その日のまえに
死に直面した家族と、交差する様々な人の「生」―。最高のスタッフ・キャストで綴る感動の人生シンフォニー。
2008年 カラー ビスタサイズ 139min WOWWOW、PSC、角川映画
制作 和崎信哉、大林恭子、井上泰一 監督、編集 大林宣彦 脚本 市川森一 撮影 谷川創平
美術 竹内公一 音楽 山下康介、學草太郎 照明 西表燈光 衣裳 千代田圭介、清水寿美子
出演 南原清隆、永作博美、筧利夫、今井雅之、風間杜夫、原田夏希、柴田理恵、根岸季衣、宝生舞
斉藤健一、村田雄浩、窪塚俊介、山田辰夫、小日向文世、左時枝、入江若葉、森田直幸、伊勢未知花
2005年に出版、「涙が止まらず、通勤電車では読めない」と、絶賛と反響を巻き起こした、直木賞作家・重松清の連作短篇小説「その日のまえに」。余命=その日を宣告された妻と、その夫が、「その日」までを一所懸命生きる姿と、そこに関わる人びとの、切なくもけなげな物語が、最高のスタッフ・キャストでついに映画化。「死」をドラマチックに描くのではなく、誰にも普通に訪れる「その日」として厳しく見つめながら、その恐れや悲しみを軽やかに飛び越える、巨匠・大林宣彦監督の斬新な映像表現。映画では実に20年ぶりのコンビを組む市川森一が脚本を担当(撮影台本として、大林宣彦、南柱根が参加)。映画化のオファーが殺到しながらも、実現困難と言われた原作を、見事に映画的創造力世界へ置き換える、という冒険を成しえた。物語の柱となる夫婦役には、舞台・落語・狂言などコメディアンの枠を超えた活躍を見せる南原清隆と、同世代に絶大な支持を得る永作博美。更に、筧利夫、今井雅之、風間杜夫、原田夏希、柴田理恵、根岸季衣ら個性派、実力派の豪華俳優陣が脇を固め、群像劇を彩る。「生と死」に正面から向き合った、壮大な人生シンフォニーがいまだ誰も経験したことのない、感動の新地平へといざなう。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
うれっ子イラストレーターで、デザイン事務所を経営する日野原健大(南原清隆)。育ち盛りの息子二人の子育てに奮闘中の妻・とし子(永作博美)。二人は、18年ぶりに結婚当初に住んでいた街を訪れる。その頃 健大は収入もなく、暮らしは貧乏だった。すっかり様変わりした商店街を懐かしそうに歩く二人。暮らし始めていちばん最初に食器棚を買った家具屋で、思わず店内に入ってしまう二人。とし子の余命は、あとわずかだった。絶望の中から、来るべき「その日」までを一所懸命生きようと決めた二人は、今は思い出の中だけに残る情景を確かめていた。同じく、何かを求めてこの町に降り立った佐藤俊治(筧利夫)。シュンと呼ばれた少年時代を過ごした街で、どうしても会って話したい旧友を訪ねるために、俊治は、もう治る見込みのない身体に無理をしてやって来たのだった。喫茶店《朝日のあたる家》で働く入江睦美と、カメラマンを目指しながらコンビニ勤めで今は生計を立てる武口修太(斉藤健一)は、ひっそりと隠れるように、この街で暮らしている。偶然、睦美(宝生舞)が中年男性に襲われたところに居合わせた、健大と とし子。危害がとし子にも及びそうになった寸前に助けに入り、睦美を守った武口。夫の家庭内暴力に耐えられず、心の病を負い、家を飛び出した睦美に 寄り添う武口。傷ついても精一杯生きようとする恋人たちを、健大と とし子は優しく見つめる。健大と とし子の二人の息子・健哉と大輔は、母の本当の病状を知らなかった。しかし、とし子の「その日」はもう目前だった。
自分の死期が迫ってきた時、この主人公のように普段のまま振る舞えるだろうか?大林宣彦監督作『その日の前に』は、正に“その日=自分が死ぬ日”までの数ヶ月を主人公とその家族がどのように過ごしたかを描いている。正しくは、主人公が死ぬまでの間に何を選択したか…が本作の主題だ。同じテーマで、かつて“死ぬまでにしたい10のこと”という映画があった。そちらは主人公は誰にも告知せず、一人…死を受け入れ歩んで行くのに対し、本作では主人公夫婦以外にも死(その日)と向き合う様々な人々の姿がクロスして描かれている。『ふたり』以降、大林監督の映画には死を題材にしたものが多く、ファンタジーの中に突然、“死”を投げ込んでくる。『転校生』のリメイク『転校生さようならあなた』でも感じたのだが、大林監督の描く世界はチェコアニメのようなシュールで残酷な一面を持っており、毎回観客は混乱させられる。本作でも、夢か現実か分からないシーンから始まる。嵐の夜、子供たちが浜辺で沖を見ながら騒いでいる。友達が海で行方不明になった事は理解できるが、次の瞬間、南原清隆演じる夫がボーっと空を眺めているシーンに変わり、続いて永作博美演じる妻がやってきて会話を交わす。そんな微笑ましいシーンから一転、狂ったように階段を駆け下りる南原の姿が映し出される。冒頭から思いっ切り揺さぶりをかけ、観客の思考をシェイクさせて本編へ誘う大林監督の作戦は毎度の事ながら見事だ。観客の混乱は妻の死を間近に控える南原の混乱そのものになる。様々な思いや記憶が交差する夫のフラッシュバックは、残される側の心境をセリフで表現する以上に効果的だ。病を告知された主人公が、治療に移る前に、結婚した頃に住んでいた街を夫と二人で訪れる。死を前にして、自分の生きてきた道のり(証と言った方が良いだろうか)を確認するかのように歩く主人公夫婦が前半のドラマの主軸となっている。
映画の中盤に、セロで路上演奏をしているクラムボンと名乗る奏者が登場する。遅ればせながら、そこで初めて、大林監督が本作で大嶋由美子の短編小説と宮澤賢治の世界をつなぎ合わせていた事に気づかされた。素晴らしいのは、そのセロ弾きのクラムボンが、宮澤賢治の名作“永訣の朝”の一編…「あめゆじゅとてきてけんじゃ」を美しいメロディーをつけてくれたことだ。作中でも語られているが、この詩は賢治の妹が死の淵にいながら兄を悲しませまいと明るく振る舞った時のセリフである。ここで初めて主人公が明るく振る舞い、更に治療が始まってから子供たちと会おうとしなかった真意がオーバーラップする。彼女は、夫が好きだった飛行機雲を部屋の壁に残そうとブルーに塗る。完成前に夫と子供たちにバトンタッチしてこの世を去る。ラストで彼女が残した壁の青空に、残された家族の手によって飛行機雲が描かれた時、命のリレーを目にする事になる。このエンディングで、大林監督の狙いがハッキリ分かる。そう、本作は単なる難病ものではないのだ。中学生の時に習った詩の意味が何十年もの時を経て大林監督によって教えられるとは…これだから映画って素晴らしいのだ。
「すっごく気持ちのいい朝だったら、うん、意外とにっこり笑って死んじゃえるかもしれない」 とし子が自分の最期を感じつつ、精一杯の笑顔で健太に語る。