グッドカミング トオルとネコ、たまに猫
戸惑う背中をやさしく後押ししてくれる。ハートウォーミング&かわいいショートフィルム。
2012年 カラー HD 43min ソニーミュージック レコーズ
監督 月川翔 脚本 村上桃子 音楽 Good Coming、谷口尚久 主題歌 Good Coming
撮影 定者如文 照明 木津俊彦 録音 小林武史 装飾 水上恵利子
エグゼクティブプロデューサー 村松俊亮、高木伸二、中村B隆志、佐川恵
出演 松坂桃李、上間美緒、波瑠、ベンガル、桐明孝旨、原口知之、金井田健太
イタリアンシェフ見習の青年・トオル(松坂桃李)が、ある夜、一匹“猫”を拾い部屋に連れて帰る。翌朝、目が覚めるとそこにいたのは一人の女の子“ネコ”(上間美緒)だった。万年皿洗いでくすぶっていたトオルはいつの間にかネコに後押しされ、一人前のコックに成長していくのだった…。
映画の適切な長さ…というのはどれくらいだろう?人によっては1時間半だったり2時間だったり…ちなみにGood Comingの金井田健太氏は「集中力が無い僕は1時間切っているショートフィルムがありがたい」(笑)と言っていたが。勿論、映画全体を括る適切な長さというものは存在しないわけで、大切なのはその物語にとっての適切な長さはどれくらいなのか…という事だ。たった1秒、そのカットが長かったために冗長に感じてしまったり、エピソードを詰め込み過ぎて散漫なイメージになった映画はいくつもある。その度に、無責任なシネフィル(筆者も含めて)や評論家は「オシイなぁ」等という好き勝手な評価をするものだが…。どうやら『グッドカミング トオルとネコ、たまに猫』を手掛けた月川翔監督は適切な映画の長さというものを心得ているようだ。観終わった後、まるで一本の長編を観たような感覚を覚えるほど軽快なリズムを刻んで物語が展開されていた。
イタリアンレストランで働く主人公のトオルは後輩に先を越され、同棲していた恋人にも出て行かれてしまう。まず本題に入るまでのこの導入部に無駄がない。始まって僅か5分足らずで、人生のどん底にいるような思いをトオルに味わせてしまい彼が現状置かれている立場をサラリと説明してしまう鮮やかな語り口。そうこうしている内にやけ酒を飲んだトオルは帰り道に見つけた野良猫を連れて帰る。月川監督は決して新しい事をしているわけではなく、むしろオーソドックスとも言える“起承転結”をキチンと踏襲して物語を構築している事に気づく。例えば、トオルがアパートの屋上で星空を眺めているネコに「今度ここで食事するか」と言うシーン。物語の中で一番重要なトオルの中で何かが変わった(吹っ切れた)“承”から“転”に移行する転換部分で、初めてGood Comingの挿入歌を流すタイミングなんか洗練されていて上手い。
この映画…観ていると意外とセリフが少ない事に気づく。勿論、ヒロインのネコが殆ど喋らないためセリフは殆どトオルに掛かっているから当たり前の話しだが。村上桃子の脚本は説明的なセリフを排除してトオルとネコの間に漂う空気感で二人の心情の変化を描く…つまり月川監督の演出に委ねているようだ。勿論、二人の主人公を演じた松坂桃李と上間美緒の素晴らしい勘どころに因るところも大きい。例えば、二人が初めて顔を合わすシーンだが、朝起きると見知らぬ女の子が自分のベッドに寝ている事態に慌てて飛び起きてアタフタする松坂に対して、何も言わずにジッと見つめる(正体不明の)猫っぽい上間との間が実に可笑しい。そんな二人のリアルな距離感を月川監督は部屋の狭さを逆手に取って作り出していた。こうして説明的なセリフを排除する代わりに観客にあれこれ想像させてくれるアイテムをパン屑のようにアチコチに散りばめている。このような想像する振り幅のある映画って実に楽しいものだ。(観賞後の喫茶店で会話が弾むのがこういった作品だ)例えば、トオルの元カノが外に投げた合い鍵の行方だったり、果たしてトオルが猫を拾ったのは偶然なのか…とか。こうした「ひょっとして?」が多い映画は小物の使い方も上手かったりする。トオルのベッドに「翔!」という月川監督の名前と同じタイトルのコミックが置いてあったり、ネコがトオルの留守中に見つけたイタリアの本に載っている「ボーノ(美味しい)」だったり…(真似する上間美緒は最高だ)映画を視覚で楽しめる要素が満載なのだ。だからGood Comingのメッセージが映像によって素晴らしい化学反応を起こし観客の胸に自然な形で響いてくるのだろう。
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