|
晴天の秋空に恵まれた平成25年10月28日、“ショートショート フィルムフェスティバル & アジア”の特別イベントとして、東京都写真美術館の映像ホールにて“ショートショート アジア実行委員会”主催による「FOCUS ON ASIA & ワークショップ」が開催された。今年、講師として迎えたのは日本全国にブームを巻き起こしたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』のチーフプロデューサー訓覇圭氏。平均視聴率20%以上という驚異の数字を叩き出したドラマの企画立上げから制作まで、訓覇氏から次々と飛び出すウラ話に会場は大いに盛り上がりを見せた。 「えー、『あまちゃん』が終わりまして、次々と取材を受けるのですが、なかなか一言で答えられないモノが多く(笑)今日はたくさんお時間がいただけたので、じっくり自分でも整理しながら、お話したいな…と思います」という訓覇氏の言葉から約4時間に及ぶワークショップの幕が切って落とされた。「自分は普通のプロデューサーよりも現場寄りの人間だと思います。だから、どうやったらウケるのか?とかヒットの秘訣は?という質問には弱いです」時計代わり(毎日同じ時間に放送されるから)と言われるほど、生活に根付いた存在である朝の連続テレビ小説の企画をする事となった訓覇氏が、まず最初に考えたのは、笑える朝ドラを作りたい…という事。ちょうど、企画が立ち上がった年は、我々日本人が今まで体験したことがない未曾有の大災害を体験した2011年。日本全体に重く立ち込めた空気の中から、今までになかった"笑える連続テレビ小説"というコンセプトが生まれたのは必然的だったのかも知れない。 以前、朝ドラに興味があると発言されていた宮藤官九郎氏との最初の打ち合わせで、思いもよらない言葉が宮藤氏から飛び出した。「テレビドラマだけでも明るいものにしたいですよね」その言葉に訓覇氏はある種の確信を感じたという。そして、数ヶ月後、2回目の打ち合わせで『あまちゃん』の骨子となる提案が出される事となる。「方言をしゃべる地元アイドルが村興しする物語はどうですか?」その言葉に電気が走ったという訓覇氏。「どの作品を作る時も電気が走る瞬間があって、それは、イケると思った時なんです。結果的にこの打ち合わせで出てきた提案は『あまちゃん』の終わりまで貫かれるコンセプトとなったのですから。気がついたら、"ママもアイドル"という仮のタイトルまで付けられていましたね(笑)」この2時間の打ち合わせ(後に伝説の2時間と言われる)は訓覇氏にとって衝撃的で、その時“これはイケる”と直感したという。「俺たちは朝を楽しむんだ…というコンセプトは宮藤さんも終始一貫していて、そこから、最後まで全くブレていない。宮藤さんが方言を書きたいと言った事が、こんなに大きな事だったのだ…と、後になって改めて思いましたね」 方言をしゃべる地元アイドルの物語という骨子が決まったところで、3回目の打ち合わせの議題は舞台となる地域をどこにするか?だった。そこで宮城県出身の宮藤氏から提言されたのは、東北弁の持つ面白さ。最初は東北の秘境という海ではなく山をイメージしていたという。話はこうだ…東北の山間部にある村に伝わる伝統芸能(河童舞いという架空の踊り)が大好きな少女がいて、今まで見向きもされなかった伝統芸能が、やがて全国から注目されるようになり、彼女を見るため多くの人が訪れて村がテンヤワンヤの末、町興しが始まる。やがて少女はアイドルになりたいと東京に出て行く…と、いう内容は正に『あまちゃん』の原型だ。「ここまで来たらとにかく取材(シナハン)を進めて、ドンドン事実を宮藤さんに投げて行こうと腹を決めました」ただ、取材を開始してプロットが具現化してきた2011年9月は、まだ震災の爪痕が残っており、日本全国の街から明かりが消えていた頃だ。その頃はフィクションで震災について触れるのは早いのではないか?という思いと、東北を舞台として選んでいるのに山間部というのはどうなのか…という二つの迷いが訓覇氏にあったという。ところが、取材を開始した早々、久慈市という街と海女さんとの運命的な出会いをする事となる。地元の人たちに取材を進めて行くうちに、海女をやっているお婆ちゃんの全く理解できない強烈な方言…あの名セリフ"じぇじぇじぇじぇ!"が登場したのだ。「久慈市に住む人の良さが次第に分かってきたんです。鉄道の方にお話を聞いた時、"ずっと赤字で…"と、ネガティブな事を明るく話してくれて…そんな街の人の昔話が愛せたんです」"この街はもう終わりだ"とか"病院が郊外に移転した時に病人すらいなくなった"という話をする地元の男性たちだが、夜はスナックで元気になる。そんな自虐の美学を持つこの街を訓覇氏は好きになったという。とは言え、久慈市という何の特徴も無い地方の田舎町を舞台とするのは大きな博打だった。東京に戻った訓覇氏は、早速、宮藤氏に街の様子を説明して再び宮藤氏と共に久慈市へ。3日間、取材をした宮藤氏は最後に一言「ここは選ばれた場所のような気がします!」そして東京に帰る車中で行われた打ち合わせ(曰く―伝説の3時間)で前半部・北三陸市編のプロットが固まり、『あまちゃん』の原型が遂に完成したのだ。 |
|
Produced by funano mameo , Illusted by yamaguchi ai
copylight:(c)2006nihoneiga-gekijou |