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命の尊さや食に対する向き合い方が改めて問われている現在。今から3年前に、命と食について小学生たちが真剣に考え、討論する映画が公開され話題となった。妻夫木聡主演・前田哲監督作品の『ブタがいた教室』である。一匹のブタを小学6年生のクラスで飼育して、最後に皆で食べる事によって命の大切さを教えようとした先生と生徒たちの実話を映画化したものだ。「若い人たちに何かメッセージを伝えられる映画を作りたい」と思っていた小川勝広プロデューサーにとって『ブタがいた教室』は正に作るべくして作った映画だったと言う。最初は事の重大さを理解していなかった子供たちがペット感覚でブタを飼育していく内に、ブタを食べるか食べないか…親まで巻き込んだクラスを二分する騒ぎに発展する。「家族のように育てたブタを殺すなんて出来ない」という意見と「食べるために飼育したのだから最初の約束通り食べよう」という意見が真っ向から対立しながらも共通の思いは豚に対する愛情が根底にあったからこそ感銘を覚えた。1995年、ある映画の現場でまだ助監督だった前田氏と『ブタがいた教室』の基となった授業を取り上げたテレビのドキュメンタリー番組を偶然見た時、「“これを映画にしたい!”と、二人とも同じ思いで、すぐさまテレビ局に電話しましたね」と当時を振り返る。ところが、放送終了後の反響が予想以上に大きく、授業に対する苦情も多数寄せられ、先生の連絡先を教えてくれなかったという。「しばらく、諦めていたんですが、数年後ある映画のアシスタントに付いたスタッフの、友人の女性が偶然にも、そのクラスの生徒で、その授業を受けていた本人だったんですね。そこからですよ…再び映画化に向けて動き始めたのは」そして、1400人以上のオーディションを通過して選ばれた子供たちは一同に素晴らしい表現力をもって真剣に命と向き合う姿を我々観客に披露してくれた。何度も繰り返されるクラス会議で繰り広げられる場面で見せる子供たちの表情は、時としてベテランの俳優がするようなハッとさせられるものばかりだった。「映画の企画は子供たちに討論をさせるというのが狙いだったので、子供たちにはセリフの部分のみを空欄にした脚本を渡したんです」最初にドキュメンタリーを見た時から討論を核に持ってこようと決めていた小川プロデューサーは、全編を討論にするバージョンを始めとする数パターンの脚本を作ったという。 小川氏が映画の世界に入った理由は、学生の頃によく行っていた近所のお好み焼き屋が地上げによって、いつの間にかビルになっていたのを目の当たりにした時だという。「“お好み焼きを焼いていけたらそれでイイ”と言っていたおばあちゃんが一人でやっているような小さな店を潰してしまうのを見て、世の中おかしいだろう…と、思っていたんです」時は、ちょうどバブル時代の真っ只中。道徳感の無い金儲け主義には未来は無いと感じていた小川氏は、社会活動と金儲けを両立させないとイケナイ!その思いを訴えられる仕事をしたいと思うようになり、新聞社に勤める大学のOBを訪ねたりする中で、映画で何かを表現出来たら…と、当時大阪で『どついたるねん』のロケを行っていた阪本順治監督の制作チームに直談判して映画の仕事に携わるようになる。「間違っちゃったんですよね。一番、お金が掛かって言いたい事が言えない世界に飛び込んじゃった(笑)」と頭を掻く小川プロデューサーだが、当時の思いは今でも変わっていないという。確かに小川氏がプロデュースした作品には若い人たちに向けて“忘れてはいけない大切なもの”を題材としたものが多い。広島の田舎町で話題となったネッシーやツチノコと並ぶ未確認生物への思いを忘れられず町を挙げて捜索活動を再開する町長と子供たち…そしてかつて子供だった大人たちの夢を描いた『ヒナゴン』や、静岡県浜松市で暮らす亡くした父の思い出を引きずったままの少年が再び父への想いを乗せて浜名湖名物の大凧上げに挑む『天まであがれ!!』、事故で死んでしまった少女たちの霊が天に召されるまでの48時間で成し遂げられなかった思いを成就させるまでのファンタジー『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』等、改めて見ると『ブタがいた教室』と同様、子供の心にある純真な(ひた向きな…と表現した方が良いか?)気持ちと現実の厳しさをいずれの作品も描いている事に気づく。 こうした「辛くても頑張って生きて行こう」と子供たちに勇気を与えられる映画を作って行きたいと語る小川プロデューサーだが、邦画バブルと言われていた数年前と比べると、現在は内容が良くてもなかなか企画が通りにくくなっているという。「メッセージ性の強い映画にはお客さんが入らなくなってきているのです。以前に比べてミニシアターの数が減っているのも影響していますが…要するに全国公開規模の映画以外で小規模の作品を作ったは良いけど上映する映画館が無いというのが実情なんです」そういった意味で現在、小川プロデューサーが力を入れているのは海外セールスを念頭に置いた映画作りだという。2011年秋に公開を控えている谷村美月主演の『サルベージ・マイス』も正に世界を視野に置いた作品と言える。物語は不当な方法で奪われた美術品の窃盗を繰り返す谷村演じる怪盗マイスと現役女子高生空手家である長野じゅりあ演じる自警団のリーダーが対決を繰り返しながら巨悪組織に立ち向かうまでを描いた本格アクション映画だ。『黒帯 KURO-OBI』『KG カラテガール』でホンモノの空手シーンを取り入れた西冬彦氏がプロデューサーとアクション監督を務め、ホンモノの空手家をキャスティングする事で今までの日本映画に無かったリアルなアクション映画となった。「空手は日本でしか作れないもの…ジャッキー・チェンの映画は空手ではなくカンフーですから。空手のニーズって世界中にあって、日本に求められているジャンルなのです」いずれは小川プロデューサーの手掛けた作品が海外から逆輸入される…なんていう事もあるかも知れない。 1967年大阪府大阪市生まれ。 大阪府立今宮高等学校から関西外国語大学卒業後、1989年に大阪で『どついたるねん』のエキストラを募集していた阪本順治監督に直接交渉を行い、制作部に籍を置く。 その後、一瀬隆重監督の『帝都大戦』、桑田佳祐監督の『稲村ジェーン』、北野武監督の『あの夏いちばん静かな海』『ソナチネ』、等を経て1999年に『GUNDAM』にてプロデューサーとなる。前田哲監督と共に企画した『ブタがいた教室』では東京国際映画祭2冠 チェコ、オーストラリア、イタリア、カナダ等 各国の映画祭に招待参加された。 オフィシャルブログ http://ogawapp.hamazo.tv/ ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/小川勝広 |
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