エンディングノート
娘が撮り続けた膨大な家族の記録。感動のエンターテイメント・ドキュメンタリー
2011年 カラー DVサイズ 89min ビターズエンド配給
製作、プロデューサー 是枝裕和 監督、撮影、編集 砂田麻美 音楽、主題歌 ハナレグミ
出演 砂田知昭
2009 年、東京。熱血営業マンとして高度経済成長期に会社を支え駆け抜けた「段取り命!」のサラリーマン。67歳で 40 年以上勤めた会社を退職し、第二の人生を歩み始めた矢先に、毎年受けていた健康診断で胃ガンが発覚。すでにステージ 4まで進んでいた。残される家族のため、そして人生の総括のために彼が取り組んだのは、「自らの死後の段取り」。限られた日々をまるで現役時代のプロジェクトのごとく生き生きと駆け抜けていく父と、傍らで見守る家族の姿を、娘は映像として記録し続ける。ガン発覚から半年後、ふいに訪れる最期の時。そこに残されたものは…。長年に渡る膨大な家族の記録から紡がれる、生と死の物語。
映画『エンディングノート』は、観客の意表をつくように「本日はお忙しいなか、私事でご足労いただき誠にありがとうございます」という砂田麻美監督による口上から始まる。一人の夫であり父親である男が「死」を迎えるまでを辿ったドキュメンタリー…という最低限の情報(ポスターに大きく掲載された男性の笑顔に惹き付けられたのも事実だが)だけで劇場に足を運んだ筆者は“えっ?こういう始まりなの?”と、戸惑いながらもいつの間にか顔が綻んでいる事に気付く。かつて熱血企業人だったこの映画の主人公・砂田知昭氏は定年退職後間もなく第二の人生を謳歌しようとしていた矢先にステージ4の癌が発見され余命僅かと宣告される。その時、娘・砂田麻美は最後を迎える準備を着々と進める父親にカメラを向ける。スクリーンに映し出されるのは、まるで新しい生活を始める前の引っ越し準備をしているかのような知昭氏の姿。この世を去るまでのわずかな時間で葬儀を挙げる教会の牧師さんと会ったり、その時が来たら連絡をする知人のリストを作ったり…。勿論、事務的な準備だけではない。昔食べたアワビのステーキをもう一度食べにレストランを訪れたり、アメリカにいる孫と一緒に遊んだりと、出来るだけ心残りが無いようにひとつひとつ実行に移す冷静さに正直、驚かされる。果たして筆者自身は取り乱す事なく、死を迎えられるだろうか?若い頃は考えもしなかった“人生の最後を迎える日”について50歳を間近に控えた最近、よく頭をよぎるようになってきた。(大林宣彦監督作品『なごり雪』で三浦友和演じる主人公も同じ事を言ってましたっけ)本作の中に出てくる「私は上手に死ねるでしょうか?」という言葉…言い換えれば“人生最後の日をどんな形で迎えるか?”だ。
勿論、カメラに写っている知昭氏が全てでないだろう。カメラが回っていないところ(もしかしたら家族の誰もが知らないところ)でどんな葛藤があったか知る由もない。砂田監督はインタビューで「撮影者(ディレクター)である前に娘としての自分がいた」と語っていたがスクリーンに映し出される知昭氏の表情からもカメラの構え方がよく分かる。だからだろうか、本作にはドキュメンタリー映画にある客観性というものはない。主人公の娘という極めて近い場所にいる監督兼カメラマン(本作を映画にする…などと考えてもいなかった撮影時は監督という意識すら無かったはず)の撮影した映像はあくまでも家族の記録でありプライベートな映像である。なのに、どうして見ず知らずの他人の映像に心動かされ涙が止まらないのだろうか?答えはカメラの目が他人ではなく娘の目だからに他ならない。砂田監督のカメラは、あるルールに基づいた一線から先へは踏み込まず、明るく冗談を言いながら家族と接する映像の中の知昭氏は、(多分)いつもと変わらない普段の知昭氏なのだろう。ただし、一箇所だけ砂田監督は母親から「しばらく二人にして」と、言われたにも関わらずテープを回しっぱなしにして病室から出て行く場面がある。夫に初めて「愛してる」と言われた妻は「一緒に行きたい」と、夫の手を取り涙する。ここで“撮らない判断”と“撮る判断”を選択する局面があったわけだが、砂田監督が後者を選ばれた事自体に筆者は涙してしまった。
上映時間90分…思いきり笑って思いきり泣いた。これは幸せな人生で完結出来た男の物語だ。そういった意味においてハッピーエンドと言っても良い人生の最後を迎える知昭氏をビデオカメラで撮り続ける砂田監督。父が一生の仕事(ビデオテープの原料を扱うメーカー)としてきたビデオで父の最後を記録する…これ以上の親孝行はない。エンディングノートの内容を「死ぬ前に教えてやるもんか」と拒む知昭氏だったが最後で明かされる内容は実にアッサリしたもの。ノートの最後に記された一文…引き落としの変更をよろしく…が胸を打つ。自分の人生を整理するとこんなものなのか?確かに「死」とは大きな物事の中で「変更」なのかも知れない。真似したい!と、思った素晴らしいファミリー映画を観せてもらった事に心から感謝したい。
「私は上手に死ねるでしょうか?」知昭氏に代わって語る砂田監督の口上。これって言い換えれば“私は上手に生きてきたでしょうか?”という自問のような気がする。