小林聡美は、女性としてイイ歳のとり方をしているなぁ…最近の作品(映画だけに留まらずテレビドラマ、CMに至るまで)を観るにつけてそう思う。嫌味がなくハッキリものを言える持ち前のスタイルは変わる事なく、若い頃に比べて(失礼!)透明感のある落ち着いた言葉のトーンは心地良く耳に入ってくる。“3年B組金八先生”でデビューしたての頃は活発でお転婆キャラ系を前面に出して売り出していた小林に意外と早くチャンスが巡ってくる。ボーイッシュで人当たりの良いイメージがピッタリな役(と、いうよりも他の女優では考えられない)大林宣彦監督の不朽の名作『転校生』の主人公・和美だ。お寺の石段から転がり落ちた時に、何故か精神が入れ替わってしまった男の子と女の子を描いたファンタジーは大ヒットを記録する。主人公の和美は、体は女の子だが心は入れ替わった男の子…演じるに当たってはかなり難しい役だ。しかし言葉使いや表情、仕草に至るまで、リアルに男子高校生になりきって(中盤から本物の男子に見えてきた)いたのは見事と言うより他はない。勿論、思春期の男女が異性の体を持つわけだから、際どいシーンがいくつかあって、映画初主演とは思えない程サラリと自然体で演じていた。後日、大林監督は、採用した理由について、こう述べている。オーディション後に大林監督を見て指を差し出して「四回ですね」と言ったという。つまり脚本を読むと裸にならなくてはならないシーンが全部で四回あるという意味だ。その四回の裸を我慢すれば、この役が貰えると覚悟の上で監督に確かめたのだろう。ある意味、女優を目指す思春期の女の子にしてみたら映画で裸になるという事は試練と言える。それだけの覚悟でオーディションに臨んだ彼女こそが、和美に相応しいと大林監督が選んだのは何の不思議もない。体が入れ替わった事に気づいてない和美(この時点では和雄だが…あぁ紛らわしい)が和雄の部屋で服を脱ぎ、鏡を見た瞬間に胸に異物があることに愕然として「おぉっ!?」と言いながらおもむろに胸を鷲掴みして「痛っ!」と叫ぶシーンの演技は強く印象に残るものだった。大林監督は、男性になったイメージの演技指導は一切行わず、ただ相手役である尾美としのりとの身長差が電話帳3冊分ある事から一度その上に立たせて、それまで見えていた世界の違いに戸惑う姿を演じるように…とアドバイスしただけという。そのおかげで、身長が低くなった事に馴染めずコミカルな動きを見せる和美=小林聡美の姿は多くの観客の心を掴んでしまった。そんな『転校生』だが、当初、スポンサーとして名乗りを挙げていた企業が、シナリオを呼んで男女が逆転してしまう性を扱った内容から辞退してしまい製作が流れてしまうという危機に陥ってしまったのは有名な話し。大林監督は、主演の二人が毎日行っているリハーサルで一夫と一美になってきている事から、何が何でも映画を中止にさせるわけにはいかないとアチコチを奔走して廻ったという。余りにも『転校生』のイメージが強過ぎたため大林監督は、固定イメージの定着(当たり役を演じた俳優にありがちな…)を払拭しようと、その後に製作した『廃市』では、全く異なるキャラを用意して再び主役に迎え入れた。事実、『転校生』と同じコミカルな役ばかりオファーが小林の元に来ており、それを危惧した大林監督は、彼女に一年間テレビに出ない代わりに、『廃市』の役をプレゼントしたのである。若者がどんどん離れて行く街で、古くから続く旅館を守る少女・。街も旅館も死んでいきつつある…と思いながらも、そこから離れる事が出来ずにいる主人公は確かに、それまで演じていた役柄とは異なっていた。笑みを湛えた表情の奥に憂いを感じさせるといった難易度の高い演技を披露して完全に『転校生』のイメージから脱却してしまった。アイドル全盛の80年代において若手演技派女優として名を馳せた小林聡美はありとあらゆる様々な役に挑戦し続けたのである。
そんな小林聡美の分岐点となったのは、一本のテレビドラマであった。フジテレビで放送され、高視聴率をマークしていた“やっぱり猫が好き”で演じた3姉妹の末っ子は多くの女性ファンを獲得する。ドラマと言っても室井滋、もたいまさこ演じる姉と共にリビングの堀こたつを囲んで、他愛もない話(その殆どが3人のアドリブ)で展開されるトーク番組に近い構成の中に見え隠れする彼女たちの本音が女性たちの共感を得た。まだガールズトークなんて言葉も存在しない頃で、その後、類似の女性トーク番組が多く作られ、現在深夜に放送されている“ぐーたんぬーぼ”も元を辿れば、これが原型ではなかろうか。明らかに、この番組を境に小林聡美のイメージは少しずつコメディリリーフ的女優から本音で話せる“等身大の女性”にシフトしてゆく。そして初のテレビドラマの主役を射止めた“すいか”で単なるコメディエンヌに留まらない世の女性たちが共感出来る弱さを持ちながらも前向きに生きていく現代の時代に合った女性像を作り上げた。
その3年後…バブルがはじけて、上辺だけの贅沢ではなく上質(高級という意味ではなく心の豊かさ)なライフスタイルを求める女性が多くなった時代に、小林のセンスの良い話し方や嫌味のないファッションがピッタリと符合した作品、荻上直子監督による『かもめ食堂』(彼女の代表作となった)が公開される。30歳を越えた彼女が演じた主人公ーフィンランドのヘルシンキで、一人小さな食堂を経営するーが同世代の女性から圧倒的な支持を得て、単館系ながらもロングランヒットとなったた。本作では主人公が何故、日本を離れてヘルシンキで店を持つ気になったのかは詳しく語られない。経緯を聞かない気配り…とでも言うのだろうか、取りあえず小林のさり気ない笑顔と「いらっしゃい」という言葉を聞いていると、“そんな事どうでもイイじゃん”っていう気になる。彼女の表情にはそういった魅力があるのだ。実際、本作のラストで片桐はいりから「“いらっしゃい”の言い方が私たちと違って温かみがあって良い」と指摘され、小林の笑顔で終わる。透明感溢れる彼女の姿は演技という域を超えて常に自然体であり、まるで脚本が存在していないかのように経ち振る舞うところに多くの女性に支持されたのだと思う。続く同じ荻上監督の『めがね』では一転して、都会の生活に憔悴したキャリアウーマンが携帯電話が通じない民宿に訪れ、ゆったりとした時間の流れに戸惑いながらも少しずつ環境に順応していくまでを演じている。小林が演じるキャラクターは『かもめ食堂』よりも“すいか”の主人公に近く、自分の生活サイクルを乱される事を嫌うタイプの女性であった。自立した女性でありながら、社会で生き抜くためには色々なモノを犠牲にしてきたであろう背景が彼女の演技から見えてくる。小林の演技で好きなのは、出来るだけ他人に干渉されないように(アタシをソッとしておいてオーラ全開)していながらも、もたいまさこのようなマイペースな自然体で生きている女性に翻弄されて苦笑いするしかない複雑な表情を見せるところだ。一瞬の間が作り出すクスッとしてしまう笑いは彼女ならでは。目覚めた時、目の前にもたいまさこが正座しているのを見て「えっ?」という表情の後に浮かべる困惑の表情は最高だ。『プール』では母親という設定からか、笑いの要素は希薄になってしまったが、身勝手と娘に言われても動じる事なく料理を続けるくだりを観ると「あぁ、この心地良いオフビートなリズム…やっぱり小林聡美の演技だなぁ」とホッとしてしまう。
小林 聡美(こばやし さとみ、本名:三谷 聡美 1965年5月24日 - ) SATOMI KOBAYASHI
東京都葛飾区高砂出身。
1979年、中学2年の時に武田鉄矢主演のドラマ“3年B組金八先生”のオーディションに合格し、生徒役でデビュー。 1982年、大林宣彦監督の映画『転校生』で主演に抜擢され、女優として脚光を浴び、その年の日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞している。1988年のフジテレビで深夜ドラマとして放送された“やっぱり猫が好き”の三女・きみえ役の好演から幅広く認知され、開始当初は深夜枠で放映されていたが、好評につきゴールデンタイムに進出している。1995年に脚本家の三谷幸喜とは、このドラマがキッカケで結婚している。2003年、日本テレビ系列で放送された“すいか”でテレビドラマ初主演。その後、映画『かもめ食堂』のヒットにより女性たちから共感を得て、『プール』『めがね』『マザー・ウォーター』と自立した女性を立て続けに演じている。 女優業以外では、「マダムだもの」「案じるより団子汁」等エッセイも好評。著述も行っており、エッセイを多数出版している。(Wikipediaより一部抜粋)
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