2003年『ジョゼと虎と魚たち』で若い女性を中心に平成における日本映画ブームの火付け役となった犬童一心監督。以降、独自の柔らかいタッチで描き上げた『メゾン・ド・ヒミコ』や『黄色い涙』『グーグーだって猫である』を立て続けに発表し若い女性から圧倒的な支持を受け、『眉山』では日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する等、今や日本を代表する映画監督である。そんな犬童監督が審査員を務めた“ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2011”(以降SSFF & ASIA 2011)と東京都との共催による若手映像作家の育成と映像を通した国際的な芸術・文化交流の振興を目的としたセミナーに講師として招かれた。平成23年6月18日、表参道ヒルズ スペース オーで開催されたセミナーでは、技術論からのアプローチではなく犬童監督自身が映像に興味を持った少年期の話しから、映画界へどのように入り、そしてこれからの映像作家にとって何が大切か?についてたっぷりと語られた。中盤には、犬童監督が実際に映画の世界に入るキッカケとなったショートフィルム『金魚の一生』の上映も行われ、最後のティーチインでは予定時間をオーバーする程、参加者から次々と意欲的な質問が寄せられた。

 司会を務めるSSFF & ASIA 2011フェスティバル・ディレクターの東野正剛氏より紹介され登壇された犬童監督が、まず最初に語ったのは小学生時代にテレビで放映されていた洋画劇場の映画に夢中になった時のエピソード。当時の日本映画界は、かつての隆盛は下火となり斜陽産業と囁かれはじめた頃だ。「家の近所にあった映画館が潰れて、映画を観るというのはテレビの洋画劇場だったわけです。早く家に帰って、カットされまくっていた吹き替えの映画を観ている内に興味を持ちはじめたんですね」そんな小学校5年生のある日、犬童少年に劇的な変化をもたらす映画が放映された。ビリー・ワイルダー監督のコメディ『ワン・ツー・スリー』である。「あまりの面白さに新聞で誰が作ったのかを確認したんのですが…ここからですね、監督を意識して映画を観るようになったのは」その後、何度も放映される度に“映画はストーリーだけではない”という事が何となく分かってきたという犬童監督は、『ワン・ツー・スリー』との出会いを境に細部まで映画を観るようになったそうだ。その後、マカロニウエスタンでセルジオ・レオーニ監督とクリント・イーストウッドにシビレタ等の思い出を語ってくれたのだが、話しが盛り上がる度に「あっ、ダメだ…こういう話しをすると長くなくなっちゃうからここで止めておきます」と連発されていたのが印象に残る。中学生になってから隠れて名画座に通った話しとか、ベルナルド・ベルトルッジ監督の『暗殺の森』を観に行ってビットリオ・ストラーロのカメラに衝撃を受けた話し、ヌーベルバーグやアメリカンニューシネマからどのように影響を受けられたのか…なんて、時間を気にしなければずっと聞いていたいと思う程、面白い内容だった。

 そんな少年時代を過ごしてきた犬童監督は『ワン・ツー・スリー』を目にして以来、常に映画という存在が「厳然と“そこ”にあった」のだという。「年齢を重ねるに連れて、僕自身が映画に近づいて行ったんですね」と語る犬童監督が自宅にあった同録の8ミリカメラを手にしたのは18歳の時。「好きな映画を観ている内に、その先はどうなっているんだろうか?と扉を覗くような感覚でしたね」そして初めてカメラを片手に映画を撮ったのが1978年4月4日…キャンディーズ解散コンサートが後楽園球場で行われた当日だった。「その当時、映画は時代と密接に関係しているものだという意識が強かったので、自分が今いる時代に起こった事を記録しておかなくては、という衝動に駆られたんです」と当時を振り返る。「キャンディーズというアイドルグループの解散で日本中の若者が異様な盛り上がりをみせているのが、すごく面白かったんです。その状況を映画の中に取り込む事によって'78年の春を残したかった」犬童監督と同様に主人公も映画を撮りたいのだけど何を撮って良いか分からず、キャンディーズ解散の日を過ごしている…という物語を作り上げた。その後、大学に進学してから映画研究部で何本か映画を撮り続けていた犬童監督だが、卒業後は意外な事に映画の道に進むのではなく広告会社(ADKアーツ)にプロダクションマネージャーとして就職し、CM製作に携わった。「要は、ビンボーしたくなかったんですよ」と笑う犬童監督。「僕の時代は、大学で自主映画を作ったからといって映画の仕事にそう簡単に就けるものではなかった。助監督を経験して何年も下積みをしてから、それでも撮らせてもらえるかどうか分からない…」という犬童監督が選んだ道は、まずは映像の仕事で安定した収入がある広告業界で映像のスキルを上げるという事だった。

【犬童 一心監督作品】

昭和57年(1982)
赤すいか黄すいか

平成5年(1993)
金魚の一生

平成6年(1994)
二人が喋ってる。

平成12年(2000)
金髪の草原

平成14年(2002)
伝説のワニ ジェイク

平成15年(2003)
ジョゼと虎と魚たち

平成16年(2004)
死に花
ポチは待っていた
 空き地
 唄う男
 思い出
 病院

平成17年(2005)
タッチ
メゾン・ド・ヒミコ

平成19年(2007)
眉山
黄色い涙

平成20年(2008)
グーグーだって猫である

平成21年(2009)
ゼロの焦点




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