人間蒸発
話題の焦点“蒸発”!その真実の徹底的追求を通して現代人の仮面をはぐ衝撃の人間ドラマ!
1967年 モノクロ ビスタサイズ 129min ATG=日活
監督、企画 今村昌平 撮影 石黒健治 音楽 黛敏郎 録音 武重邦夫 編集 丹治睦夫
出演 早川佳江、露口茂

『“エロ事師たち”より 人類学入門』の今村昌平監督が、現実に失踪した人間の行方をその婚約者と共に追う、という設定のもとに日本全国を歩き、その取材過程を映画に仕上げた。撮影は石黒健治で16ミリのカメラを使っている。カメラと隠しマイクは失踪社を探し求める家族、捜査を依頼された警察等、関係者の協力のもとに、目に見えない主人公の姿を求めて追跡を開始する。失踪者の誕生から失踪に至るまでの対人関係、家族環境、性格などを克明に把え、その姿を浮き彫りにする。また彼が誰にも話さなかった秘められた事実は無かったか。残されている住所録、手帳、アルバム、手紙、日記、メモなど、失踪者を知る上に必要なあらゆる資料を収集する。それらの資料を関係者と共に分析し、失踪の理由をさぐり、手掛かりを掴み、居所と生活状態を推理し、失踪者の全貌を明らかにすべく、彼の足どりを徹底的に追ってゆく。このカメラの飽くなき執拗な追求から生まれるサスペンスは、異常な迫力でドラマティック・ドキュメントを構成するに違いない。しかし、この映画はサスペンスが支える興味だけに終始するものではない。この失踪者の追求を通して、現代の不可思議“人間蒸発”の全貌と、この背景を浮き彫りにするとともに失踪者とその関係者、特に追跡者(この映画では婚約者の女性)側の生活態度、心の動きの中に“人間蒸発”の素地を作る要因がありはしないかという重要な点を探り当てる事により、現代社会の断面、人間の生きることの確かさ、不確かさを追求しようとするものである。したがってこの映画は、この映画の中に登場する実在の人物が主役ではなく、むしろ現代に生きる全ての人々こそが真の主役である。(日活プレスシートより一部抜粋)

“蒸発者”を探し求める早川佳江さんは、30才。俗にいうオールドミスである。灰色の壁の前に立たせれば、何時とはなしにその灰色に同化してしまうだろうし、人混みの中に放り出せば、一瞬にして群衆の中に紛れ込んでしまうような目立たない女だ。20才の時、彼女は毎週礼拝に行く横浜の教会で、そこで知り合った大学生に淡い恋心を抱いた。しかし、それも乙女の一時の感傷に過ぎなかった。両親は幼い時に病死し、6人いる兄妹は都内の各所で各々自立した生活を送っていた。そのためか、彼女は若い頃から一人で生活してゆく術を覚えた。しかも、女ばかりが大半を占める病院で調理士をしてきたせいか、男性と接する機会が極めて少なく、彼女の女らしい面は、全て生け花の稽古に向けられた。病院勤めから会社の事務員に職をかえても、彼女のこうした性格は変わるものではない。そんな彼女に、突然見合いの話しが持ち上がった。しかも、その話しを持ってきてくれた人は社長夫妻であり、相手の男性も社長夫妻の知り合いであるという。自分も既に婚期を過ぎた年齢である。
相手は大島裁氏といい、プラスチック問屋のセールスマンだった。しかも父母の故郷と同じ新潟県人で、郷里の中学校を卒業すると一人で上京し、14年間いわゆる丁稚奉公といわれる過酷な試練に耐えてきたで実直で真面目な好青年である。お互いに若い時分から人一倍苦労を重ね、地道に己の生活を切り開いてきたという境遇が、二人を急速に近づけていったとしても何の不思議はない。誰から見てもピッタリの好カップルにみえる二人は、周囲の暖かい理解のもとに結婚を誓い合った。会社の寮で味気ない一人暮らしを送り、家庭的な雰囲気に憧れていた彼にとって、彼女と彼女の姉が同居しているアパートを訪ねるのは、この上なく楽しいことだった。出張から帰ると真っ先に彼女の許に駆けつけ、彼女の心のこもった手製の食事を味わい、時間さえ忘れて語り合う日が何度かあった。そしてその都々、きまって将来のことから部屋の飾り付けのことまで二人の話しは際限なく続いた。やがて2ヵ月後、二人は婚約した。続いて結納も取り交わし、挙式の日どりも昭和40年10月10日と決めた。
その彼が、突然失踪したのだ!昭和40年4月15日。僅少の所持金と2、3の着替えを持っただけで、誰にも行先を告げずに、忽然と消えてしまったのだ。1週間が経った。1ヵ月が過ぎた。しかし会社へはもとより、最愛の婚約者である筈の彼女のもとにも何の連絡もなかった。彼の姉に付き添われ、警察庁鑑識課の家出人捜索官を訪れたのも、悲しさと不安のあまり、たまりかねてとった最後の手段だった。(日活プレスシートより一部抜粋)

改めて記録映画『人間蒸発』を観て思うのは、今ではこんな映画は作れないであろうという事だ。個人情報に関する法規制が曖昧だった昭和42年の公開当時ですら登場人物のプライバシー云々について取り沙汰されていたほど、カメラは対象者に遠慮なく肉薄してプライバシーを赤裸々に映し出す。あらかじめ脚本があって、どのように映画が着地するか…が予定されている劇映画と異なり、今村昌平監督が失踪した男と彼を探す婚約者の姿を追い続ける本作は、挑戦というよりも博打に近かったのではなかろうか?主たる登場人物は三人。新潟から上京してプラスチック食器を扱う会社で働き続けて十五年…突然、姿を消してしまった大島裁。依頼人である彼の婚約者・早川佳恵。そして彼女に同行して関係者にインタビューをする俳優の露口茂。内容は失踪した大島の足取りを追いながら失踪の原因を追求する…というシンプルなものだった。前半は大島の過去や人と成りを紹介するものであったが、中盤あたりから主軸となる失踪者探しという目的から逸れはじめてくる。多分、今村監督も予測し得なかったであろう展開(もしかして、これを狙っていた確信犯だったかも?)からが、俄然と面白くなってくる。
ギャラの交渉とかめんどくさくなって役者がイヤになったからドキュメンタリーを選んだ…と今村監督は述べていたが、皮肉にも婚約者を探す早川佳江が、七ヶ月もカメラを向けられているうちに芝居がかった仕草をするようになってくる。面白いのは、その女優がかった言い回しをする彼女を見て今村監督がイラついているところだ。冒頭間もなく看護師だった彼女が長期の撮影のために病院を退職するという事で盛大な送別会が行われる場面が紹介されるが、どうやら行方不明の婚約者を心配するよりも、映画に出る…という事を吹聴していた事が分かる。時には今村監督に食ってかかったり、婚約者が昔付き合っていた恋人に取材中、敵意をむき出しにしたり…と、かなりいいキャラクターぶりをみせてくれる。挙句に、同行する露口茂に恋心を抱き、今村監督は彼女が露口に心中を告白するところまで隠し撮りで捉えてしまうのだから大したものだ。(この隠し撮りが後に彼女の怒りに火をつけるのだが)
そして、どうやら婚約者は二股を掛けていたらしいとされる佳江の姉サヨの登場によって本作は最高の盛り上がりをみせる。幼い頃から姉を嫌っていた佳江が、追求してもノラリクラリと否定するサヨの姿は、まるで怪奇映画を観ているような感覚に襲われる。もうこうなってくると蒸発した大島の安否はそっちのけで事態は集束出来ない方向へと進み始める。「ドキュメンタリーと言えども完結したドラマにしなくてはならないという意識もあった」という今村監督だったが、蒸発者にたどり着くよりも佳江がサヨと大島の逢引疑惑に焦点を当てて、霊媒師を呼んだりするアナーキーな展開に一瞬たりとも目が離せない。製作費も底をつき焦るプロデューサー。その極限から生まれたサヨと大島の蜜月現場を目撃した魚屋が、逆にサヨに問い詰められ、問題の場面に突入するまでの緊張感。何故かその魚屋まで参加して二股疑惑について話し合われる料亭の一室が、今村監督のひと声でバラされる…実はセットだったというドキュメンタリーにはあるまじきどんでん返し。
この映画は一人の男の失踪事件を追いかけたものかと思っていたが、役者が嫌になった果てにドキュメンタリーを選んだ映画監督が偶然の元に発掘してしまった、素人女がリアルな心情を吐露する面白さをカメラで捉える事に成功した極上の女性ドラマだった。ところが映画には描かれていない後日談がある。完成披露試写会で初めて映画を観た早川佳江が隠し撮りされていた事に腹を立て「プライバシーの侵害だ」と雑誌社に訴え、全てのフィルムを破棄するよう求めてきたのである。(当時の記事は評論家・佐藤忠男氏の「今村昌平の世界(学陽書房刊)」に掲載されている)結局、配給の日活が話題作りに彼女を焚きつけた騒動であり、映画は無事に公開された。それから25年が経ち、今村監督は二人の娘を持つ母となった彼女と再会した時の様子が自身の著「映画は狂気の旅である(日本図書センター刊)」で紹介されているのを発見する。「あの時、監督に図太く生きろと言われて、強くなりました」と感謝の言葉を告げたという一節に、人間の呆れる程の可笑しさと滑稽さが何とも愛おしく思った。
「実感なんてものはあまり信用出来ないですよね?これはフィクションなんです」リアルな人間を求めてカメラを回して行く内に対象となる女性が自分を演じ始める滑稽さ。
|