晩年の緒形拳主演作として最高傑作だと思う『あつもの』。緒形演じる初老の主人公がコンプレックスを押し殺し、葛藤する姿から言い知れぬ怖さを感じる人間の欲望を描いたドラマだ。主人公の馬野杢平は厚物という大菊作りで北陸の名人と呼ばれていたのだが全国大会ではどうしても黒瀬という名人を超えられないでいた。ある日、黒瀬の家を訪ねた時、何とか菊作りの秘密を探ろうと土や鉢を熱心に見る主人公に人間の執念を垣間見せる素晴らしい演出だ。この映画を監督したのが、これが長編デビュー作となる池端俊策である。もう還暦を過ぎた男が抱く不格好なまでのコンプレックスとジレンマを見事に描き切ってみせた池端俊策(脚本も手掛けている)という人物にこの一本だけで俄然興味が沸いてしまった。元々、映画監督志望だった池端は遠い親戚の田坂具隆監督に相談したところ「映画監督になりたければ脚本を書きなさい」と言われて脚本家・馬場当に師事して今村昌平監督を紹介される。その縁で『復讐するは我にあり』の脚本に参加。さらに『楢山節考』では脚本と助監督として現場に加わり、そこで緒形拳と出会う事となる。山奥でのロケ撮影で池端が任されたのは動物係。常にポケットにヘビを入れて、ここぞというところでヘビをポケットから緒形に向けて放つという役だった。その当時の事を緒形は『あつもの』のパンフレットでこう振り返っている。「(ヘビを投げる)タイミングが悪くてね。夜酒を飲んでいると“僕、脚本を書くんですけど一緒にやりませんか?”って言っていたんですが“お前が脚本なんか書けるわけないだろう。それよりちゃんとヘビを投げろ”って言ったんですよ。」ところがその翌年、緒形は本当に池端が書いた脚本のドラマに出る事となった。それが『羽田浦地図』という空港が出来るまで漁師町だった羽田を舞台に町工場で働く旋盤工の主人公が関わる人々を描いた地味だが実に面白い人間ドラマだった。緒形は池端の脚本を絶賛、その後、池端の脚本作品に頻繁に出るようになる。「あの人(池端)と僕は映画を観てもその観方がよく似ている部分がある。二人ともすごく地味だけれども人間の懐の深さが描けている作品が好きなんです」とも語っていた。
また池端自身も書いていくうちに「脚本家もいいのではないか」と次第に思うようになっていく。「脚本には建物の青写真を作るといった快感がある」というが基礎工事や骨組を全て自分でやり全体像を机の上で作ってしまう快感が自分の体質に合っていた…と分析する。テレビドラマの話が続くが理髪店の主人を演じた『百年の男』と定年直前の刑事が最後の事件に挑むサスペンス『翔ぶ男』を見た事がある。両者共に池端自らベストとして選ぶ作品で、緒形が主人公を演じた実に奥深く味わいのある秀作だった。『翔ぶ男』の緒形は池端が脚本に書いたイメージ通りで、かつて妻の万引きを赦せず自殺に追い詰めてしまった過去を持つ老刑事を実に人間臭く演じていた。前者の『百年の男』も同様に緒形が演じる主人公は60歳を過ぎたところで突然おとずれる身体の不調から自分の老いに戸惑う理髪店主だ。借金返済のため理髪店の二階に自分が死んだら店を譲与する…という条件で若い夫婦を住まわせる風変わりなホームドラマで、清水美砂扮すしたたかな若妻とのやり取りが面白かった。特にラスト近くで清水が理髪店の修行をさせて欲しいと申し出た時に見せる緒形の嬉しそうな表情から、自分が必要とされているかどうかが人生で大切な事なんだ…と感させられた。池端が描く主人公は、生真面目に仕事に向き合ってきた男たちが初めて老いを感じた時に若さや才能に対してコンプレックスを抱く男たちが多い。定年と同時に「自分の存在価値」に対する自信が揺らぎ、不安に襲われる姿を時にユーモラスに時にサスペンスフルに描く。長年勤めていた環境から必要とされなくなった瞬間の孤独感…池端が作り出す人物像のベースには戦争に負けた後に見せた海軍だった父親の姿があるのかも知れない。そこに監督デビュー作『あつもの』である。
この映画でもう一人の主人公として菊が終始、重要なアイテムとして三人の男女に絡んでくる。脚本を書くにあたって全国各地で菊を作っている人々を取材して回ったという池端監督。その中で菊作りと脚本の執筆にある種の共通点があるとパンフレットで語っていたのが納得できる。ある時間を菊のために捧げなくてはならないという不自由さと、どんなに外が晴れていても部屋の中に閉じ込もって花の話を書いているという不自由さ…。共にその先にあるのは完成した時の満足感ではなく、不自由さを快感に思う自己矛盾だという事だ。劇中、ヨシ笈田演じる菊作りの名人が手塩にかけた500本近い菊を実際に燃やすシーンがある。これらの燃やされる運命にある菊を作った名人は脚本を読んだ時点でショックを受けて辞退を申し出た方がいたそうだ。「動かないものを撮ってみたいという変な欲望があった。」と述べていた池端監督だが、燃えさかりゆらゆらと朽ちてゆく菊のシーンは観る側にも衝撃的な画となっていた。今までは脚本を書くにあたって理想の風景を頭の中に描いてきた池端が初めて監督として演出に挑んだ時、思ったより狭いカメラの画角で理想に近い映像を作り出す難しさに苦労したという。撮影中でも余計と思うセリフは切っていったり、俳優がより良い演技のアプローチを考えてきた時は積極的に採用し、それでも自身のイメージする世界観がバラバラにならないようにするこだわりは一貫していたそうだ。大胆に老人たちの欲望のかけら(…というのは語弊があるか?)を切り取り、人間幾つになっても変わる事がない業を見事に描いてみせた池端監督。今のところ『あつもの』以後、監督作品は発表されていないが是非とも現代の高齢化社会におけるストイックな老人たちのドラマを見せて欲しいと願っている。
池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 -)SHUNSAKU IKEHATA 広島県呉市出身
広島県立呉三津田高等学校を経て、1970年、明治大学政治経済学部卒業。在学中からシナリオ研究所に通い、卒業後は竜の子プロダクションに半年勤務。その後は営業職など職を転々とし、今村昌平の脚本助手となり、今村監督の映画『復讐するは我にあり』(1979年、松竹/今村プロ)、『楢山節考』(1983年、東映/今村プロ)の第1稿を手がけた。1984年、テレビドラマ脚本『私を深く埋めて』(TBS)『羽田浦地図』(NHK)『危険な年ごろ』(読売テレビ)の三作品で向田邦子賞、芸術選奨新人賞を受賞し脚光を浴びる。2009年秋には紫綬褒章を受章した。映画『復讐するは我にあり』『楢山節考』以来の仲である緒形拳の出演作を、『羽田浦地図』『百年の男』『帽子』(以上、NHK)など多数執筆。初監督映画『あつもの』でも、緒形が主演している。2009年2月に、2008年に死去した緒形を追悼するドキュメンタリー番組『俳優〜脚本家・池端俊策が見つめた緒形拳〜』(NHK)が放送された。ビートたけしの主演作も、『昭和四十六年 大久保清の犯罪』『イエスの方舟』『あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機』(以上、TBS)などを発表している。また、1990年の『忠臣蔵』では、両主演という形で、緒形拳(大野九郎兵衛役)、ビートたけし(大石内蔵助役)が共演した。演出家の鶴橋康夫とのコンビは長く、『仮の宿なるを』『魔性』『危険な年ごろ』『風の棲む家』(以上、読売テレビ)などの作品がある。TBSプロデューサーの八木康夫との仕事も、『昭和四十六年 大久保清の犯罪』『協奏曲』『烏鯉』など多数。(Wikipediaより一部抜粋)
|