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表情に田舎っぽさを湛える、デビューして間もない吹石一恵が、クネクネ曲がる葡萄畑の坂道を自転車で疾走する姿が印象的だった『あしたはきっと…』。舞台となった南河内地域は、大阪市に隣接する豊かな自然と歴史的文化遺産が残る風光明媚な場所だ。仲良し女子高生四人組が異性と部活に、滑った転んだを繰り返すひと夏の青春映画を手掛けたのは当時30代半ばだった三原光尋監督。あれから15年…現在は映画製作と並行して大阪芸術大学・映像科で講師をされている三原監督が再び南河内を訪れた時のこと。「久しぶりに葡萄畑で佇んでいると、色々な思いが蘇ってきて、この15年間で自分は何を得て何を無くしたか…と考えているうちに、この場所でもう一度、今の自分で青春映画を撮りたい…と思ったのです」こうして生まれたのが最新作『あしたになれば。』だ。 前作が少女たちのとりとめのない嫉妬と友情を描いたひと夏の青春ドラマだったのに対し、本作は甲子園の夢を自分のミスで断たれてしまった小関裕太演じる主人公とその悪友たちが隣の女子校と共同で町おこしのふるさとグルメを開発するひと夏を描いた、姉妹編ならぬ姉弟編。「とにかく登場人物たちをイキイキと撮りたかった」という三原監督は、6人いる登場人物の7番目の仲間のような気持ちで撮影に臨んでいたそうだ。「どうしても大人の感覚で撮影すると、上からの目線になってしまう。恋したり喧嘩する彼らを見て、この子たちと一緒に、ドキドキしながら過ごしていましたよ」常に目線は対等に…だから現場でも出演者たちとセリフの内容について色んな意見を貰っては参考にしていたという。「自分が歳をとっているから17歳らしい発想とか動き方とか、本当の17歳だったらこういう言い方はしない、と現場で初めて分かる事が多々ありました。やはり見せる事を意識して作り込んでしまう僕の気恥ずかしさというのが脚本にあって…でも僕らが思い描く17歳の物語を小関君やヒロインの黒島さんは上手く肉体化してくれました」 『あしたはきっと…』と『あしたになれば。』両作品共に、自転車が実に効果的に使われている。前者は吹石一恵演じる主人公が、図らずも大好きな先輩の自転車に乗せてもらう事となり、後者は反対に小関裕太演じる主人公が黒島結菜演じる意中のヒロインを自転車で送るという核となる場面だ。「自転車大好きなんですよ(笑)高校生の男女が放課後に自転車の二人乗りをする…っていうシチュエーションには特別な思い入れがあって、永遠に戻らない青春時代のアイテムみたいなものがありますよね」本作の冒頭では主人公たちが学校まで自転車で競争する場面が出てくるが、途中からカメラが自転車と並走する場面が印象的で、シネスコ画面の遠くに見える山々と街の風景が主人公たちの日常にしっかりと溶け込んでいるのだ。「今回の撮影を担当した鈴木周一郎カメラマンが手掛けた『おしん』を観た時、風土感というか土地で暮らす人を上手に捉えていたのでお願いしたんです。鈴木さんには出来るだけカメラを動かさないでフィックスだけで撮ってもらえるようにお願いしました」 そしてもうひとつ三原監督がこだわったのが青春映画の形を借りて家族をしっかりと描いているところだ。実は『あしたはきっと…』以降、ここ数年の三原監督作品は、家族の食卓をどのようなジャンルにおいても映画の核になるような場所にデーンと象徴的に置いている。「僕が小さいころお爺ちゃんお婆ちゃんがいる大人数の賑やかな家庭で育ったので、ワイワイした食卓に集まる時間に思い入れがあるんです。何でもないことなんだけど集まってご飯を食べる場面は青春映画といえどもキチッと描きたいな…と」本作ではふた家族の対象的な食事風景が出てくる。赤井英和演じる主人公の父親が食事の前に「合掌…いただきます」の号令を掛けて、家族揃って団らんを絵に書いたような夕食に対して、ヒロインの食卓は働きに出ている母親が作り置きしてくれた料理がポツンと置かれた素っ気ないもの。以前、三原監督はアジア諸国へ旅行した時に目にした、現地の家族が食事をする光景に、これこそが日本人が忘れかけている家族の時間だと感じたという。そこから生まれたのが、ずっと疎遠になっていた父子が、いつかダムに沈む村に住む人々を撮影して写真集を作るという物語『村の写真集』だった。「幸せな家庭を象徴するのも孤独感を浮き立たせるのもやはり食卓だと思うので、ふた家族の温度差が上手く表現できていたと思います」そして恋と友情の狭間に悩む主人公に口数の少ない父親が昔、母親に告白した時の事を饒舌に話す場面が泣かせる。「こういうのが無いと、ただの好き嫌いの味気ない映画になってしまう。赤井さんだからあの場面が出来たと思います」 三原監督の映画は町の風景がただ単に存在しているのではなく、そこに息づいている人々の生活感が伝わってくるのがイイ。「町の何でもない道端とか、その土地でロケーションするのが好きなんですね。それこそ半径数キロ以内で、自分が一番好きなところで撮りたいと思うんです。だから僕の映画では町がもうひとつの主人公なんです」三原監督の作品には観光名所という場所は全く出てこず、ともすればこの町は何県にあるんだろうか分からないことの方が多いかも知れない。でも、それでイイのだと思う。主人公の後ろに何気なく見える地元の人たちだったり、お店の看板だったりに、あぁこの町で主人公たちは生きているんだな…と観客が入り込む事が大事なのだ。例えば、『しあわせのかおり』で藤竜也扮する主人公が経営する中華料理店の前に架かっている橋が印象的だったが、実はそこにあるだけで十分、主人公の歴史を語っていたりするのだ。「僕の作品に出てくる場所は何でもないところ…地元の人が普段暮らしている行動範囲なんですよ。今回は高校生たちが学校帰りに通る道や寄り道するのはどういう場所なんだろう…って、思いながらロケハンしました。どの作品でもそうなんですが土地の風土感というのが好きなんですね」 本作は大阪芸大の教え子さんたちも撮影アシスタントとして参加されているという。「今回、映画を作る気になったのも彼らが大学で映画を作る姿が刺激になったからです。帰ってみたらピントがボケていたり、ロケ場所で怒られたりしながら一生懸命作っている姿から“映画を作りたい!という思いだけで映画が生まれる”素晴らしさを改めて感じました。それで、また青春映画を撮ろうという原動力になったんです。色んな意味でいい夏を過ごすことが出来ました」と語る三原監督はオファーがあればどんな作品でもチャレンジしてみたいと意欲的だ。「僕の根っこは、教室で作りたい映画をノートに書き出していた高校時代から変わっていない…ただの映画ファンなんですよ(笑)」 取材:平成26年12月22日(月) ユナイテッド エンタテインメント 会議室にて 三原 光尋/Mitsuhiro Mihara 1964年、京都府生まれ。 『風の王国』(92)で監督デビューし、福岡アジア映画祭グランプリを受賞した。大阪芸術大学芸術学部に在学中から映像制作をはじめ、地元関西を舞台に数々の作品を制作。1994年、大阪市が文化の発展に寄与した者に与える「咲くやこの花賞」受賞。主な代表作は、吹石一恵の名を一躍広めた『あしたはきっと…』(01)。上海国際映画祭で最優秀作品賞と男優賞(藤竜也)を受賞した『村の写真集』(04)。中谷美紀、藤竜也を起用し、料理を通して人と人との絆の大切さを謳った『しあわせのかおり』(08)などがある。 |
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