「どんな作品でも後から観ると反省点がいっぱいあるものだけど、この映画に関しては何回観ても上手く行ったな…と思えるほど完成度が高い」北村監督は、12年前に手掛けた7人の監督によるコンピレーションショートフィルム『Jam Films』(ショートショート フィルムフェスティバルの審査員だったプロデューサーの河井信哉氏が別所哲也氏と共に企画立案)の一編『the messenger 弔いは夜の果てで』についてそう述べた。脚本、撮影、編集に述べ四日という超短時間で完成させたとは思えない絶妙なバランスで物語を構築出来るのは前述の通り、ここを描きたい!という欲求から映画制作に興味を持った北村監督だからこそ成せる技。言いかえれば、マニアックな(執拗なこだわり方という意味において)題材の選び方やシーンの掘り下げ方はショートフィルム向きなのかも知れない。「ショートフィルムは4コマ漫画…最低限の起承転結があって、きちんとしたオチと話しが伝わらなくてはならない」それまで日本のショートフィルムはと言えば残念ながら、自己満足で何が言いたいのか分からない…それこそ結が無いまま終わる実験映画的な作品が多かった。一方で海外に目をやると、ジョージ・ルーカスが作った『THX 1138』以降、エッヂが効いた作品がたくさんあった時代である。「ショートフィルムというのはフットワークの軽さだったり、こいつだったら長編を撮れるんじゃないか?と感じさせる手段だと思う」長編へ広がる世界観を感じさせられるキャラクターやストーリーを意識して撮った『the messenger 弔いは夜の果てで』のコンセプトはやがて釈由美子主演のテレビドラマ『スカイハイ』へと広がって行く。

 『ALIVE アライヴ』『DUEL 荒神』『あずみ』と快調に作品を発表してきた北村監督だが『ラブデス LOVEDEATH』を最後に活動の場をハリウッドに移す。その理由を「高校を辞める時にクラスメイトに“ハリウッド監督になるから”と言っちゃったんです。言った事は実現しないとカッコ悪い…それだけですね」と述べた後、あえて日本で成功していた時期にハリウッドに行ったのは?という質問に対する答えがメチャメチャ北村監督らしくカッコ良かった。「安定とか求めていたらこんな仕事はしないので」ーその言葉通り、出演者だけではなく監督さえもオーディションで決まる…という実力社会のハリウッドは、常に挑戦し続ける北村監督にとって絶好の舞台だったのかも知れない。とにかくハリウッドに渡ってから発表された『ミッドナイト・ミートトレイン』と『ノー・ワン・リヴズ』の弾けようといったらなかった。おいおい!本場ハリウッドの監督ですら、ここまでやんねーだろ!(あっ、北村監督の口調が移ってしまった)と言いたくなるエグいシーンの根底にあるのは、『スキャナーズ』から始まる「頭を爆発させたかった」という思いを実現できるのは日本ではなくハリウッドという土壌だった…という事だ。


 北村監督は映画を作る上で重要視するのは、自分自身の生い立ちや性格を反映出来る作品であるか?という。「テクニック的に商品(としての映画)は作れるが、作品(と呼べる)とは、自分の血や肉…といった魂を入れたものだと思っている」確かに今の技術では、残虐シーンは以前に比べて作るのは難しくないだろう。しかし、そこに至るまでの主人公の感情や周辺の環境など描き方を間違えると残虐シーンはスゴくても作品として成り立たない(今まで、そういった惜しい作品に何度つき合わされた事か…)。『ミッドナイト・ミートトレイン』の脚本を読んだ時、ブラッドリー・クーパーが演じた主人公の置かれた境遇や心情が、自分の事として理解出来きたのが監督を任された最大の理由だったと語る。「主人公は、28歳のカメラマンで、金も未来も…何も持っていない。自分自身ですらもうダメかな…と思っていて、周りの友人や恋人だけが彼を支えてくれている」これって10年前の僕だった…と北村監督は続ける。「監督になりたくても誰も認めてくれず、チャンスをくれない時代があったわけです。その時、プロデューサーに“あいつ殺して埋めて来たら映画撮らせてやる”って言われたら、やったかも知れない…ハングリーっていうのは、そういうもんなんですよ」。主人公のエモーションが分かった時点で俺の話しだから作れるという北村監督の一言でハリウッド監督デビューが決まった。

 イイ作品を作る…というのは勿論、大事だがまずはそれをどう売り込むか…というセルフプロデュースの重要性を北村監督は『ノー・ワン・リブズ』を例に上げて説明する。脚本家のデヴィッド・コーエンは、送り届けてきた脚本にスゴく大きな文字で表紙一面にNO ONE LIVESというタイトルを書いていたという。「そこから勝負を懸けて来た。僕はその時点で、こいつは絶対面白いな…って感じたんです」まずは、プロデューサーや監督に脚本を開かせる…これが無いと何も始まらない。こうした戦略もクリエイターにとっては大事なサバイバル術だと北村監督は述べる。物語の核となるのはトレーラーで旅をするカップルを襲う強盗集団。レイプされかけた女の子はおもむろに犯人が手にするナイフに自らの首を押しつけて絶命する。恋人の死を前に突如、変貌する男…実は被害者の男こそ世間を賑わすとんでもない殺人鬼で、逆に強盗集団が次々と男の血祭りにあげられていく。確かに意外性もさることながら逆転の爽快感からくる不思議なカタルシスを感じる作品だった。北村監督は物語の中盤…殺人鬼が正体を露わにして次のシークエンスに移るところでとんでもないカットをブチ込んできた。最初の犠牲者となった男の死体を納屋に運び込む仲間たち。彼らがいなくなると死体がモゾモゾと動きだし殺人鬼が血まみれで現れる。そう、殺人鬼は死体を着て潜んでいたのだ。「長編に限らずショートフィルムでもキラーカットが無いとダメだ。例えば、『タイタニック』で船の先端で主人公が身体を重ねる…あれがキラーカット。映画の細かいところは忘れても10年20年経っても覚えているシーン。『ロッキー』が階段を上がって両手を高く挙げるあのシーンです。そういうショットがワンカットあるか無いかで映画の記憶が残ると思うんです」

 北村監督がキラーカットを意識して自作に取り入れたのは『the messenger 弔いは夜の果てで』の脚本を友人の漫画家・高橋ツトム(『スカイハイ』の作者だ)に見せた時に発っせられた一言だった。「面白いんだけど何かビジュアルが足りないんだよな」この一言で火がついた北村監督は主人公の記憶が蘇る時に逆再生を繰り返すアイデアに辿り着く。「僕が天才だと思っているクリエイターに指摘されると腹が立つわけですよ(笑)あのシーンが無いまま作っていたら、多分パンチの効いていない映画になっていたんじゃないかな」それ以降、北村監督は常にキラーカットを意識するようになる。そしてキラーカットとして世界から注目を集めた『あずみ』の上戸彩とオダギリジョーが戦うクライマックス…カメラが縦に360度回転するカットは、10年前の作品であるにも関わらず世界の映画祭に行く度に、どうやって撮影したんだ?と聞かれるという。「普通なら、あんだけすごいアクションをやっているわけですから、無くてもイイじゃないか?って話しになるんですけど、このカットの重要性を山本プロデューサーが理解してくれたおかげで、そのワンカットのために何百万円も掛けて半日がかりで撮影出来たんです」こうした、わずか数秒のカットにこだわり抜く…そこを妥協してしまっては何のためのクリエイターなんだ?と常に自分を奮い立たせているという。

 『スキャナーズ』の頭が吹っ飛ぶキラーカットによって映画の世界に足を踏み入れた北村監督は常に与えられた条件の中で、例え遠回りをしようとも最高の画を撮ろうとこだわり続けてきた。ある時はケンカをしてでも…その姿勢はハリウッドに渡っても変わりない。常にチャレンジしていたいという北村監督は少しでも時間が空いたら、次回作の構想を練ったり、久しぶりに帰国して友人の結婚式を全力でプロデュースしてビデオまで制作してしまう(セミナーで上映された結婚式ビデオは最高だった)。その度に問いかけるのは「そこで俺は何を出来るんだろう…」だ。だから、プライベートビデオだからとか、時間が無いから、お金が無いから…と言い訳にした作品は決して作らない。良いものを生み出そうと常に真剣勝負をしている北村監督が熱く語ってくれた映画に対する思いは映像クリエイターを目指す若者たちの心にビシバシ響いたと思う。

取材:平成26年5月31日(土)ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2014会場 表参道ヒルズ スペース オーにて


北村龍平/Ryuhei Kitamura 1969年5月30日 大阪府出身
17歳でオーストラリアへ渡り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画科に入学。卒業制作の短編映画『EXIT-イグジット-』が高い評価を受け、年間最優秀監督賞を受賞する。帰国後、映画以外の職に就きながら1995年に映像集団なパームフィルムズを結成。自主制作映画『DOWN TO HELL』が第一回インディーズムービー・フェスティバルでグランプリを受賞し、渡部篤郎主演で『ヒート・アフター・ダーク』を制作。2001年、ウルトラバイオレンスアクション『VERSUS』で長編デビュー。海外でも高い評価を受け、2003年に『あずみ』、『荒神』、『スカイハイ』、2004年に『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』そして2006年に『ラブデス』など話題作を立て続けに発表。2008年にはブラッドレイ・クーパー主演の『ミッドナイト・ミート・トレイン』でハリウッド進出。以降、活動の拠点をロサンゼルスに移し、2013年にはハリウッド進出2作目となるルーク・エヴァンス主演の『ノーワン・リヴズ』を発表。映画以外にもコマーシャル、ミュージックビデオ、コミック原作なども手掛ける。最新作は小栗旬主演の『ルパン三世』。

【北村 龍平監督作品】

平成7年(1995)
ダウン・トゥ・ヘル

平成11年(1999)
heat after dark

平成13年(2001)
VERSUS

平成14年(2002)
ALIVE アライウ゛
DUEL 荒神
Jam Films
 the messenger
 弔いは夜の果てで

平成14年(2002)
ALIVE アライウ゛
DUEL 荒神

平成15年(2003)
あずみ
スカイハイ 劇場版

平成16年(2004)
ゴジラ FINAL WARS
櫻井敦司/LONGINUS

平成18年(2006)
ラブデスLOVEDEATH

平成20年(2008)
ミッドナイト・ミートトレイン

平成24年(2012)
NO ONE LIVES
 ノー・ワン・リヴズ

平成26年(2014)
ルパン三世




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