両作品に共通して感じたのは、主人公の父親に対する想いが、彼女たちが持つ恋愛に対する罪悪感とか背徳感のメタファーなのでは?という事。「そうですね。『ミツコ感覚』の時は明らかにそうでした。ミツコは明らかにファザコンで、実は今回の妙子もお父さん子だったのでは…と思える。前半でマヤから嫉妬でしょう?と言われたり、あと最後の病室シーンで、マヤは死んだよ…ってすぐ分かるような嘘を妙子はついたりしますよね。すぐ分かるのに言ってみるというところも健気だったりする。ごく普通の子なんですよ」

 マヤがトリックスターとなって掻き乱す事で、妙子自身も意識していなかった心情が露になってくる。「妙子はまだ大人じゃないわけです。ところが妙子に両親がいきなり離婚すると告げますよね。妙子がもし10歳だったらもっとショックを表すはずです。泣いたり、グレるとかね。ところが、あの年齢になれば、感情をクールに隠せるんです。離婚というものに対する情報だって色々入っている。だから、自分で自分をごまかす…というか自分に嘘をつける術を身につけているんです。それで自分を納得させる。そうして自分の感情を曖昧にさせていたところに、想定外だったマヤの告白によって感情を隠せなくなるわけです」

 一人暮らしをしようと親離れの準備を始めている妙子が、父親と訣別したのが正にラストの病室シーンであった。彼女の嘘に号泣する恭介を見ていた妙子は諦めの表情を浮かべる(このシーンでの岸井ゆきのの演技は凄い!)。だから、病室にやってきたマヤの松葉杖を帰り際に蹴るという行為に出る。「あれは岸井さんがリハーサルの時にアドリブで蹴ったんです。それを見て、それイイかも知れない…って。それってつまり、岸井さんの衝動として出た行動ですからね。岸井さんは本当にムカついていたようですよ。彼女は本当にお父さん子らしいですから、つい出ちゃったんじゃないですかね」

 劇場パンフレットで映画監督の松江哲明氏が書かれている「恋愛を入口にした日本人論として見た」というコメントが印象に残る。「恭介もミドリもハヅキも…それぞれ大人には生活があって、それに疲れてズルズル来ちゃっている。何か結論を出さなくてはいけないのに、今日出来る事でも明日に回そうという考えが、すごく今だなという気がして、そういった人たちを書いているわけです。そこにズルズルしていない(つまり疲れていない)マヤが現れる」大事なのはとんでもない事が起きる被写体となる普通の人たちをどう描くか…という事だったと山内監督は語る。「今回の作品で一番気をつけたのが、マヤの謎の部分を無くすという事でした。『ミツコ感覚』に出てくる三浦姉弟は最後まで謎なんですよ。もしかすると、主人公の姉妹が頭の中で作り出したものではないか…という気さえもする。前作のような演劇的なシュールな部分をやめて全部説明できるようにしました。マヤが恭介の事があんなに好きな理由はよくわかんないんだけど。マヤの好きだという気持ちを最後まで通して行って、謎が無い分だけ、マヤの個性が強く出たと思います。そして、マヤを軸に全ての登場人物たちが動いていくから、観た人からはマヤよりも周辺の人物の方が印象に残るんでしょうね」

 クライマックスでは、遂にマヤは恭介への愛をショッキングな形で行動に表す。マヤのストーカーと化した元カレが恭介を刺し、死んだと早合点したマヤは倒れた恭介の腹から包丁を抜くと、仁王立ちとなって自分の腹に何度も突き刺したのだ。あまりにも唐突なマヤの行動に、これは究極の純愛映画だと思った。「でもコメディとして捉えている人が多いんですよ。とても笑いましたって言われると、コメディ作ったつもりはないんだけどな…って、ちょっと思っちゃいますね(笑)。もちろんワンシーンワンカットの中でのオチや会話を面白くする…というのは基本にあったので、そこで笑ってくれるのは分かるんですけど…日によってお客さんの反応が違うんですよね」真面目になればなるほど、常軌を逸脱してしまう行為が可笑しい…ということなのだろうか?むしろ私は、笑えるシーンでありながらも、全編に漂っている危なっかしい雰囲気が気になっていた。マヤが冷たく別れた元カレは絶対に何か仕出かしそうだったし、そもそもマヤがどんな行動に出るのか予測不能だ。

 映画の中盤あたりで、こんなシーンがある。ハヅキが通りがかった踏切で、マヤの元カレが見知らぬ男と揉めているのだ。どうやら振られたショックで線路に飛び込もうとしたところを引き止められたようだ。夕陽の逆光で殆ど両者の顔が見えないから元カレの心理状態がますます危ない方向へと向かう暗示となる。(この逆光は狙っていたワケではないそうだが)「本当は、脚本の段階で、もうひとつのエンディングがあったんです。ハヅキはラストで同じ踏切に飛び込んで自殺しようとするんだけど、同じ男に止められる…というもの。ハヅキが死ぬというのがずっと頭から離れなくてずっと悩んでいたんですけどね。3分の2くらいまで書いた段階で、結局誰も死なないものにしようと…」正直、そのエンディングも見たい気がするのだが、病室に残ったマヤが傷ついた体で恭介に寄り添うラストに、自分の想いを貫いたマヤの生きざまに潔さを感じ、この結末は正しかったと思う。

取材:平成28年1月15日(金)ユーロスペース事務所にて


山内ケンジ/Kenji Yamauchi 1958年生まれ 東京出身
CMディレクター。1983年、電通映画社入社。1992年、フリーランスとなる。ソフトバンクモバイル「白戸家」シリーズ、「NOVA」など数々のヒットCMを手がけながら、劇作家、演出家、映画監督として幅広く活動。2004年、「葡萄と密会」で演劇活動を開始。2006年、演劇プロデュースユニット“城山羊の会”発足、すべての劇作・演出を行う。2014年『効率の優先』で第58回岸田國士戯曲賞最終候補。2015年、『トロワグロ』で第59回岸田國士戯曲賞受賞。2011年、『ミツコ感覚』で長編映画監督デビュー。第27回ワルシャワ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門ノミネート、第1回氷見国際映画祭にて優秀賞・最優秀賞監督賞受賞など。 2015年、第2作監督映画『友だちのパパが好き』で、第28回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門で公式出品。

【山内ケンジ監督作品】

平成23年(2011)
ミツコ感覚

平成27年(2015)
友だちのパパが好き

平成29年(2017)
At the terrace テラスにて




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