日本におけるアート・アニメーション界の第一人者として世界各国に根強いファン(いや、信奉者と言った方が正しいか)を持つ黒坂圭太監督が色鉛筆によるドローイングで10年以上もの歳月をかけて完成させた初の長編アニメーション映画『緑子/MIDORI-KO』。グロテスクでユニークなキャラクターが人生を謳歌する生命力に満ち溢れた本作はオタワ国際アニメーション映画祭を皮切りに世界三大アニメーション映画祭で大絶賛され、今もなお世界各国で開催されている映画祭で上映され続けている。去る5月19日から8日間、横浜にあるショートフィルム専門館“ブリリア ショートショート シアター”において『緑子/MIDORI-KO』が期間限定上映された。さらに26日には黒坂監督によるライブドローイングのイベントも行われ多くのファンが詰めかけた。そんなイベント直前の黒坂監督に『緑子/MIDORI-KO』制作時のお話を伺う事が出来たので紹介したいと思う。


 「最初は、ささやかな一枚のイラストレーションから始まったんです」と語る黒坂監督。当初は少女がクリーチャーと向かい合って話をしているという15分ほどの短編作品だったという。「その後、企画自体が流れてしまったのですが、宙に浮いたその企画を復活させよう…と、水由章プロデューサーから声を掛けてもらって1999年から僕1人で全作画を手がける個人アニメーションのスタイルで制作を再開したのです」人間とクリーチャーが共存している日常の世界というコンセプトはそのままでアクリル絵の具でセル画を描き、DVで撮影していく方法で『緑子/MIDORI-KO』は作られていたが、デジタル環境の変革期だったこともあり、最初は16ミリフィルムで撮っていたのを効率上の問題からビデオ撮影に変更。最終的にコンピュータによるデジタル撮影となり、2002年以前に作られた映像と作画素材を殆ど没にして、2003年から新しい形で『緑子/MIDORI-KO』制作をする。「最初に描いたのは黒を貴重にしたベタっとした絵の具を使った絵で、かなり重たいイメージだったんですよ。それはそれで良かったのですが、何かやりたい事と違っていたのでしばらくそこで中断していたのですが…」という黒坂監督は、一度『緑子/MIDORI-KO』から離れて川本喜八郎監督の連句アニメーション『冬の日』(2003年)の制作に携わる。「そこで初めて『緑子/MIDORI-KO』で使った手法と同じ鉛筆によるドローイングアニメを使ったのですが、思いのほか凄く良くて手応えを感じてこれで行けるのでは…と思い、それからは迷いなくどんどん制作が進んでいきましたね」と当時を振り返る。「それまでは画風と言いたいことが上手く噛み合わなくて試行錯誤を繰り返して、それまでに作った数千枚の素材を思い切って殆どボツにしたのです」こうした決断と作業を何度も繰り返した結果、色鉛筆による繊細で柔らかな濃淡によってキャラクターたちの表情の微妙な変化が表現されている。

 手描きのアニメーションにこだわられた理由は「お恥ずかしい話、私は機械オンチでして(笑)そもそもCGとか使えたら、こういうものを作ろうとは思わなかったかも知れませんね。」という意外な答えが…。確かに、コンピューターでスマートに作り上げたとしたら、本作の特長でもある手描きによるノイズが無くなっていたであろう。不均一な(安定しない)描画によってキャラクターの鼓動や呼吸が表現され、窓から注ぎ込む陽射しに翳りが現れたり…と、アニメーションなのに気持ちが悪いほど(勿論、褒め言葉として)リアルな世界が実現しているのだ。「あの風合いを出すのに画材は何を使っていると思います?」と言って黒坂監督はおもむろに木炭を取り出して目の前のスケッチブックに線を描きそれを指でボカして見せてくれた。「指で伸ばしたり消しゴムで削ったりの作業を1枚の絵で何回も繰り返して、それを写真に撮る。その写真をつなげていくと、ああいった微妙な動きになるのです」と簡単に説明してくれたが、実際にはひとつのカットが完成するまで気の遠くなるような作業が繰り返されていたのだ。


 今まで数多くの短編アニメーションを生み出してきた黒坂監督に、表現手法におけるショートフィルムの魅力について尋ねてみた。「僕は『緑子/MIDORI-KO』も長編映画の文法(ドラマパートで話を構成するという意味)で作っているわけではないので、短編と思っているんです」言ってみれば『緑子/MIDORI-KO』は、長い(規模の大きな)ショートフィルムと位置付けているというのだ。「ある断片をポーンと見せて、その前後はお客さんに想像していただく…僕はこう思うというメッセージを出して完結するのではなく、観る人によって自分のイメージがプリズムのように変わって映る。イメージというのは観客それぞれの経験値によって変わるものでしょう?つまり観客が自分なりのドラマを作って行ってくれる。そういった自在さが短編の面白さだと思うのです」更に付け加えるならば「短編アニメーションの魅力というのは、アニメーションの語源はアニミズム(=全てのものに命が宿る)から来ていて、動かないものが動くという事だけでも素敵な事なのです。例えば、ただの石ころが坂道を転げ落ちて行く…たったそれだけの事で5分から10分の映像作品が成立する。それが短編の強みですよね」更に黒坂監督は「短編は俳句に似ているんですよね…」と続ける。例えば、古池や蛙飛び込む水の音という俳句は、松尾芭蕉がどうしても表現したかった情景。それと同じように映像作家が描きたい場面のみを映像化したのがショートフィルムだという。中編であろうが、長編であろうが黒坂監督にとって基本的な作品の構造はショートフィルムの考え方で、作品の答えは見る人に委ねる…という姿勢は今後も変わらないようだ。

 最後に、黒坂監督が次回の作品についてこう述べていた。「本作のテーマは“食べる”という事です。食べるという言葉には色々な意味がありますよね。働いてお金を稼がなくては食べていけないわけで、文字通り食料を口にする意味もあるし、強者が弱者を食い物にする…といったすごく幅の広い意味を持っています。実は東日本大震災の後で、この映画を上映すべきか悩んだのですよ」そんな時、友人から言われた“この映画は大いなる生命讃歌だ”という言葉で、その迷いは消えたという。食べて排泄する…その一環した黒坂監督が描き唱えてきた生物の循環を真正面から捉える本作こそ、今の時代に必要なテーマだと思う。「ただ、震災前に考えていた企画は全て没にしてゼロからのスタートです」と言う黒坂監督の頭の中には、どうやら次の構想が形になり始めているようだ。
取材:平成24年5月26日(土)イベント開催時 ブリリア ショートショート シアター会議室にて


黒坂 圭太/Keita Kurosaka 1956年、東京都生まれ。
アニメーション作家。武蔵野美術大学映像学科教授。自主制作8ミリ映画『変形作品第2番』がPFF'85に入選。その後、『海の唄』(1988)、『みみず物語』(1989)、『個人都市』(1990)などの短編アニメーション映画を発表。MTVステーションID『パパが飛んだ朝』(1997)は大きな話題を呼び全世界で放映される。アヌシー国際アニメーション映画祭、オタワ国際アニメーション映画祭、BDA国際デザイン大賞など、国内外のコンペで多数受賞。2003年、世界アニメ作家35名のコラボレーションによる連句アニメーション映画『冬の日』第23句を担当。2006年、ロックグループ「Dir en grey」のPV『Agitated Screams of Maggots』を発表。近年は即興アニメやドローイングなどのライブ活動も精力的に行う。2011年2月、初の長編アニメーション映画『緑子/MIDORI-KO』が第3回恵比寿映像祭(東京都写真美術館)で日本プレミア上映、合わせて原画展示やライブパフォーマンスも開催される。同年9月から都内の映画館(アップリンク)で、3ヶ月に及ぶロングラン上映、現在なお全国各地の劇場や海外の映画祭で上映が続いている。2012年3月、著書『画力デッサン人体と女の子』(グラフィック社)を刊行、全国書店で発売中。
【黒坂圭太監督作品】

平成10年(1998)
個人都市
春子の冒険
みみず物語
箱の時代

平成22年(2010)
緑子/MIDORI-KO




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