博奕打ち 総長賭博
ドロと血で染まった任侠の紋!全国親分衆が集う大花会がドス百本の修羅場に変わった。
1968年 カラー 東映スコープ 95min 東映京都
企画 俊藤浩滋、橋本慶一 監督 山下耕作 助監督 本田達男、大西卓夫、志村正浩
脚本 笠原和夫 撮影 山岸長樹 音楽 津島利章 美術 富田次郎 装置 米沢勝 装飾 山田久司
擬闘 谷明憲 照明 井上孝二 編集 宮本信太郎 衣裳 豊中健
出演 鶴田浩二、若山富三郎、金子信雄、藤純子、桜町弘子、名和宏、曽根晴美、佐々木孝丸、
曽我廼家明蝶、三上真一郎、沼田曜一、香川良介、中村錦司、服部三千代、小田部通麿、原健策、
小島慶四郎、国一太郎、鈴木金哉、河村満和、野口泉、岡田千代、堀正夫、関根永二郎、大木勝

昭和42年1月に公開された小沢茂弘監督による「博奕打ち」シリーズの4作目として製作された本作は、数々のプログラムピクチャーを世に送り出し、“将軍”と呼ばれた名匠山下耕作がメガホンを取って完成させた。本シリーズのクライマックスは題名通り賭博師の息詰る勝負が最大の売りであったが、本作では主人公が最後の最後に怒りを爆発させる…ヤクザ社会の厳しさ、汚さを前面に打ち出したところに観客の支持を得る事になったのだろう。一家の総長が倒れ、跡目を巡って揉め事が起きる…というよくある実話をフィクションで膨らましていく技法を用いる事を得意とする脚本の笠原和夫は、プロデューサーの俊藤浩滋と共に小千鳥一家という組の親分へ取材を行い、リアリティ溢れる物語を作り上げた。これが任侠映画の最高傑作と言わしめる由縁である。主演の鶴田浩二は当初、若山富三郎演じる武闘派の兄貴分を切に希望していたというのは有名な話し。結局は、正月興行の主役を張らざるを得ないため断念したという。俊藤プロデューサー自らキャスティングが良かった…と語る通り、個性的な面々が脇を固めている。その中でも若山富三郎と対立し、自身も実は利用されていたという悲劇の中心人物を演じた名和宏の名演も光る。悪役ばかりを演じてきた名和が初めて良識のある人物を演じたため力の入れようも違っていたという。同シリーズは、以降昭和47年まで全10本も作られる大ヒットとなった。

昭和のはじめ天竜一家の総長が倒れたことから、跡目相続の問題が浮上。中井信次郎(鶴田浩二)が二代目を推挙されるも、服役中の兄弟分であり、妹弘江(藤純子)の亭主松田(若山富三郎)を推して辞退する。しかし、服役中であることを理由に、組長の娘婿である石戸(大木実)が二代目を継ぐこととなった。出所した松田は兄貴分の自分をさしおいての二代目決定に怒り、石戸に殴り込みをかける。謹慎に処せられてしまった松田だが…実は、この二代目襲名には松田を失脚させ、一家を乗っ取ろうという仙波(金子信雄)の画策があった。
松田と石戸の間を取り持とうとする中井だが事態は裏目裏目に出てしまい遂に、松田の子分音吉が石戸を襲うという事件が起きてしまう。一度は音吉を匿った中井だが、妻のつや子(桜町弘子)は音吉を逃がしてしまった責任を取って自害してしまう。二代目披露花会の日、石戸は仙波の画策を知らされ初めて自分が利用されていた事に気づく。しかし、その直後松田に襲われて手負いを受けた石戸は、仙波組の手の者に殺されてしまう。荒川一家存続のために松田を斬った中井は怒りを胸に抱き、単身仙波の元に向かいその手で畳に沈めるのだった。

東映のプログラムピクチャーと呼ばれる作品の中で、本作ほどヤクザ社会の非情さを描いた作品は、他に類を見ない。ここには、義理や人情といった任侠魂は関係がなく、男としての面子を貫こうとする男たちが運命に翻弄されるがごとく無益な血を流すのだ。二代目の跡目を巡って、候補に挙がった三人の男…かつては兄弟として共に生きてきた中井、松田、石戸。一番の子分である松田が刑務所に入っている事から、二番目の子分中井が二代目に推挙される。しかし、中井は兄貴分を差し置いて二代目にはなれないと断り、そして五番目の石戸が二代目の襲名を受ける事となる。ここが、三人の男たちの運命を大きく変えてしまう分岐点であろうとは、誰も知る由がない。上手い!実に上手いとしか言いようが無い 笠原和夫の脚本。二代目を巡って、各々の立場から生じるすれ違いと、ほんのわずかな誤解から展開される悲劇的な運命は、まるで絡み合った糸がほぐれようとしながらも、また絡まっていくもどかしさの様相を呈していく。プロデューサーの俊藤浩滋は笠原と共に小千鳥一家という本物の親分の処へ取材に赴き実際にあった跡目争いなどを巧みにフィクションの中に取り入れた…というわけだから面白く出来て当たり前なのだ。
出所して、一番下の弟分を親分と呼ばなくてはならなくなった松田を演じる若山富三郎が実に良い。多分、昔気質のヤクザは理屈や計算では納得できない己のルールみたいなものがあったのだろう。自分が納得できない理不尽な事には命を賭けても断固として突っぱねる。こうした融通の利かない一途な男を演じさせたら若山の右に出る者はいないだろう。まるで暴れ馬のように周囲の事なんか気にしちゃいない。自分が正しいと思う事には妻だろうが子分だろうが、自分に味方してくれる兄弟分だろうが関係ない。これだけの迷惑な男なのだが、若山が演じると理解できてしまうのが不思議だ。こうしたキャスティングが本作は全てに於いて成功しており、二人の義弟の間で奔走する中井を演じる鶴田浩二も秀逸で、本作は間違いなく鶴田の上位にランクされても良いだろう…という程の演技を見せてくれたし、その女房を演じた桜町弘子にしても、亭主の面目を守るために自害してしまうと、いった難しい役を可憐に披露していた。
失意と希望が交差する中、ドラマは劇的な終焉を迎えるわけだが、颯爽と悪の一家を倒す任侠映画に慣れ親しんでいた当時の観客は、あまりにも渋すぎる内容に良い反応は見せなかった。妻が一命を呈して、逃がした松田の子分をあろうことか中井が自らの手で殺してしまう皮肉な運命…。そして、松田の妻であり中井の妹である藤純子が、兄が夫を刺し殺す場面に出くわした際に「人殺し!」と罵る…。これほど人間の情念を描いた任侠映画は確かに存在しなかった。三島由紀夫が本作について「絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇」と語り名画と絶賛した通り、本作は決してカッコ良くないヤクザの世界を実録路線前夜に描いた先駆者でもあるのだ。
哀愁のある鶴田浩二の表情が本作では、今まで以上に悲哀に満ちていた。自分一人の力ではどうにもならない集団社会の中で、一個人はあまりにも無力なのだ。
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