人生劇場 飛車角と吉良常
この大顔合わせ、十年に一度!東映オールスターで放つ大任侠映画!
1968年 カラー シネマスコープ 109min 東映東京
製作 大川博 企画 俊藤浩滋/大久保忠幸/吉田達 監督 内田吐夢 助監督 三堀篤 脚本 棚田吾郎
原作 尾崎士郎 撮影 仲沢半次郎 音楽 佐藤勝 美術 藤田博 録音 小松忠之
照明 梅谷茂 編集 長沢嘉樹
出演 鶴田浩二、辰巳柳太郎、高倉健、若山富三郎、藤純子、松方弘樹、左幸子 、中村竹弥、大木実、信欣三、天津敏、山本麟一、村井国夫、山城新伍、遠藤辰雄、名和宏、亀石征一郎、八名信夫、
北川恵一、伊達弘、佐藤晟也、関山耕司、岡野耕作、小林稔侍

かつて東映で映画化した尾崎士郎の原作「人生劇場・残侠篇」を飛車角と吉良常に焦点を当てて作り上げた任侠映画。当時、任侠映画の企画をさせたら右に出るものがいなかった俊藤浩滋プロデューサーが「飢餓海峡」の内田吐夢を監督に指名。それまで、映画としての地位が低かった任侠映画が、初めて批評家から高い評価を得る事が出来、その年のキネマ旬報ベストテンに入るという快挙を成し遂げた。その理由の最たる部分は「裏切りの暗黒街」を手がけた仲沢半次郎のカメラによる情感豊かな映像に依るもので、映画ファンのみならず、任侠映画に対して見向きもしなかった評論家からも絶大な評価を得る事となったのは間違いない。これが最初で最後となった内田吐夢監督による任侠映画は、徹底的に映像(特にロケーション撮影)にこだわっており、深みのある色彩や俳優たちの立ち位置に至るまで綿密な計算をされた映像で描かれている。しかし、クランクイン当初は任侠映画に慣れていない内田監督が棚田吾郎と温泉旅館に籠って仕上げた脚本は娯楽性とは程遠い物だったと俊藤浩滋プロデューサーは後に回顧している。後に名場面として名高い川縁のシーンでもロケーション撮影にこだわる監督の意向に俊藤は渋々OKを出す等、時には折れたり時には突っぱねたりを繰り返していたという。ただ、ラストシーンで内田監督の幻想的な演出にカットを主張した俊藤に対し、「あれはマスコミ用の演出だから…」という内田監督の計算が盛り込まれており、この感覚には俊藤も感心せざるを得なかったという。いずれにしても本作は空前の大ヒットを記録し、次回作を約束しつつも、この数年後に内田吐夢監督は帰らぬ人となってしまった。

八年ぶりに故郷に戻った吉良常(辰巳柳太郎)は、ある日、警察に追われて逃げ込んできた飛車角(鶴田浩二)をかくまった事から知り合いになる。娼婦おとよ(藤純子)と共に逃げた事から、小金一家に匿まわれ、飛車角は宮川(高倉健)たちと大横田に殴り込みをかけたのだ。しかも、飛車角を裏切った奈良平を斬った飛車角は吉良常に説得され、自首を決意した。それから数年の月日が流れ、偶然にも宮川は、おとよの働く店の常連となっていた。二人は、皮肉な運命の悪戯を呪い、それでも、おとよに惚れた宮川は、おとよと逃げる決意をしていた。やがて特赦で出所した飛車角は、おとよと宮川の事を知り、自ら身を引く決心をするのだが…。その影では、飛車角の命を狙う大横田の子分たちが、吉良港に集結をしていた。単身、敵地へ殴り込みをかける宮川と、後を追う飛車角。二人の男は避ける事が出来ない運命に向かっていく。

東映にとって奇跡とも言える大事件が起こった。ひとつの時代を造り上げ、そして新しいジャンルを確立していながら、評論家の御歴々には総スカンを喰らい文化としての評価を一切されなかった任侠映画が「キネマ旬報」の昭和43年のベストテンの第9位に選出されたのである。皮肉にも日本の任侠映画の先駆けとなった作品『人生劇場飛車角』の5年目のリメイクが本作だ。東映任侠映画を支えた名プロデューサー俊藤浩滋が自ら戦前よりの名監督、内田吐夢を指名。後にも先にも内田監督が任侠映画を手がけたのは本作のみ。しかも、戦前に『人生劇場青春篇』を手がけているのだから、本作は言わば続編に位置する見方もある。ポスターのキャッチコピーにもあるように、十年に一度のオールスターキャストで、東映の作品に賭ける意気込みを感じさせる。タイトルにもあるように前作との大きな違いは主人公、飛車角と彼を助ける老人、吉良常との関係にスポットを当てている事だ。しかし、これで前作以上に男同士の人情劇として一本筋が通った事は間違いない。と、いうか前作はまだ任侠映画のパターンというものが(当たり前だが…)出来上がっておらず、三角関係の恋愛模様が浮き出ていたのは仕方が無い。だからこそ、俊藤プロデューサーは、男のドラマ『人生劇場』を作り上げたかったのだろう。飛車角を演じた鶴田浩二は二度目の役だけに演技に余裕を感じられるが、特筆すべきは吉良常を演じた辰巳柳太郎だろう。人なつこい笑顔と、立ち廻りの時に見せる凄みのある表情にシビレた方も多かったのではなかろうか。ある意味、主役を食ってしまった(冒頭から吉良常の出演シーンが続き彼を中心に物語が展開される)名演技をみせた辰巳柳太郎にとっても、これが代表作となったわけだ。
内田吐夢監督がロケーションにこだわったと、言われている雨の河川敷。自首をしようとする飛車角と小金一家の若頭、寺兼が話しているところに堤防の向こうから走って来る人力車…そこには、何も知らないおとよが乗っている。次第に近づいて来る人力車…それが雨に煙って何とも言えない詩情溢れる映像になっているのだ。確かに、これを撮りたかったのだという事が手に取るように理解できる名シーンだ。愛する女性に別れも告げずに刑務所に入る飛車角と、誰かに頼る事無く自らの力で生きて行く道を選び、再び女郎となるおとよ。飛車角の女と知らずに客として彼女を真剣に想うようになる宮川…前作以上に、この三角関係に至る部分が自然な流れとして描かれており、余りにも残酷な運命の悪戯に苦しむ三人を吉良常という人格者を交える事で物語に深みが生まれた。運命の皮肉に二人の元を離れたおとよが、再び吉良港の旅館で吉良常と飛車角に再会した時のシネマスコープサイズに収まる三人の構図の完璧さ。こうした絵画の世界を感じさせる映像を作り上げた仲沢半次郎のカメラによって堅物な批評家たちを任侠映画に振り向せた事は間違いない。
辰巳柳太郎が撮影時に、台詞を覚えられなかったため苦労したという逸話が残されている。それが、あれだけの演技をスクリーン上に残せるのだから俳優って凄いのだ。
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