あれは小学校3年生の頃…確か“キイハンター”の後番組として始まった“アイフル大作戦”というピンキーアクションドラマで、主人公の女探偵事務所のボス役で出演していた小川真由美(現・眞由美)を初めて見た時、子供心に「何てキレイな人なんだろう」と早熟にもアイドルには無い妖艶な色気に憑り付かれてしまった。勿論、彼女が元々舞台の女優さんでコメディエンヌよりも悪女というイメージが強かったなんて知る由もない。彼女の人気にあやかってか再放送を開始していた“浮世絵・女ねずみ小僧”でも彼女の口上は実に軽快でアニメや特撮を見るよりも彼女が出ているドラマを楽しみにしていたのを今でも鮮明に覚えている。この作品は大劇団の芝居作りに疑問を抱いて10年近く所属していた文学座を退団直後の主演ドラマだっただけに自ら髪型と衣裳に工夫をこらしていたそうだ。本来、女優になるつもりは無かった彼女は演劇を観るのが何よりも好きな少女だった。ある日、新劇をやっていた父親に付き添って文学座の名誉座員である田村秋子のところに挨拶に行ったのがキッカケで文学座の研究生となる。その背景には新劇をやっていた父親の存在が大きかったように見受けられる。「自分が叶えられなかったものを娘が叶えてくれる」という父親の期待を感じながらも自分はそんなつもりは全く無かったと述べていたが、その後メキメキと頭角を表して杉村春子の後継者とまで言われていたにも関わらずアッサリと方向転換をしてしまう行動力が後の小川真由美という女優を物語っていたように思える。
それからしばらくして小川真由美を映画館で観たのは昭和52年公開の野村芳太郎監督作『八つ墓村』だった。世は正に金田一耕介ブームで松竹が金田一に渥美清を配し、その年一番の大作として打ち出した中で小川が演じるのは犯人の森美也子役。萩原健一演じる寺田辰弥を誘惑して多治見家の財産を奪おうとする連続殺人犯だ。しっとりとした口調で風が吹きすさぶ峠に立って辰弥に村を案内する美也子。風に吹かれて長い黒髪が彼女の白い顔に生き物のように絡みつく幽玄美に溢れた場面を観て正直ゾッとするものがあった。クライマックスの鍾乳洞での追跡場面は評価が二分(ミステリーではなくあれではお化け屋敷だと揶揄する声が多かった)したとは言え、やはりあの顔立ちに白塗りメイクだからこそ、怖さが際立っていた。こうした妖艶なこの世のモノとは思えないような演技は小川の真骨頂とも言える役で、寺山修司監督作『さらば箱舟』の蟹の形の貞操帯をつけられた主人公や佐藤純彌監督作『空海』の娘婿と密会を重ねる藤原縄主の妻という悪女役で強烈な印象を残す。舞台で三島由紀夫の『黒蜥蜴』のヒロインを演じた時、非現実的な世界の中で「自分が女である事が(これほど)邪魔になったことは無かった。この主人公のような男とも女ともつかない奇妙な生き物は、何を考えているのか全く分からなかった」と述べている。そして、野村監督作品は続き松本清張の原作を映画化した『鬼畜』では三人の子供を抱えた妾役を好演。岩下志麻演じる本妻と壮絶なバトルを繰り広げる。小川は飲み屋の女将という役どころだが子育てと先の見えない暮らしに憔悴しきった容貌にある種のエロティシズムがあった。冒頭、満を持して三人の子供の手を引いて不倫相手の緒形演じる宗吉の元に乗り込む演技が凄い。宗吉の会社が小さな町工場だった事に呆然と佇む姿や気だるそうに子供たちにラーメンを食べさせる仕草から伝わってくる色香…わずか20分足らずの登場シーンにも関わらず小川は強烈な印象を残した。主人公の緒形拳は日本アカデミー賞最優秀出演男優賞を受賞しながらも自身の演技に不満を感じ「あれは小川真由美さんと岩下志麻さんの傑作で、俺はただいるだけだった」と振り返っていた程だ。
『鬼畜』の翌年、再び緒形拳と共演した今村昌平監督作品『復讐するは我にあり』で彼女は見事日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。この年の賞を席巻する正にあたり役を手にする。小川は緒形演じる連続殺人犯・榎津に惚れて最後には殺されてしまう浜松にある安旅館の女将ハルに扮し、相手が全国指名手配の凶悪犯と知りながら深い関係に陥る悲劇のヒロインを見事に演じきっていた。役を演じるにあたって彼女は単身、浜松に足を運び老芸者を取材して、その土地に流れる土着的な空気感を自身の中に取り込んで役に臨んだという。入り組んだ路地の奥にひっそりと佇み、たまに来る宿泊客の要望に応えて売春婦の手配をしてその収入で生計を立てているハルを小川はむせかえるような生活臭を放ちシットリとした物腰でハルの人生そのものを見事に表現していた。中でも素晴らしいのは台所で漬け物を漬けているハルが榎津に絞殺されるシーンにおけるアップで見せる小川の表情。両手が漬け物でふさがっているハルにビールを飲ませる榎津…カメラはハルの喉越に榎津の表情を捉え、榎津の目が光った次の瞬間コップを握っていた指はハルの喉を締めつける。そして小川の顔がアップで映し出され…驚きの表情から、まるで死を望んでいたかのような覚悟を見せる穏やかな顔に変わる。衝撃的なこのシーンに満席の劇場内が水を打ったように静まり返っていたのをよく覚えている。小川は当時のキネマ旬報の対談で「ハルという役は撮影前に色々考えずにカメラが回ったら感じたままに演じれば良かった」と語っていたが、正に殺されるシーンにおける小川には演技プランや役作りといったものは微塵も感じさせない…不思議な凄まじさがあった。
こうして改めて振り返ってみても悪女というイメージはかなりデフォルメされており、映画に関して言えばむしろ薄幸という役柄(正に美人薄命そのもの)が多い事に気づく。まぁ確かに映画デビュー二作目で主演を勝ち取った昭和39年に公開された映画のタイトルがズバリ『悪女』なのだから仕方ない話ではあるのだが…。この作品ではある大富豪の邸宅に家政婦としてやってきた小川演じる姫子(売春婦をしていたという過去を持つ)が遺産相続に巻き込まれ、更にその家の長男の子供を身ごもってしまう…という壮絶な内容だった。本作は日本映画がエログロ系を売り物にした作品を大量生産した頃の作品で内容はともかく彼女の女優としての基盤を築いたのは確かだ。以前、佐藤純彌監督作品『空海』の公開時インタビューで「私は女優になりたくてなったわけではないので、今あるのは仮の姿…とずっと思っていた。」と語っていたが、映画デビュー作でいきなり身体を張った役に挑むあたりは、やはり天性の女優気質みたいなものが備わっていたのではないだろうか?
小川 眞由美(おがわ まゆみ、本名:小川 真由美 1939年12月11日 - ) MAYUMI OGAWA
東京府東京市足立区(現:東京都足立区)出身。
父親・丹真は戦前、田村秋子らが創立した劇団新東京に属した俳優で幼い頃から演劇に親しんでおり、5歳よりバレエ、日本舞踊を習う。学生時代は永井荷風を愛読し、高校時代は足繁く歌舞伎に通い、三代目市川壽海の大ファンだった。和洋女子短大国文科卒業後、昭和36年に田村の推薦で文学座付属研究所を受験し合格、第一期研究生として入所する。同期に草野大悟、岸田森、寺田農、樹木希林らがいる。翌年に文学座研究生として『光明皇后』で初舞台を踏み、昭和38年に新藤兼人監督作品『母』で映画初出演、武智鉄二と裸のラブシーンを演じ話題になった。昭和39年、東映の渡辺祐介監督作品『悪女』で本格的に主演を飾る。この頃のイメージが強烈だったため“悪女スター”とイメージが定着する事となる。昭和40年には文学座座員に昇格し、後に杉村春子の後継者と目されるまでに至るものの、昭和46年に劇団のありかたに疑問を持った…という理由で退座。その後、テレビの“女ねずみ小僧シリーズ”を始めとしてTV時代劇に多く主演し人気を集める。この年に日本放送作家協会演技者賞を受賞。昭和54年には今村昌平監督作品『復讐するは我にあり』の演技が高く評価されて日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を始めとする報知映画賞、キネマ旬報助演女優賞を受賞する。昭和56年には舞台「ドリスとジョージ」で文化庁芸術祭演劇部門優秀賞、平成2年には降旗康男監督作品『遺産相続』と神山征二郎監督作品『白い手』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞。平成17年には映画批評家大賞ゴールデングローリー賞を受賞している。(Wikipediaより一部抜粋)
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