家田荘子と言えば、『極道の妻たち』の原作者として誰もが知っている女性ルポライターだ。彼女の書く文体は力強く骨太な男性を想像してしまう。彼女の視点は実にユニークで、時代の盲点であったり死角であったりする場所に目を付けて切り抜く(そう、切り抜くという表現が適切な気がする)。その代表作と言っても過言ではないのが“文芸春秋”に短期集中連載されて、その衝撃的な内容から社会現象となった話題作『極道の妻たち』だ。ヤクザものでは女性は主役になりにくい。藤純子(改め富士純子)の『緋牡丹博徒』は別にしても、やはり極道・任侠道は男の世界…女の入る余地などなかったのだが。どんなヤクザな男にだって家族がある…ならば、その家族を支えている(言い換えれば夫を支えている)妻たちに焦点を当ててみたらどうか?その着眼点はすごい。しかも、外側から見るのではなく内側に入り込んでリサーチをするのだから描写のひとつひとつに迫力というか凄みを感じさせる。『極道の妻たち』の取材のために、折しも抗争の真っ只中にあった親和会系暴力団幹部宅に住み込みでリサーチ活動を行っていたのは有名な話し。そこで、姐さんと寝食を共にしている内に若い組員から慕われていたというのだから家田荘子…恐るべし…で、ある。しかも、その当時の年齢は27歳なのだから、度胸の良さは、そんじょそこらの組員に引けを取らない。本作は極道の男たちの陰に隠れて生きている女性たちの群像を前面に押し出した人間ドラマとしても傑出している。任侠映画から実録路線に移行した東映が彼女のドラマに目をつけたのは必然的な事であり、新たなシリーズは正に『緋牡丹博徒』の再燃と言えるだろう。岩下志麻、十朱幸代、三田佳子、高島礼子…と様々な女優が演じている『極道の妻たち』の主役。中でもダントツに多いのは、言わずもがな岩下志麻。原作者の家田荘子から見た岩下志麻の主人公はどう映っていたのか?「セリフがビシビシ決まり、アクションにも迫力がある岩下志麻さんが大好きです」と、シリーズ8作目『極道の妻たち 覚悟しいや』完成後、彼女は改めて、岩下志麻の姐さん役を大絶賛している。モデルとなった本物の姐さんたちからは「ちょっとカッコ良すぎる」という声も挙がっていたらしいが、確かに回を追うごとに凄みを増す志麻姐さんは男が観ても女が見ても惚れ惚れしてしまう。
 『極道の妻たち』の執筆後、次に家田荘子が取り上げたのは“エイズ問題”。『私を抱いてそしてキスして』もまた彼女の代表作として波紋を呼び社会現象を巻き起こした衝撃作だ。南野陽子主演で映画化された本作もヒットを記録している。『極道の妻たち』の取材と異なり『私を抱いてそしてキスして』はエイズ感染者という死と隣り合わせの人々を目の前にして、かなり辛い質問をしなくてはならなかったのがきつかったと語っている。その中で生まれた本作は、それまでエイズ患者に対して抱いていた偏見や差別を提示。エイズに関する正しい知識を伝える役割を果たしていた。
 記念すべき映画化1作目の『極道の妻たち』について、家田荘子は後日、続編である『極道の妻たちII』のパンフレットの巻頭でこう語っている。「明日、極道に逢える見通しも、取材費に使った借金を返す見通しもなく、やめてしまおうと毎日思っていた」という彼女…。『極道の妻たち』が終了してからというもの力を出し切ってしまったかのように空虚な日々を送り、遂には病に冒され、8ヶ月にもおよぶ闘病生活を送っていたという。あまりにも大ヒットして“極妻”なんていう流行語にまでなってしまった自身の作品に逆に押しつぶされそうになりながも、そんな彼女を支えたのは取材した多くの姐さんたちの姿だった。極道という厳しい世界の中で“妻”という役割を果たす…強くなくては生きていけない世界の中に身を投じていながら、モデルとなった姐さんたちは、皆「お人好しで、涙もろくて、淋しがりや」な人たちだったという。映画の中でも、岩下志麻が演じる姐さんが時折フッと淋し気な表情を見せる時がある。若い衆の前では気を張って、飲めない酒を断る事なく飲み干して…そんな生活を日々繰り返している辛さは想像に容易い。取材で歩き回ったために、変形してしまった足をなでる度に、家田荘子は思い出す「“極道の妻”たちとの出逢いは一期一会とも言える、私にとって何よりもステキで、辛くて哀しい…けれども素晴らしい出逢いであったと」。


家田 荘子(いえだ しょうこ) 本名:同じ
(生年非公開)7月22日 愛知県武豊町生まれ
 愛知県立半田高等学校、日本大学藝術学部放送学科在学中から女優業を続け、藤田敏八監督作品などに出演。1981年に卒業後、OLの他、セールスレディ、取り立て屋、編集アシスタント、ウェイトレス、コンパニオンなど10以上の職歴を経て、フリーのノンフィクションライターとして、週刊誌・月刊誌を中心に活躍する。これまで光の当たっていなかった世界や人々にスポットを当て、取材することによって社会問題を提起し続けている。エイズ患者、ヤクザや代議士の妻、歌舞伎町の人たちなど、その実態があまり世間に知られることのない人たちへのインタビュー取材によるルポタージュは多くの人々に衝撃を与えた。1984年、日本人女性と在日黒人兵士たちの奔放な交遊を描いた『黒い肌に群がった女たち』は、当時の若い女性たちのショッキングな性意識を明らかにし、大きな反響を呼んだ。山口組と、一和会との山一抗争のさなか、取材に2年を費やして『極道の妻たち』(文藝春秋)を発表する。平成3年、アメリカ取材で2年をかけた『私を抱いてそしてキスして〜エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録〜』(文藝春秋)で、第22回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『イエローキャブ』(講談社文庫)は、アメリカに渡り苦学しながら学ぶ女子留学生たちの姿を描いた作品。東洋人である偏見と人種差別、そして文化的差異からくる誤解を受けながらも勉学を続ける女学生たちの姿を描き出した。
 プライベートでも二人のアフリカ系アメリカ人との結婚歴があるなど一般的なステロタイプや偏見とは異なる人生を歩んでいる。この仕事を始めた頃より、1日1人以上の取材をノルマにし、実行してきたため、女性の生き方、恋愛、事件、結婚、裏世界などの「現場の生の声」を莫大に蓄積している。女性の人生は「深くて優しい」ので、女性を取材し、常に弱者の立場に立って、描き続けている。なお、ノンフィクション作品の他に、コミックの原作や恋愛エッセイ、小説にも定評があり、著作は120作品近くに及ぶ。現在高野山大学大学院・文学研究科密教学を専攻している。
(Wikipediaより一部抜粋)
(家田荘子公式HP http://gokutsuma.com/

昭和61年(1986)
極道の妻たち

昭和63年(1987)
極道の妻たちII

平成1年(1989)
極道の妻たち
 三代目姐

平成2年(1990)
極道の妻たち
 最後の戦い

平成3年(1991)
新極道の妻たち

平成4年(1992)
悪友
私を抱いてそしてキスして

平成5年(1993)
新極道の妻たち
 覚悟しいや
姐 極道を愛した女
 ・桐子
ごろつき2

平成6年(1994)
新極道の妻たち
 惚れたら地獄

平成7年(1995)
極道の妻たち
 赫い絆

平成8年(1996)
極道の妻たち
 危険な賭け

平成10年(1998)
極道の妻たち 決着
バブルと寝た女たち

平成11年(1999)
新バブルと寝た女たち
極道の妻たち
 −赤い殺意−
惚れたらあかん
 大紋の掟
極道の妻たち
 死んで貰います
続バブルと寝た女たち

平成12年(2000)
極道の妻たち
 リベンジ

平成13年(2001)
極道の妻たち
 地獄の道づれ




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