加藤嘉…サスペンス映画に、この人が出て来ると「あっ、この人殺される」と反射的に思ってしまう。それだけ映画の中で殺されたり、不遇の環境に置かれ迫害されたりする役が多い。加藤嘉という俳優は、映画・テレビで一度は誰もが見た事があるであろう数多くの作品に出演している日本映画界を代表する名脇役一人だ。スラリとした細身の長身で彫りの深い精悍な顔立ちは、とても上品で、そのためか人の良い善人の役が多い(生前、千歳空港で偶然お見かけした事があるが、姿勢が正しく本当にダンディーな印象を持った)。だから、サスペンスでは結果的に利用されたり、相手を信じ過ぎて殺されてしまうのだ。たとえ殺されなくても善人の役は変わらず、あの実録ヤクザ路線の『仁義なき戦い』シリーズの2作目『仁義なき戦い広島死闘篇』においても、テキ屋の親分でありながら、乱暴者の自分の息子を勘当してしまう人格者であったりする(最後まで殺されなかったのでホッとして映画館を出た思い出がある)。昭和30年代は松竹映画を中心として活動を行い、テレビが台頭し始めてから活躍の場を両方に広げ始める。いずれにしても生涯出演本数が300本という数は半端な数ではない。
そんな数多い作品群の中でも評価の高かった作品は野村芳太郎監督作品の『砂の器』であろう。主人公の実の父親でありながらハンセン病を患ったため息子と再会する事を果たせず死んでしまう老人を淡々と演じていた。いつもは、穏やかに静かに話すのだが、何かを否定する時に人格が変わったかのように激昂する…というのが加藤嘉の演技に多く見られるが、本作でも親子の名乗りをしたいと心で思いつつも息子の人生の邪魔をしたくないという親心を激しく演じていたのが印象的だ。本作のように松本清張原作・野村芳太郎監督の作品が多く『ゼロの焦点』や『鬼畜』での名演も忘れられない。殺されてしまう役で衝撃的だったのは『八つ墓村』の冒頭間もなく、萩原健一の元にやって来た老人丑松役だろう。わざわざ訪ねて来たとたん、弁護士の前でもがき苦しみ嘔吐して絶命してしまうのだ。あまりのショッキングなシーンにしばらくは物が食べられなかった記憶があるほど。
同じく野村芳太郎が監督を手掛けた『五瓣の椿』は山本周五郎原作の異色時代劇で、岩下志麻演じる娘に看病されている老舗問屋の主人役も傑作として評価が高い。労咳を患っている夫を尻目に次々と男遊びに惚けている妻。もう、その妻に対して何も求めず死を迎えようとする男の姿は哀れさを感じさせず、むしろ眼光の奥に秘めた一本筋の通った力強い男の姿を感じる。病の床で、娘が生けた椿を眺めながら昔の思い出話をする時の品の良さ…その娘が、母が遊んでいる場所に使いをやったと知るや否や突然声を荒げて「あの女の事はもういいと言ったはずだ!」と言うと血を吐き出して倒れてしまう。実は岩下志麻演じる娘は自分と血がつながっておらず、妻が不貞相手との間に身籠った赤の他人なのだ。その事実を自分の死後に教えないように、口止めをしようとした矢先に絶命するシーンは、あまりにも壮絶で、このシーンだけで、加藤嘉の最高作品と筆者は思っている。
しかし…そんな脇役ばかりの俳優人生に大きな転機が訪れる。昭和58年、独立プロによって製作された神山征二郎監督作品の『ふるさと』だ。いずれダムの下に消えてしまう山間の小さな集落に暮す伝三老人役として、何と70歳にして初めて主役を演じたのだ。分裂的痴呆症患った老人という役こそが前述したような激しさと穏やかさを兼ね備えた加藤嘉の演技力に相応しい役だったと思う。長年連れ添った妻が死んだ事を忘れ、息子の嫁を不謹慎な女と罵倒したり、何かにつけ難癖をつける姿は70歳とは思えない程。しっかりとしたセリフの言い回しや、山奥の川で子供に釣りを教えてあげている時の出立ちは力強さを感じる。ラスト近く、川で倒れた伝三老人の事を村の皆に知らせに走る子供の姿にかぶさる加藤嘉のモノローグ…その声の優しさ、セリフをひとつひとつ噛み締めるように大切に発っしているのがよく分かる。川のせせらぎの如く、何と心が落ち着く声だろうか。歯の抜けた口元をキュッと結びつぶらな瞳で正面をジッと見据える…その表情には長年培った俳優として様々な人間を演じて来た全てが集約されている。
加藤 嘉(かとう よし=本名・ただし)
1913年1月12日〜1988年3月1日 名古屋生まれ
慶應義塾高等学校在学中にアマチュア劇団に出演。1934年、東京宝塚劇場の俳優になったが、反戦思想に共鳴して1936年に新築地劇団付属研究所に入所した。戦後は1947年に民衆芸術劇場(第一次民芸)、1950年に劇団民藝(第二次民藝)創立に参加。1965年には文学座に準座員として入り、1967年に座員昇格。『女の一生』『五稜郭血書』などの舞台に立った。映画・テレビにおいても欠かせぬ名脇役として活躍し、出演映画本数は300本を越える。特に映画『砂の器』ではハンセン病を患う父親役を演じ、鬼気迫る演技を見せた。また1983年の映画『ふるさと』で、モスクワ国際映画祭の最優秀主演男優賞を獲得している。
私生活においては、1950年に女優の山田五十鈴と結婚したが三年で離婚。その後、女優・中村雅子と再婚。1988年2月29日深夜、自宅の寝室で脳卒中のため倒れ、救急車で運ばれたが翌日3月1日になって間もなく搬送先の病院で永眠。享年75。(Wikipediaより一部抜粋)
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