|
悪女、魔性の女…それらは岩下志麻という女優のためにある呼び名である。キリッとした目鼻立ちに透き通るような白い肌。まるで、この世のものとは思えないような美しくしなやかなシルエット…あまりにも完成された姿に怖さすら覚えるのは男の器が小さいからなのか。とにかく岩下志麻という女優が持つ恐ろしさはギリシャ神話に出てくるゴーゴンを彷彿とさせる。いつから志麻さんは怖さを感じさせるようになったのだろうか?可憐な娘役が多かった松竹の看板女優はある時期を境に確実に変化を遂げた。パート1で紹介した『五瓣の椿』で初めて悪女を演じ、高い評価を集めた岩下志麻。それを境に彼女の演じる役は確実に変わっていった。20代後半に差しかかって単なるお嬢さん女優として限界を感じたのかも知れない。いや、むしろお嬢さん女優に飽きていたのかも知れない。彼女は精力的に個性的な役を求め始める。 昭和42年3月3日篠田正浩監督と結婚したその年―高村光太郎の名作『智恵子抄』(苦渋の選択の末、今回の特集から外してしまった)の主人公に挑む。自ら精神病院に赴き、数々の患者と触合いながらの徹底したリサーチを基に、それこそ体当たりの演技で精神病棟に隔離された主人公智恵子を演じ切った。その後、夫である篠田正浩監督の運営する独立プロによる『心中天網島』に出演。近松門左衛門の戯曲を斬新なイメージで映像化した意欲作は、ATG映画独特のアバンギャルドな作品であるにも関わらず大ヒットをする。本作の岩下志麻は妖艶な雰囲気を醸し出し、モノクロ画面から匂い立つエロチックな香りは日本映画史上最高…などという評論家もいるくらい。岩下志麻に魔性の女を感じるようになったのは本作からと言っても良いだろう。だが、彼女が女性の内に秘めた悪女性に惹かれ始めたのは小学生の頃からであった。当時、彼女の母親の妹が“前進座”という演劇集団の劇団員・河原崎長十郎の妻であったため、敷地内に住んでいたのだが…よく幕間にアイスクリームを売る手伝いをしていたという。特に芝居に興味を持っていなかった彼女だが“屈原”という芝居に出てくる主人公を陥れる悪女が、正に主人公に非ぬ罪を被せて幽閉してしまうシーンを毎日楽しみに見ていたという。他のシーンは全く覚えていないのに、このシーンだけは明確に覚えていたという少女―岩下志麻は自伝エッセイの中で「のちに毒を持つ女の役を演じるようになっていくのも、女の心に潜む悪を覗き込もうとしていた小学時代と、どこかで繋がっているのかもしれない」(岩下志麻著『鏡の向こう側』より)と語っている。だからであろうか…『心中天網島』を観ていると演技の上だけではない、生まれ持った妖しさ(妖艶と言った方が良いだろうか?)を感ぜずにはいられない。 岩下志麻が本格的に悪女役を演じるようになったのは『影の車』を始めとする松本清張原作のサスペンスからである。野村芳太郎監督がメガホンを取った『影の車』では、悪女ではなかったものの今まで演じてきた役柄とは異なる印象の女性であった。若くして未亡人となった母親役で、6歳の子供を抱えながら保険の外交員をして細々と生計を立てている地味な役だ。しかし、偶然出会った昔馴染みの男と男女の関係になってから、子供への愛情が男の方に注がれるようになり、その子供が男に殺意を抱く…という内容のサスペンスだ。子供の視点から見ると、明らかに母親の行動は子供にとっての裏切りであったわけで、その証拠に子供を逆に殺しかけた男をあろう事かかばってしまうのだ。こうした一連の松本清張原作のサスペンスが続けて製作され、その第5作目となった『影の爪』こそが彼女を悪女役へと突き進ませる最初の作品となった。亭主をひき殺された未亡人が志麻さんの役どころ。加害者の夫婦は、夫を失ったために社宅から追い出された未亡人をしばらく同居させてやるのだが…ここからが怖く、彼女は加害者の夫を誘惑(この誘惑の方法が見事で、さり気なく男の気を惹いてゆくのだ)して、最後にはその夫婦の家庭を崩壊させてしまうのだ。彼女は、悪女を演じることの楽しさを本作によってはっきりと認識したと後に語っている程(岩下志麻著『鏡の向こう側』より)、ハマリ役であった。こうして、松本清張シリーズの悪女と言えば岩下志麻…という配役が定番となり、『鬼畜』においては観客が悪夢を見てしまいそうな悪女(と、いうよりも恐女)を演じ、夫が他所にこさえていた子供たちを虐待するのだ。続く『疑惑』では敏腕女弁護士を演じ、桃井かおり演じる殺人犯を見事に無罪にしてしまうのだが…クールな表情の向こうに見え隠れする正義とは無縁の冷たさに、怖さを感じつつ惚れ惚れしてしまう魅力があった。 他にも印象に残る悪女と言えば時代劇や任侠映画に多く、五社英雄作品の『鬼龍院花子の生涯』で鬼政の妻を演じ、養女としてやってきた夏目雅子を徹底的にいたぶっていた。仲代達矢演じる鬼政が無茶苦茶な男で、岩下志麻ですらその無謀ぶりに辟易した表情を見せるところが結構、愛嬌があって個人的には好きな役柄だ。また同様に五社監督作の『極道の妻たち』シリーズでは強面の極道たちを引っ張って組長の留守を守る姐さんを見事に演じ、松竹から東映の看板女優にまでなってしまった。すっかり、本シリーズがバブル期以降の岩下志麻の代表作となってしまい、新幹線でテレビドラマの撮影中“その筋”のカップルが同じ車両に乗っており、スタッフが席の移動を頼んでも一向に聞き入れてくれなかったのに、そこに岩下志麻がいると知るや「姐さん頑張って下さい」と挨拶して撮影に協力してくれた…と、いうエピソードが残っている。時代劇でも悪女役は相変わらず絶好調で『雲霧仁左衛門』や『鬼平犯科帳』(テレビシリーズも含む)では盗賊の首領各や元締となっていた。この人を怒らせると怖い…という強烈な印象を茶の間に植え付けたのもこの時期である。また、怖い女性だけではなく男を惑わせる魔性の魅力を出していたのが『魔の刻』や『悪霊島』『北の螢』。『魔の刻』では実の息子と近親相姦してしまう話しなのだから行き着くところまで行き着いてしまった…という感じは否めない。こうして岩下志麻という女優の作品を振り返ると、彼女の何が凄いかって…キワドイ作品に出ていながら脱いでいないのだ。えっ?脱いでなかったっけ?という方々…思い出してもらいたい。『魔の刻』?『悪霊島』?『影の車』?『心中天網島』?とタイトルを挙げてみても濃厚なベッドシーンはあっても脱いでないのだ!横溝正史原作の『悪霊島』なんか二重人格の色情狂の役なのにね。また、『悪霊島』の中では、彼女自身の提言によって付け加えられた、鏡を見ながら自慰にふけるシーンがあるのだが、この瞬間にもうひとつの人格が現れる…と、いった結果的に物語の核になる重要なシーンが誕生したわけだ。 こうした文字通り、体当たりの演技によって、岩下志麻の出演する様々な映画は、人間の奥深い部分まで掘り下げ描かれているため重厚な作品へと昇華されているのである。その中でも、彼女の代表作と言っても良いであろう、昭和52年日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した水上勉原作『はなれ瞽女おりん』では盲目の瞽女(詳しくは下記キーワードを参照)おりんを熱演。男性と関係を持ってはいけないという瞽女の誓いを破ったおりんが仲間から追放されてしまい、たった一人で全国を放浪する…逞しく生きるおりんの姿の向こうにも生々しい女の心に潜む悪(ここでは抑え切れない情欲という形であるが…)を垣間見る事が出来る。結論―岩下志麻という女性の奥底から湧き出てくる妖艶な魅力はそんじょそこらにある薄っぺらな色気とは違う…何度も繰り返し言うがこの世のものとは思えない怖さを併せ持っているのだ。だから器の小さい中途半端な男が太刀打ち出来る女性ではないのである。
|
|
Produced by funano mameo , Illusted by yamaguchi ai
copylight:(c)2006nihoneiga-gekijou |