「それぞれが重いものを持っているので、それをどうやれば、お客さんもスッと入りやすく観られるか…そのさじ加減が難しかった」原作では、母親に対する罪の意識がトラウマとなっていた公生が一進一退を繰り返しながらピアノに対峙するまで、かなりの時間を費やしているが、勿論、映画で全てを描く事は出来ない。「そこを短くせざるを得なかったので、書いている時から心配だったけど大丈夫でした?」と逆に質問されてしまったが、公生が母親の残像を断ち切るキッカケとなるクライスラーをソロで弾くシーンを映画の中盤に持ってきて、後は、かをりとの物語に主軸を置く…という潔いくらいにバッサリ切って、それでいて切り貼りした感じでもなく無理なくつなげる呼吸の良さに、“さすが!龍居由佳里”と、思わず膝を叩いた。「まず、是非入れたいエピソードをラフで作るのですが、実際にやってみると3時間の映画になってしまう…でもやっぱり削りたくない、じゃあ、どうする?っていう事の繰り返しでしたね。本当は公生のライバルたちも入れたかったんですけど、泣く泣く切りました」

 原作では、読み進めるうちに、かをりの気持ちが何となく見え隠れして、それがファンの好奇心をくすぐったりもしていたのだが、大胆にもライバルのピアニストたちのエピソードを全て割愛して、公生とかをりだけに焦点を当てる手法を取った。「あれだけの長い話しを2時間にまとめるには、ギュッと関係を凝縮して見せないとならない。親友の椿と亮太だって、重要なポジションを占めるんだけど、やっぱり公生とかをりに絞らないと難しいかなって。椿の心境だって本当に切なくて…残したいシーンがいっぱいあったんですけどね。だから今回は削ぎ落としていく苦労の連続でしたね」物語の比重を公生とかをりに置いたおかげで、観る側の興味も散漫になることなく、二人の気持ちがより明確に浮かび上がって、むしろ感情移入しやすかったのでないだろうか。原作は、どちらかというと公生に比重を置いたドラマなので、広瀬すずと山崎賢人のダブル主演である映画では、二人のバランスを丁度良く見せなくてはならなかった。「だから公生よりも、かをりの描き方が難しかったですね。見せられるところと、見せちゃいけないところ…自由に色んなことを出せない。だからといって、何も出さずに最後で種明かしっていうのもズルイと思うし(笑)。そのバランスが難しかったですね」

 この映画の、もうひとつ重要なポイントがタイトルにある「嘘」だ。その内容を今ここで明かすわけにはいかないが、ラストにはあまりにも健気な「嘘」が隠されている。龍居由佳里が今まで書いてきたドラマの中にも「嘘」が重要なキーワードになっている。そこに出て来る「嘘」の形は、大きく分けて2種類あって、人を騙そうとする「嘘」と、人を救おうとする「嘘」だ。『バージンロード』は嘘に嘘を重ねる不思議なホームドラマだったし、それどころか『愛、ときどき嘘』なんて、そのものズバリ夫婦の日常にある嘘を描いた物語だ。また『愛なんていらねえよ、夏』は、広末涼子演じる盲目の資産家令嬢を渡部篤郎演じるホストが兄と偽って、遺産を騙し取ろうというドラマだったが、ユニークなのは「嘘」の質が、前半と後半で明らかに変わっているところだ。ドラマにおいて「嘘」はどういう役割を担うものなのだろうか。「今、指摘されるまで、そんなに、嘘を描いたドラマが多かったっけ?って思いましたが、意識は無かったけど確かに多いですね(笑)。愛は素晴らしいって言うけど、愛の中に嘘があるから成立している事もあるでしょう。私はどうしてもひねくれ根性があるので、嘘もまた真実…みたいな。人は嘘をつくものだから、その後、どうやって挽回するのか?それとも嘘を正当化するのか?…そこにドラマとしての面白さが生まれると思うんです」

 一昨年の2月頃に依頼されてから書き上げたのは夏くらい…龍居由佳里は、およそ半年間、この物語に向き合ってきた。「まずはホッとした…というのが第一ですね」と振り返る。完成した映画を初号試写で観た時、泣きそうになった箇所も。「書き上げてから完成までしばらく時間が空いたので、自分がいち観客になって、恥ずかしながら何箇所かウルっと(笑)」場内が明るくなると、すぐに新城監督の元に行き、「ありがとう!」と、握手を求めたという。「大抵、初号試写を観る時は、あそこ失敗したな…と思うんだけど、今回は純粋に良かったじゃん!っていう感想でした。私がずっとやりたかった音楽の映画だったので、音楽の力と、若い役者さんたちの頑張りに素直に感動しました」原作では特に設定されていなかった舞台を鎌倉にしたのも良かった。原作の新川直司が要望したキラキラ感の映像は見事に作り出されていた。「最初はロケ地も決まっていなかったので、何も考えずに、こんな公園あるの?…って思いながら書いていたんですが、監督からは基本的には龍居さんが書いてくれたものを僕は撮ります!…と言ってくれたので安心して書けました」

 いつだったか、ネットの書き込みに、龍居由佳里のドラマには悪者が出て来ない…というのがあったそうだ。これは褒められているのか、ケナされているのか真意は定かではないが(本人は後者を選択されている)この件に関しては「私も心当たりがあって、悪者を書いているつもりでも悪者じゃなくなっちゃうのよ!って、思っているので…。多分、どこかフワフワしているものがあるんだろうと反省しているんです。だから『ストロベリーナイト』のような原作物で、自分には無い部分を勉強しているんですけどね」と語られたが、同作の劇場版パンフレットの対談で、原作の姫川玲子の印象は、ヤな女…と言われていたので、確かに本人が言う足りない部分という意味では正しいかも。「私がいけないのは、そういうヌルさなのかな?って、反省するんですけどね。それを良いって言って下さる方もいらしゃいますけど」かく言う私も龍居脚本シンパの一人だが、主人公がどんな逆境に立たされていても、周りをとりまく人間たちが、ギリギリのところで救いの手を差し伸べてくれる気持ち良さがたまらない。

 自らを雑食という龍居由佳里。「ちょうど『四月は君の嘘』の脚本を書いている時に知り合いから、色んなことやるね〜って(笑)。確かに最初の頃は、障害者を主人公としたドラマのライターと言われ、しばらくして『白い影』や『砂の器』が続くと社会派となって…今度は青春ラブストーリーでしょう。割と雑食…何でもやるタイプなんです」と笑う。ただ、デビューから一貫しているのは、主人公が肉体的または精神的に弱い部分を抱えている弱者であること。「人間は誰でもそういった弱さを持っている。影があったり、悪いところがあったり、弱さだったり…だからみんな本を読んだり、映画を観たり、絵を描いたりするんじゃないかな。人間を描こうとするとどうしてもそっちに行っちゃいますね。私自身が弱い人間で、捨てたいものだって色々あります。やっぱり自分が入り込めないと書く事が出来ないので、逆に弱い人間で良かったかも知れません」

 原作にあったミステリアスな要素は控えめにして、ストイックに音楽に向き合う主人公たちの姿勢と、お互いをリスペクトしながらフェティッシュな拮抗に焦点を当てた龍居脚本を、同じ世代だから割と似た方向の感覚だった(龍居談)という新城監督が見事に受け止めていた。『四月は君の嘘』…期待にたがわぬご馳走となった。

取材:平成28年8月6日(土)渋谷明治通りのカフェにて


龍居由佳里/Yukari Tatsui 1958年生まれ 東京出身
東洋大学文学部卒業後、にっかつ(現・日活)撮影所入社。テレビドラマのプロデューサーを経て、その後退社し、脚本家となる。深夜枠のドラマなどを執筆した後、連続テレビドラマ『星の金貨』で本格脚本家としてデビュー。番組は回を追うごとに視聴率が上がり、最終回では20%を超える大ヒットとなった。その後、『ピュア』『バージンロード』と、手掛けた月9ドラマで高視聴率をマーク。代表作に『白い影』『愛なんていらねえよ、夏』『砂の器』『小児救命』などがある。人気刑事ドラマ『ストロベリーナイト』は映画化され、映画オリジナル作品として『小さき勇者たち〜ガメラ』がある。

【龍居由佳里 脚本作品】

平成18年(2006)
小さき勇者たち〜ガメラ〜

平成23年(2011)
ストロベリーナイト

平成28年(2016)
四月は君の嘘




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