にっぽん戦後史マダムおんぼろの生活
戦後にっぽんは女の肉体からはじまった!
1970年 モノクロ スタンダード 105min 東宝
製作 堀場伸世、小笠原基生 監督、脚本 今村昌平 撮影 栃沢正夫 録音 長谷川良雄
出演 赤座たみ、赤座悦子、赤座あけみ、赤座昌子、赤座千枝子

『豚と軍艦』の舞台である横須賀で、バー「おんぼろ」を経営していたマダム・赤座エミ子に、戦後25年間のニュースフィルムを見せて、当時の体験を語ってもらい、その様子を記録する、内容的には『にっぽん昆虫記』の実録版であり、『人間蒸発』のドキュメンタリー・手法を用いて、女の肉体を通して描いた戦後二十五年史。脚本・監督は返還前の沖縄でオールロケを刊行した『神々の深き欲望』の今村昌平。撮影は栃沢正夫が担当。今村監督が国際電話で赤座に出演交渉をする冒頭から映画は始まる。どのような質問にも臆すること無く答える赤座の姿に戦後日本を生き抜いた女の強かさを垣間見る。

横須賀の丘の上に一軒の立派な家がある。この家の主人公は、六十を越えた元気な婆さんである。今日はアメリカへ遊びに行っていた長女がおみやげを買いこんで帰ってきた。彼女は、堂々と肥ったマダムである。お人好の次女も嬉しそうに話を聞いている。アメリカには三女が米軍のパイロットと結婚して住んでいて、今度子供が生まれたのを機会に長女が代表格で、行ってきたというわけである。悦子の娘たち、即ち婆さんの孫たちも、バスト一メートルをこえようというグラマーぞろい。女ばかり三代のバイタリティにあふれた一家である。彼女たちは戦後まもなく田舎をとび出して、女であるという条件を武器に奮戦してきた。原爆、ヤミ市、戦争孤児、パンパン狩り、彼女たちの特需景気もたらした朝鮮戦争。ほんとうにあの頃は忙しかった。黒いジョーも死んだし、白いジョーも死んだ。そして沢山生まれた混血の孤児たち。エリザベス・サンダースホームの昔のフィルムを無心に眺める混血の孫娘。彼女たちがひとつの生きた戦後史ならば、ニュースも単なる過去の再現でなく、生きた姿として登場してくる。この一家に二十五年間の記録フィルムを見せ、それに触発されてあけすけに語られる感想や一家の生々しい記録。そこに戦後日本の歩みと、この一家の歩みがときに交錯し、ときに離れ、二つの流れとなって生きはじめる。そしてカメラはさらにこの一家の現実の生活にも鋭く斬り込んでくる。父権も夫権もないこの女三代。増殖するたくましい女たち。今もその生き方を変えようとしない女たち、彼女たちの戦後には日付はなかった。

以前、『にっぽん昆虫記』に関する今村昌平監督の手記で、「シナリオを書く時に、売春斡旋をしている女の事を徹底的に調べたところ事実の方が面白くて、それをシナリオにしたら、その面白さが出なかった」と書かれていたのを思い出した。事実は小説より奇なり…今村監督はフィクションでは再現できない生の人間の面白さを追求するため何本かのドキュメンタリーを製作した。その売春斡旋業の女が今村監督の頭に残っていたのだろうか?本作に出ている赤座エミ子という女は、生き様や人生観など『にっぽん昆虫記』の主人公に共通するものが多く、たいへん面白く見る事ができた。
『神々の深き欲望』を撮り終えた今村監督は、戦後、教師たちの考え方がどのように変わってきたかを、かつて教え子だった生徒たちの証言から描いたドキュメンタリーを企画していた。それを聞いた日映新社は、自社が所有する莫大な記録フィルムと結びつけて映画に出来ないか…と提案してきたのが発端らしい。そこから派生したのが、戦後25年、敗戦から日本が辿ってきた変遷を当時のニュース映画を赤座エミ子に見せながら、彼女が生きてきた断片を語らせよう…というのが今村監督の製作意図であった。赤座が経営するバー『おんぼろ』の壁に投影されるニュース映像は敗戦の日の玉音放送に始まり、下山事件、日米安保、連合赤軍…そして朝鮮戦争など日本を震撼させたものばかり。面白いといったのは、今村監督の思惑と違って、赤座がこれらのニュース映像に全く興味を示さなかった事だ。今村監督の狙いは、日本の家庭と天皇制の崩壊。男尊社会の戦前から敗戦を目の当たりにした女性が家長制度が偽りであったと気づいた時、ひとりの女性がどのようにして自分の力で生き抜いて来たかを、浮き彫りにするはずだったのだが…。
ここで重要なのは冒頭で映し出される屠殺場のシーン。牛の頭をハンマーで叩き絶命させてから解体するまでの様子が映し出される。赤座の家庭は、吉倉で屠場の仕事をしており、自身が語っているように部落出身者である事が、日本人を語る上で大きな意味を持つ。解体され牛肉となり食卓に運ばれるのを、吊るされて順番を待つ牛の屍体は、多くの日本人が敢えて見ようとしない「棄民」を想起させてやまない。今村監督がよく使う「棄民」とは、国家から見棄てられた日本人の事を示す。それは、からゆきさんだったり、沖縄県民(何と、45年前から政府のやっている事は変わってない)だったり。日活を離れて独立プロを立ち上げた今村監督は、日本国家のご都合主義の犠牲となって放り出された人々を拾い上げる事をやってきた。赤座にとって自分をはなから棄てていた日本社会や皇室のニュースよりも日々の糧が重要だという思いが幼い頃から身体に染み込んでいるのだ。
例えば、ベトナム戦争で起きたソンミ虐殺事件の写真を今村監督が赤座に見せた時に「私は自分の目で見たものしか信じないから」という言葉を返す。彼女にとって戦争の悲惨な出来事よりも店に出入りしてくれる客のアメリカ人兵士の方が重要なのである。『豚と軍艦』の舞台だった横須賀ドブ板横丁で外人バーを経営して、客だった米兵と結婚離婚を繰り返し、ビジネスではかなり成功していたものの、いわれのない差別を受けてきた彼女にしてみたら、そんな偽善者ヅラした日本人に、ふざけるなという思いであっただろう。故郷を捨てて東京に出ていく男を歌った村田英雄の「王将」を聴いて魔涙ぐむエピソードは印象に残る。
結果、今村監督の想定していたものではなかったとしても、一人の日本人を戦後のニュース映像と交互に写す事で、社会と個人の距離が、あまりに離れている事実を明確に出来たのは流石だ。ラスト、遂には日本を捨てて夫となる米兵と共にアメリカへ出発する彼女が「二、三年して市民権とったら、こんな水兵(夫)蹴飛ばして向こうでスナックを開く」と笑った姿に失笑してしまった。公開当時は、こんな彼女の厚かましさに嫌悪感を覚えた評論家先生も多かったが、45年も過ぎた現在では、もう少し冷静に赤座エミ子という人間を見ることができる。余談だが、当時、今村プロダクションには、後に『太陽を盗んだ男』を監督する長谷川和彦がいた。1970年9月号の「シナリオ」に掲載された採録シナリオを起こしているのは彼だ。撮影中、今村監督のおよび腰に不満を持っていたようだ。
「“何してあの人達は食べているんだ”って言うから、“ウチらが税金払ったお金で食べてるんだ”って」皇太子御成婚のニュースを見て尋ねた米兵にエミ子はこう答えた。
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ビデオ、DVD共に廃盤後、未発売 |
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