それでは、原田監督にとって映画を作る上で一番大事な要素とは何か?という問いに対して返ってきた答えに『クライマーズ・ハイ』の堤真一演じる主人公・悠木を思い出す。「主人公がどういうアンビバレンスを抱えているか?という事です。これは人間を描く上での基本で、日本はキリスト教国はないから(理解しづらいと思うが)クリスチャンは神と悪魔の間で迷える人間という事で、アンビバレント的な考えが常に身についている。黒澤明監督や村上春樹氏がどうして世界でウケているかというと、理由は主人公がアンビバレンスを抱えているから」と語る。アンビバレンス(=相反する感情を同時に抱く事)によって生まれる主人公の葛藤や予測し得ない行動が観客に緊張感を与えるというわけだ。

 そこで原田監督は、デビッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』を例に上げた。「『アラビアのロレンス』が何故名作かというと主人公ロレンスのアンビバレンスの質がどんどん変化しているからです。対岸から"フー・アー・ユー?"とデビッド・リーン監督の声で問いかけるシーンがあるけど、その"何者だ"という事を考えた時に彼はイギリスに帰っちゃうわけでしょう?そこのアンビバレンスの変化が素晴らしいから、あの映画は永遠の名作となったのです。だから僕も過去10年くらいはそういう事を考えて、主人公や周りの人間を描くようにしています」なるほど、確かに『クライマーズ・ハイ』は、地元で起きた史上最大の航空機事故の事故原因というスクープを前に心が揺れる悠木の葛藤(かつて彼が観た映画の「チェック・ダブルチェック」というセリフが効果的に使われている)が、本作最大のクライマックスとなる。

 今回、審査員を務める原田監督は、若手が成長する場としてはショートショートフィルムフェスティバルに大きな期待を寄せている。「映画界の新陳代謝のためにも若手の発掘というのは重要な事。今年の応募作品の中にもスゴイと思う作品があって、これから長編の監督として成長していくだろうな…と思ったクリエイターが5〜6人いました。残念ながら日本人はいなかったけれど」と、厳しい意見を述べながら、若手クリエイターたちに「もっと古典の名作と呼ばれている作品を観て勉強した方が良い」と進言する。前述の通り、今もなお観続けられている名作には、名作と称される理由があるからなのだ。ただ、原田監督は古典を学ぶ環境においては海外に比べて日本は遅れているとも指摘する。「例えば海外のDVDに収録されている特典の情報量が半端ないんですよ。若者たちは、そういうのを日常観て勉強しているのだから、どんどん差が広がって行く。海外の優れた監督たちは古典(映画)をちゃんと勉強していますからね」そうした中で今年、グランプリに輝いたイギリス映画『人間の尊厳(原題:It was my city)』と、アジアインターナショナル部門で優秀賞を獲得したイラン映画『私の街(原題:It was my city)』は、原田監督の言葉通り突出したクオリティと強烈なメッセージを有していた。特に後者の『私の街』は、自国政府による厳しい検閲があるにも関わらず8分という短い時間で戦争批判した素晴らしい作品だった。

 一方、日本は表現の自由が約束されていながらもリスキーな題材には出資者が集まらないという現実がある。例えば、実際にあった事件の映画化がそうだ。以前。原田監督は雑誌の取材で「それぞれのパートのプロが自分たちの技術を尽くして、語るべき理念を世界に提示できる最も効果的な手段が映画」だと述べていた。『突入せよ!『あさま山荘』事件』や『クライマーズ・ハイ』、『金融腐食列島 呪縛』で報道では見えない社会の一部を切り取ってきた原田監督は、今まで何度も制約という壁にぶつかってきたという。「勿論、若手にいきなりタブーに挑戦しろというのは無理な話だと思うけど、だからと言って自分の身近な事ばかり描いても仕方ない。ある程度のところまで来たら、社会性のある題材にも挑戦すべきだ」と、映画祭にエントリーされた日本の作品を振り返って語る。「最近の若い人たちからはタブーに挑戦しようという気力が感じられない。もしかするとタブーがある事すら意識していないんじゃないかな?とさえ思えるくらい自分の身の回りしか見ていない作品が多い」それを打ち破るために、一旦、海外に出て日本を見つめてみるのも良いだろうと原田監督はアドバイスする。「外では色々な人が、様々な問題を抱えている。そこで、日本はどうなのかと、見つめ直すという姿勢が必要だと思うのです」今、何がウケているのか?ばかりを追求する風潮の現在のクリエイターに対して「もっと冒険してほしい」と、原田監督は苦言を呈する。「これから裾野が広がっていけば、実力のある人材を発掘する場として、もっと注目される映画祭になるはずです」そうしたチャレンジの場として映画祭を活用する若きクリエイターにかける期待も大きい。

取材:平成25年6月2日(日)ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2013会場 ラフォーレミュージアム原宿にて


原田眞人/IMasato Harada 1949年7月3日 静岡県沼津市
静岡県立沼津東高等学校卒業後、1972年ロンドンに語学留学中、ピーター・ボグダノヴィッチ監督『ラスト・ショー』の批評を「キネマ旬報」に寄稿して批評家としてデビューする。その後、映画評論家として「宝島」等にアメリカ発の映画情報を寄稿している。その後は渡米し、6年間ロサンゼルスに滞在。映画ジャーナリストとしてハワード・ホークスを始めとする数多くの映画人と親交を深めていった。1979年に一時帰国して『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。1983年に西ドイツとの合作映画『ウィンディー』をヨーロッパで撮影した後、1984年に帰国。以後、監督業のみならず、脚本執筆や俳優業など映画関係で多方面に活動。テレビ映画やオリジナルビデオも手がけ、中でも1991年から1992年にかけて監督した木村一八主演の『タフ』シリーズは三池崇史監督らが高く評価している。また、ハリウッド映画の日本語版も手掛け、1980年上映の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』等の日本語版吹替版の翻訳監修と演出を担当。『フルメタル・ジャケット』では、字幕翻訳家としてもデビューしている。近年では、トム・クルーズ主演の『ラストサムライ』で俳優としてハリウッドデビュー。2007年から日本大学国際関係学部教授として後進の育成にあたっている。

【原田眞人監督作品】

昭和54年(1979)
さらば映画の友よ インディアンサマー

昭和59年(1984)
ウインディー

昭和60年(1985)
盗写/250分の1秒

昭和61年(1986)
おニャン子・ザ・ムービー危機イッパツ!
PARIS DAKAR 15,000
 栄光への挑戦

昭和62年(1987)
さらば愛しき人よ

平成1年(1989)
ガンヘッド

平成6年(1994)
ペインテッド・デザート

平成7年(1995)
KAMIKAZE TAXI
トラブルシューター

平成8年(1996)
栄光と狂気

平成9年(1997)
バウンス ko GALS

平成11年(1999)
金融腐蝕列島 呪縛

平成13年(2001)
狗神 INUGAMI

平成14年(2002)
突入せよ! あさま山荘事件

平成17年(2005)
自由戀愛

平成19年(2007)
魍魎の匣
伝染歌

平成20年(2008)
クライマーズ・ハイ

平成24年(2012)
わが母の記

平成25年(2013)
RETURN(ハードバージョン)




Produced by funano mameo , Illusted by yamaguchi ai
copylight:(c)2006nihoneiga-gekijou