さびしんぼう
あなたの胸で見つけた…陽だまりの恋。
1985年 カラー ビスタサイズ 112min 東宝映画、アミューズシネマシティ
製作 小倉斉、山本久、根本敏雄、出口孝臣 監督、脚本、編集 大林宣彦 脚本 剣持亘、内藤忠司
原作 山中恒 撮影 阪本善尚 照明 渡辺昭夫 音楽 瀬尾一三 美術 薩谷和夫
プロデューサー 森岡道夫、久里耕介、大林恭子
出演 富田靖子、尾美としのり、藤田弓子、小林稔侍、岸部一徳、秋川リサ、入江若葉、佐藤允
浦辺粂子、砂川真吾、大山大介、柿崎澄子、根岸季衣、明日香尚、峰岸徹、樹木希林、小林聡美
尾道三部作の最終作にして多くの若者から絶大な支持を受け続けている『さびしんぼう』は、『転校生』と同じく児童作家である山中恒の原作“なんだかへんて子”の映画化である。本作が三部作中、最もノスタルジックなファンタジーとして仕上がっているのは大林宣彦監督が尾道に住んでいた子供の頃より自身の中で作り上げていたキャラクターであり、いつか映画化しようと20年間暖め続けていた企画だからである。冬の尾道を舞台として、向かいにある向島も重要なポイントとして登場するのが特長となっている。『転校生』以来チームを組み続けている大林ファミリーといえるスタッフが本作でも集結しており、撮影は『ハウス』から大林監督とコンビを組んでいる阪本善尚、脚本には『転校生』『時をかける少女』の剣持亘と助監督の内藤忠司、そして大林監督が共同で手掛けている。主人公で二役を演じたヒロインに『アイコ十六歳』でデビューを飾ったばかりの富田靖子が扮し、主題歌も歌っている。また彼女に恋する男子役には、大林監督作品には欠かせない尾道三部作全てに出演している尾美としのりが扮し、大林監督の少年期の心情を見事に表現している。
寺の住職の一人息子・井上ヒロキは、カメラの好きな高校二年生。母タツ子は、彼に勉強しろ、ピアノを練習しろといつも小言を言う。ヒロキのあこがれのマドンナは、放課後、隣の女子校で「別れの曲」をピアノで弾いている橘百合子である。彼は望遠レンズから、彼女を見つめ、さびしげな横顔から“さびしんぼう”と名付けていた。寺の本堂の大掃除の日、ヒロキは手伝いに来た友人の田川マコト、久保カズオと共にタツ子の少女時代の写真をばらまいてしまった。その日から、ヒロキの前に、ダブダブの服にピエロのような顔をした女の子が現われるようになる。彼女は“さびしんぼう”と名乗り、ヒロキと同じ高校二年生だという。ヒロキ、マコト、カズオの三人は、校長室のオウムに悪い言葉を教え停学処分を受けた。その際中、ヒロキは自転車に乗った百合子を追いかけ、彼女が船で尾道に通って来ていることを知る。冬休みになり、クラスメイトの木鳥マスコが訪ねて来た。そこに例のさびしんほうが現われ、タツ子に文句を言いだす。そして、タツ子が彼女を打つと何故かタツ子が痛がるのだった。お正月、タツ子の高校時代の友人・雨野テルエとその娘・ユキミが訪ねてきた時もさびしんぼうが現われ、高校時代のテルエの悪口を言いだし、タツ子も加わって大喧嘩となる。節分の日、ヒロキは自転車のチェーンをなおしている百合子を見かけ、彼女の住む町まで送って行った。自分のことを知っていたと言われ、ヒロキは幸福な気分で帰宅した。バレンタインデーの日、さびしんぼうが玄関に置いてあったとチョコレートを持って来た。それは百合子からで、「この間は嬉しかった。でもこれきりにして下さい」と手紙が添えてあった。さびしんぼうは、明日が自分の誕生日だからお別れだと告げる。そして、この恰好は恋して失恋した女の子の創作劇だと答えた。翌日、思いあまってヒロキは、百合子の住んでる町を訪ね、彼女に別れの曲のオルゴールをプレゼントした。雨の中、家にもどったヒロキをさびしんぼうが待っていた。彼は濡れた彼女を抱きよせる。気がつくとさびしんぼうは消えていた。翌朝、タツ子が道におちていた自分の16歳の時の写真を発見した。ヒロキがのぞくとそれはあのさびしんぼうだった。そして、数年後、寺を継いだヒロキの隣には百合子がいた。
自分の引き出しに大切にとっておきたい映画がある。たまに引き出しをあけてはお気に入りの場面を眺めて…を繰り返す。そんな映画のひとつが『さびしんぼう』である。ファンの間でも常に大林宣彦監督作品のベスト1に挙げられる程、圧倒的な支持を受けている本作は監督自身が幼い頃に作り上げた造語“さびしんぼう”を題材とした映画を撮りたいと熱望していただけに作品の完成度は極めて高い。本作は尾美としのり演じる主人公・ヒロキが密かに憧れている少女への想いをショパンの“別れの曲”の調べに載せて描く切ない恋愛物語なのだが、そこに大林監督は男の子が母親に抱く恋心(もしかしたら、男性の初恋の相手って母親かも…?)を重ねて、普通の恋愛映画とは一味違う情緒溢れる作品に仕上げている。男の子というものは、中学生の生意気盛りを過ぎたあたりから母親に対して何故か憎まれ口や悪態をついたりするのだが、言ってみれば、それは全て照れの裏返し…少なくとも本作の主人公は初恋の相手に知らず知らず母親の面影を重ねている。その初恋の相手に扮する富田靖子(大林監督は少女を撮るのが実に上手く、『アイコ16歳』でデビューを飾った彼女も例外ではない)の美しさは、まるで夕暮れに咲くりんどうのよう。その儚げな表情にヒロキ同様にドキドキしながら“すごい新人が現れたものだ”と思った。本作で彼女は二役を演じており、もう一人が白塗りの顔でヒロキの前に現れては騒動を起こす“さびしんぼう”と名乗る正体不明の少女(その正体は中盤あたりで“ヒロキのお母さんの若い頃”と分かる)だ。この“さびしんぼう”がヒロキの周りをまとわりつき、片想いの彼を励まし応援してくれる。このような対象的な二人の人物を見事に演じ分ける彼女の演技に、ただ可愛いだけの女優じゃない奥深い才能を感じた。
彼女だけではない脇を固めるベテラン俳優陣も実に素晴らしい演技を披露してくれる。お母さんを演じた藤田弓子も安定したコメディエンヌぶりを見せてくれるのだが、なんと言っても一番は小林稔侍のお父さんだ。無口な親父という設定だからずーっとセリフが無いのだが、恋に悩むヒロキに風呂場で自分の思い出話を語る場面があるのだが…間違いなく映画史に残る感動的な場面だ。長年に渡って脇役として日本映画を支えてきた男優だけあって、温かみと重厚さを兼ね備えた演技に鳥肌が立った。このお父さんのセリフにグッときた男子は多かったのではなかろうか。『転校生』に続く山中亘の原作を映画化した本作には映像作家らしい大林監督ならではの楽しい表現が満載されている。特に、“さびしんぼう”の正体は、お母さんが若い頃の写真が一枚だけ風に吹かれて家中を駆け回っていた…なんてまさに映画向きな設定ではありませんか。富田靖子のはしゃぎっぷりがペラペラ飛んでいる写真の印画紙みたいで本当に可笑しかった。百合子とヒロキの場面で印象に残るのがある。彼女の島に渡ったヒロキの前に現れた浴衣姿の百合子が港の露店で魚を買っているところだ。スクリーンの向こうから潮の香りが漂ってきそうな映像美に日本映画本来のわびさびを感じる…こうした味わいは日本人特有のものであった事を思い出させてくれた大林監督に本当に感謝したい。
「人を恋する事はとっても寂しいから、だから私はさびしんぼう。でも、寂しくなんかない人より、私ずっと幸せよ」さびしんぼうが言う通りだと思う。
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