともらしく(何を持って、「もっともらしい」のか基準は無いのだが)不鮮明だったり、視界の隅にチラッと…いたよね?と見つけてしまった時の嫌な感じ。それらを全てひっくるめて大騒ぎして怖がる楽しさは、心霊現象という不確実なものにリアルさを求める理屈の合わない矛盾…言いかえると自分は大丈夫という安全の担保が、ちょっとだけ脅かされるスレスレの恐怖を体感出来る事にある。本作は、フィクションである事が前提に作られているが、リアルに見せるテクニックは如何なく発揮され、大人の観賞にも充分耐えられるホラーに仕上がっていた。
「話しても祟られる…聞いても祟られる」劇中で、物件の真相に近づいた主人公が言われる。八方塞がりの最凶物件たる由縁に、自分のマンションはどうか?と気になってしまった。