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そんな緒形について深作欣二監督が的確に言い表した事があった。「大スターはカチーンと自分の世界を作ってしまうが緒形さんは自分の世界を固定しない。逆に自分が受けに回って相手を立てるんです」ナルホドな…と思った。緒形の主演作で複数の女性に比重を置いた作品が多いのは、巧みに女優を立てて良いところを引き出してくれるからなのかも知れない。だからこそ深作監督は自身の『火宅の人』で女に翻弄される昭和の文豪・壇一雄に抜擢したのだろう。本作は妻・愛人・行きずりの女を渡り歩く壇が主役のようでありながらあくまでも主軸は女性たちに置いている。その点においては五社秀男監督と共通しているのか主演作に五社作品が多いのも納得出来る。『薄化粧』も緒形演じる逃亡の旅を続ける殺人犯が逃亡先で出会う小料理屋の女将(この映画の藤真利子は綺麗だったなぁ)の人生に共鳴し合って愛の逃避行へと変わるし、宮尾登美子原作『陽暉楼』では女衒の大物として高知で名を馳せた大勝に扮し(当初は仲代達矢が演じる予定だった)池上季実子演じる陽暉楼一の芸妓・桃若と浅野温子演じる遊郭一の女郎・珠子の間で適度な距離感を保ちながら二人の魅力を最大限に引き出していた。肺の病に侵され最後を看取る実の娘である桃若を腕に抱く時に見せる緒形の表情にドキッとする。続く(またしても宮尾&五社コンビ)の『櫂』でも十朱幸代演じる妻を振り回す自由奔放な女衒の夫を好演していた。そして翌々年には今村監督が手掛ける(そのものズバリの…)『女衒』に出演。香港やシンガポール等東南アジアを股にかけて日本人の娘たちを抱える娼館を経営し己の才覚を活かした女衒の生涯を歩んだ明治時代に実在した男を生き生きと演じた。80年代の主演作品はこうした昭和初期に生きる豪胆な男という役柄が多かった。正に40歳半ば…脂の乗りきった頃だ。 1990年代後半、60歳を過ぎてから緒形は意欲的にインディーズ作品に出演していた。中でも池端俊策監督作品『あつもの 杢平の秋』は間違いなく後期の緒形を語る上で欠かす事が出来ない秀作となる。緒形が演じる主人公の杢平は菊作りの名人と賞賛されながらもヨシ笈田扮すライバルの黒瀬に勝つことが出来ない。どんなに努力をしても一番になれない杢平を受け身の演技に徹しながら、内側からフツフツと滲み出る天才に対する焦燥感を抱く…といった難しい役を好演していた。もう一本心に残るのは、山本政広監督作品『歩く、人』で緒形が演じた恋女房に先立たれやもめ暮らしの老人役。妻の死後、操を立てていた主人公が三回忌を女性解禁日に決めていながらも娘ほど歳が離れている女の子におんぶされて「自慢じゃないが女房しか知らないんだ。それでイイと思ってる。それで死んで行きたいと思ってる…」と朴訥と言うセリフに感動した。本作はカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され「映画を持ってカンヌに行くのは役者の夢」(垣井道弘著「緒形拳を追いかけて」より抜粋)と言っていた緒形はベテラン監督から若手監督までカンヌへ導く天才かも知れない。それから4年後には奥田瑛二監督作品『長い散歩』ではモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞。いずれも感情をギリギリまで表に出さない抑えたストイックな演技が新鮮で、歳を重ねる毎に渋みと円熟味を増していただけに71歳で逝ってしまわれたのは残念でならない。
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