恋の罪
ようこそ、愛の地獄へ。渋谷区円山町―ラブホテル街の殺人事件。
2011年 カラー ビスタサイズ 144min 日活配給
製作 鳥羽乾二郎、大月俊倫 プロデューサー千葉善紀、飯塚信弘 監督、脚本 園子温
撮影 谷川創平 編集 伊藤潤一 照明 金子康博 録音 渡辺真司 音楽 森永泰弘
出演 水野美紀、冨樫真、神楽坂恵、児嶋一哉、二階堂智、小林竜樹、五辻真吾、深水元基
町田マリー、大方斐紗子、津田寛治、岩松了
2011年11月12日(土)テアトル新宿ほか全国ロードショー
(C)2011 「恋の罪」製作委員会
今、世界中から新作が待ち望まれる映画監督・園子温が、1990年代に起こった渋谷区円山町ラブホテル街の東電OK殺人事件からインスパイアされた禁断の世界を描く。サスペンスフルな物語に、圧倒的な演出力で人間の光と影を美しく鮮烈に描く。監督自身が「代表作」と語る本作は、本年度カンヌ国際映画祭の監督週間でワールドプレミア上映され、スタンディングオベーションが巻き起こり現地でも大きな話題を呼んだ。悪の華をスクリーンに咲かせる妖艶なヒロインには、役者生命を賭けた渾身の演技で挑む3人の女優たちが抜擢された。『踊る大捜査線』シリーズを始め、自ら演劇ユニットを主宰するなど精力的な活動を行っている『花子の日記』の水野美紀、『犬、走る』『凍える鏡』など数多くの映画や舞台で活躍する冨樫真、そして『冷たい熱帯魚』の演技も記憶に新しい神楽坂恵が、「最高の女優映画」と賞賛されるにふさわしい体当たりの演技バトルを魅せてくれる。撮影は『紀子の食卓』以降、何度も園子温監督作品に参加している谷村創平が担当して怪しくも艶やかな世界観をカメラに収めている。また、詩人・田村隆一の“帰途”を引用した分学的アプローチ、マーラー交響曲第五番を使用するなど映画全体をバロック建築のような荘厳さで構築されている。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
どしゃぶりの雨が降りしきる中、ラブホテル街のアパートで女の死体が発見される。事件担当する女刑事・和子(水野美紀)は、仕事と幸せな家庭を持つにもかかわらず、愛人との関係を断てないでいた。謎の猟奇殺人事件を追ううちに、大学のエリート助教授・美津子(冨樫真)と、人気小説家を夫に持つ清楚で献身的な主婦・いずみ(神楽坂恵)の驚くべき秘密に触れ引き込まれていく。事件が起こる数ヶ月前…貞淑な妻を演じていたいずみは、結婚後初めてスーパーのパートを始める。そんな彼女にモデルプロダクションのスカウトと自称する女性からグラビアの仕事をしないかと誘われる。後日、スタジオに顔を出すと、そこはアダルトビデオの撮影現場だった。当初、戸惑っていたいずみだが次第に変わりはじめ、大胆な日常を送るようになる。ある日、いずみは渋谷で美津子に声を掛けられる。昼は大学のカリスマ助教授でありながら夜は渋谷のラブホ街で立ちんぼをして男に身体を売っていた。いずみも誘われるまま夜の渋谷で男を誘うようになり、そして…。事件の裏に浮かび上がる真実とは?3人の女たちの行き着く果てには激しい愛像が渦巻く結末が待ち構えていた。
園子温監督の作品は上っ面だけを見ると過激で猟奇的で嫌悪感を覚える人の方が多いだろう。『自殺サークル』『紀子の食卓』では彼が一体どこへ向かおうとしているのか理解出来なかった。ところが、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』あたりからグロテスクな映像と過激を通り越して挑戦的な展開の中にナイーブ…とも言える優しさを感じるのだ。人によっては(多分、大多数と思われるが…)女性に対しての倫理観や道徳観の欠落した描き方に嫌悪感すら覚えるだろう。本作『恋の罪』に出てくる女性たちの前では“貞淑”等という言葉が虚しく空回りする程意味を成さない。正に“貞淑”という足枷を園子温は切断しようとしているように見える。いきなりラブホテルのシャワールームで後背位で激しいセックスに耽る女性のアップで始まり、物語が進むにつれて彼女は女刑事で、しかも夫の後輩と不倫関係にある事が分かる。彼女は猟奇的なバラバラ殺人事件を担当するのだが、本作は決して彼女が事件を解明するプロセスを描いた安直なサスペンスでは無い。ラブホテル街にある廃屋となったアパートで発見された死体には子温監督はあまり意味を持たせてはいない。マネキンの胴体に縫い付けられた人間のパーツ…その映像が映し出された時に初めて詩人・園子温の作家性を感じた。彼が作り上げた一連の作品は全て女性をリスペクトして(信じられないだろうが…)抑圧された立場から解放しようとしているのではないか?その逆の立場で自由奔放に男に身を売る娘を忌み嫌う実の母(大方斐紗子の怪演は『冷たい熱帯魚』のでんでんと双璧!)は女たちの変化に対するアンチテーゼとして位置付けられているのが面白い。
映像と映像を繋ぐ言葉に意味を持たせない…映像の断片がそれぞれ独立しており、だからこそ布石を置く等という手法は取らないのが園子温流。同じく詩人にして映像作家ピエル・パオロ・パゾリーニの表現に似ていると思うのは私だけだろうか?悪名高き忌まわしい傑作『ソドムの市』も言葉は意味を成さない。(詩人なのに!『アポロンの地獄』の頃はもっと流弁だった)文字と言葉は同等ではない…文字を言葉にするくらいならば映像だけで表現した方がマシ…とでもいうのだろうか?興味深いのは劇中、田村隆一の詩“帰途”の一辺を象徴的に使っている事だ。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる」園子温もパゾリーニにも言葉を否定しているのではなく映像表現をする時に言葉に頼る事を嫌っているのではないか?と、ここで初めて気がついた。そうなのだ…詩人にとって自分の思いを表現する文字や言葉や映像はツールでしかないのだ。
その思いを体現して見せる三人の女たち。ベストセラー作家の妻で専業主婦のいずみ(『冷たい熱帯魚』に続く神楽坂恵の好演)と大学のエリート助教授・美津子そして前述した殺人課の刑事・和子…彼女たちの行動は間違いなく世の保守的な男性が顔をしかめるものばかりだ。冨樫真演じる美津子は大学のカリスマ助教授でありながら夜になると渋谷の円山町にあるラブホテル街で身体を売る…しかも3千円から5千円と男性客の言い値でだ。彼女の言い分としては「愛の無い男とセックスをする時は千円でもイイから金を取れ!」というもの。まるで金を介する事でその行為は“不貞”ではなく“ビジネス”だと言わんばかりに。こうした女たちの解放を前に男はアイデンティティが崩壊してコントロール不能になる。いずみがバイトしているデリヘルに夫が客として来ていた事が分かるシーンが上手い!堅物で彼女を抱く事すらしなかった夫が、実は商売女を性の道具としていた…という事実を前に破綻したのは彼女ではなく夫だったというのが最高のパロディだ。
「涙の意味を知らなかったら、それは目から流れるただの水なのよ」全てに呼称や意味を持たせている人間は自ら足枷をはめている…とでも言うのだろうか?美津子がいずみに言うセリフだ。