CMを作り続けてきた事が映画制作に役に立っていると語る犬童監督は、映像を作ろうとしている若いクリエイターに向けて「大事なのは“やらされる”という事」と述べた。つまり、自主映画を作るという行為は自分の趣味思考で行われており、自分の好きな範疇で完結してしまうため、そこからスキルは広がらないというわけだ。しかし、広告の場合は、商品を宣伝するための演出をしなくてはならず、それが(自分の好き嫌いに関係なく)“やらされる”事だという。そこには「自分が知らない自分を発見出来る」というメリットがあり、犬童監督はCMの仕事を通じて3つの発見をしたと語る。

 「最初に任せられたのは、オモチャとかお菓子のCMでしたが…そうした商品のCMはアニメーションが多く、それまでアニメーションに全く興味が無かった自分が“やらされる”事によって色々な発見が出来たんです」なるほど…確かに自分の好きな事だけでは、それ以上の発展が見込めないという事はよく理解出来る。もうひとつの発見として犬童監督は自身の中に音楽的志向があった事を挙げている。「CMは人を歌わせたり踊らせたりする事が多く、それまで自分の中に音楽的志向が全く無かったのですが、やってみると映画としての面白さを発揮出来るものだというのが分かったんですね」新作『のぼうの城』の中に登場する打楽器を使用した音楽シーンにおいて、CM撮影時の経験が活かされたそうだ。そして最後の発見は、スチールとしての映像の面白さ。「それまでは、演出をするという事は、俳優に何かをさせるものだ…という意識が働いていたのですが、逆に何もさせない方が画(え)として素晴らしくなる事があると実践で学べたわけです」広告の世界は元々スチールに対する意識は高く、最高の一瞬を切り取るために真剣に取り組んでいる。つまり写っている人物の魅力をありのまま残す…という事が映画製作にものすごく役立ったと犬童監督は語る。例えば『メゾン・ド・ヒミコ』の撮影時、出演の田中泯が打ち合わせの時“僕は演技が出来ないから、ひたすらどう存在すれば良いかだけを考えます”と言われた時の事…。「泯さんに何かをさせるのではなく、泯さんの思いを映画の中で守っていく事が演出なんだ…という事がものすごく良く理解出来たんですね」完成した作品を観ると確かに田中泯は何もせずに佇んでいるだけで言葉以上の表現をされているのが良く分かる。

 今回、犬童監督のセミナーを通じて感じたのは、チャンスを生かすも殺すも実績が無ければ何も始まらないという事。自分の世界の中で好きな作品だけを撮り続けるという選択肢も否定はしない。しかし、目標を商業ベースに乗るような映画監督になることを目指しているのであれば、井の中の蛙となっていては何も広がらないのだ。犬童監督はCM業界という映画とは似て非なる世界に入り、自分が好むか好まざるかは関係ない仕事をコツコツと丁寧にこなしていくうちに、様々なノウハウやテクニックを手にする事が出来たのである。もうひとつ印象に残ったのはCM業界には常にスポンサーがいるという事実。どんなに自分が良いと思った作品でもスポンサーが「NO」と言えばそれまでなのである。そこを突っぱねるか歩み寄るか…そこは各々のクリエイター次第だが、大事なのは、そのダメだしから何が生まれるか(生み出すか)という事なのだ。個別インタビュー(詳しくは本サイトのインタビューページ参照)で語られていた市川準監督との出会いにしても、出会いそのものは偶然かも知れないが、そこから先は犬童監督が培って来たスキルがあってこそチャンスをモノに出来たのである。今、映画監督を目指す若きクリエイターたちに必要なのは頭でっかちにならず自分の目標をどこに定めるか…ではないだろうか?

取材:平成23年6月18日(土)ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2011 表参道ヒルズにて

【犬童 一心監督作品】

昭和57年(1982)
赤すいか黄すいか

平成5年(1993)
金魚の一生

平成6年(1994)
二人が喋ってる。

平成12年(2000)
金髪の草原

平成14年(2002)
伝説のワニ ジェイク

平成15年(2003)
ジョゼと虎と魚たち

平成16年(2004)
死に花
ポチは待っていた
 空き地
 唄う男
 思い出
 病院

平成17年(2005)
タッチ
メゾン・ド・ヒミコ

平成19年(2007)
眉山
黄色い涙

平成20年(2008)
グーグーだって猫である

平成21年(2009)
ゼロの焦点




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