2016年6月2日、今年も恒例の『ショートショートフィルムフェスティバル & アジア 2016』のオープニングセレモニーが表参道ヒルズ スペースオーにて開催された。今年は世界100カ国以上の国からエントリーされた6000本の中から厳選された200作品がグランプリを目指す。会期も6月3日から26日まで3週間(国内の映画祭最長の会期ではないか?)と、昨年より一週間延びた。東京のメイン会場(表参道ヒルズ、ラフォーレ原宿)と、横浜のショートフィルム専門館『ブリリア ショートショート シアター』以外にも、アンダーズ東京、シダックス、二子玉川ライズの計6カ所で上映やワークショップ等、40以上ものプログラムが連日開催されていた。コンペティション部門は、去年までは平日に休みが取れない社会人にとって全作品を観る…というのは至難の業であったが、今年は上手く立ち回れば、全作コンプリートも決して不可能ではない。

 ここ数年の映画祭を比較して確実に変わったのは、オープニングセレモニーの規模と映画祭そのものに掛ける開催内容(期間も含めて)のバランスではなかろうか。ここ数年の傾向として、年々セレモニーの派手さが増していたのだが、去年からその演出に掛ける規模を適正に戻し、その分を会場数やイベントの充実を図る…つまりは、少し前の映画祭本来の在り方に戻った気がするのだが。だからと言って映画祭全体の規模が縮小されたわけではない。むしろ、映画祭がチャレンジしている内容は拡大していると言ってよいだろう。ドローンやVRのような最新技術を使った新しい映像の創出や、広告とショートフィルムをミックスさせた映像によるボジネスの分野に参入する「ブランデッドショート」の設立など、ショートフィルムならではの新しい提案が今回の目玉といっても良いだろう。それと同時に、昨年に引き続き、東南アジアの国々と連携して映像文化の発展を目指したシンポジウムや若手クリエイターに向けたセミナーも充実していたのが、今回の特色でもある。

 中でも注目したいのは、ドローンを使った新しい映像体験の創出だ。オープニングセレモニーでは、映画祭代表の別所哲也氏とアンバサダーのLiLiCoさんがレッドカーペットから入場すると、後ろから世界的フォトグラファーのレスリー・キー氏が、ドローンを引き連れて登場。室内でドローンを飛ばすのはかなり難易度が高い技術らしいが、今回は見事にステージに立つ3人のど真ん中に着地してみせた。

 ドローンが登場した初期の頃は法整備がなされていなかったため、何かと国内の報道ではマイナス面しかフィーチャーされていなかったが、最近では災害時の調査などプラス面が大きく取り上げられるようになった。従来の空撮では不可能だった小さなドローンが入り込める場所やアングルからの映像を見て驚かれた方も多かったのではないだろうか?従来の空撮でヘリやセスナを操縦するパイロットがいたように、ドローンにもリモコンで操るパイロットが不可欠なわけで、実はこのパイロットにはカメラマンとしてのセンスも必要という事だ。

 今回の映画祭で興味深かったのは、ドローンに対する関心の高さだ。6月5日に行われた『ドローンクリエイティブセミナー』には、会場が満席になる程の盛況ぶりを見せた。世界最大のドローン企業DJIによる技術力を見られる…という事で多くのクリエイターが参加したのだ。実際にドローンで撮影した映像を見せてくれたが、コチラの想像以上にクォリティーが進歩している事に驚かされた。と、同時に明らかにされたのは、やはり操る人材が重要だという事。ドローンパイロット中村佳晴氏のお話しを聞いて日々の練習というのがいかに重要かを改めて認識する。ドローン本体の性能は日々進化し続け、近い将来には成層圏から宇宙へと飛び出す事だってありうるだろう。また、電波の届かない水中は不可能とされているが、それだっていつかは解決されそうだ。問題は、どの分野でもそうだが、扱う(ここでは操縦する)人間の能力という事だ。


 恒例となった「LEXUS」と「ザ・ワインスタイン・カンパニー」による“LEXUS SHORT FILMS”のワールドプレミア上映も行われたのだが…実は、この作品が一番、衝撃を受けた。

 テレビ映画やドラマを手掛けているという日本での知名度はまだ低いアレクシィ・ミシャリクというフランス人が監督した『Friday Night』の完成度が半端なく高く、予見というテーマから現在のヨーロッパが抱える「そこにある危機」を見事に映像化している。

 物語は、まだフランスに来て間もないアメリカ人女性が友人のパーティーに出席していると、テレビで何やら大変な事が起きているというニュースが流れる…。敢えて具体的な事は述べられていないが、誰が見ても、あのパリで起こった同時多発テロを想起させるものだ。フランス語もロクに話せない彼女は、娘の安否に不安(これが予見というテーマに合致するのが見事)を感じながら、戒厳令さながらの夜の街をひたすら娘の行き先を追う。

 行く先々で得られる情報から辿り着いたのは、娘は正に事件の現場となっている場所にいるという事だった。上手いと思ったのは、事件のただ中にいる当事者を描くのではなく、娘を探しまわる母親のパニックから観客に自分事化させてしまう…という巧みな話術。余計な説明を全て削ぎ落として最低限度の映像だけで、観客に想像させる絶妙なテクニックに、ただ平伏するしか無かった。

 携帯電話で映画が観れるようになった7〜8年程前からだろうか…映画祭の中で、コンテンツという言葉がよく聞かれるようになった。東京国際映画祭でもコンテンツマーケットという言葉を使うようになったのは、それよりもっと前、ゲームがサブカルチャーの中で映像分野に進出してきた15年ほど前から使われている。私は、このコンテンツ…という言葉を映画に使われる事にずっと違和感を感じていた者の一人だ。どうしてもコンテンツというとビジネスの要素が強く思えて…いや、勿論、映画だって興行というビジネスの中で上映されるものだが、やはりコンテンツという乾いた響きの中では、文化や芸術という映画の基本から、少しベクトルが違うように感じるのだ。

 ところが、今年の映画祭は、コンテンツビジネスと、文化としてのショートフィルムを明確に分けているように思えた。多分、ビジネスとしてショートフィルムを展開する方法が成熟してきたからだと思う。例えば、企業がアピールしたい商品だったりサービスを効果的に見せたい…という要望に応えて立ち上げた新しい広告媒体が『ブランデッド・ショート』だったり、他に『地域プロモーション映像の作り方講座』も観光客を増やすための実用性を伴った映像ビジネス(…と言って良いだろう)だ。一方で、ショートフィルムのコンペティションは勿論、セミナーやシンポジウムなどクリエイターに主軸を置いた例年の内容に加えて、昨年より開催された『東南アジアのショートフィルムの現状と展望』という文化交流を促進するシンポジウムなど、将来を見据えた意見交換の場として映画祭が活用されているところに大きな意義を感じるのだ。

【オフィシャルサイト】http://www.shortshorts.org



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