クレイフィッシュ
ザリガニは、同じ水槽で生きられない。

2010年 カラー ビスタサイズ 10min
監督、脚本、編集 常盤司郎 音楽 笹川美和 撮影 斎藤卓行 音響 横田智昭
出演 常盤司郎、お父様、お母様


 ザリガニは、同じ水槽では生きられない。父と子、そして別れ…誰もが歩むであろう普遍的な問題を実話に基づき、美しい映像とリアルな感情で監督本人が語り綴った短篇叙事詩。


 “ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2010”のミュージックShortプログラムにおいて優秀賞と観客賞のダブル受賞を果たした本作。初めて本作を目にした時、それまで筆者が抱いていたミュージックShortの概念をあっさりと打ち砕いた内容に戸惑を隠せなかった。まず、内容が常盤司郎監督の極めてパーソナルなセミドキュメンタリーである事に驚かされる。出演者は常盤監督本人と実際のお父様とお母様の三人だ。ご両親は一言も口を開く事なくカメラはお二人の表情や手の動きだけ(お母様のギュッと握りしめる手のアップが胸を打つ)をスタティックに淡々と捉え続ける。ここで重要なのはカメラのレンズは常盤監督の目…ではなく、息子・常盤司郎の目(実は、これってかなりの勇気がいると思う)となっている事だ。そして、筆者自身も父親を見る時の目線ってこんな感じじゃないだろうか?とさえ思わせる映像から繰り出される話術の上手さ。もっと言えば、極めてパーソナル(個人的)な映画と前述したが、実は誰もが持っているであろう「忘れたくないけど、思い出すのを避けてしまいがちな…」記憶を常盤監督は映像化していたのだ。『皆既日食の午後に』では「伝えたい思い、伝えたくない思い」をテーマにされていたが、こうした幼少期からの家族に対する思いが常盤監督作品の根幹にあるのかも知れない。
 新作『皆既日食の午後に』でも同様に、常盤監督はミュージックShortでありながら、主役の音楽を押し付けないのが特長だ。主人公のモノローグ以外、余計な音を排除した映像が続き…常盤監督が汽車に乗って里帰りする中盤で初めて、静かに流れ出すアコースティックの音色。ここに至るまで音は「ボーリング場」とか「割れたグラス」等といった最低限の効果音のみ。この静けさがあったからこそ笹川美和の美しい「今年も来ました。雪化粧の日々が…♪」というフレーズがわき水のように溢れ出し、じわ〜っと胸に染み込んでくる。そして、バランスの良さは映画全体の色彩にも表れており、明る過ぎず暗過ぎないナチュラルな映像(ライティングを殆ど感じさせないのだが、もしかして照明は使っていない?)が、楽曲を邪魔せず寄り添うように存在しているのが見事だ。雪のチラつくホームに立つ主人公の画(ココでキラキラ光りながら舞い降りる雪が素晴らしい効果を生み出している)と“街生まれ、田舎生まれ”の歌詞がひとつに重なった瞬間、思わず身震いした。控えめな色彩の映像と思わせぶりに絶妙なタイミングで終わる曲…その双方が主張し過ぎていないからこそ上品な作品に成り得たのだと思う。
 そして、エンドロールで再び“街生まれ、田舎生まれ”が流れるのだが、ここでもまた常盤監督流「曲の切り取り方」に脱帽させられる。ナルホド…どうやら常盤監督の映画作りの基本は音楽も色彩も同じ路線上に存在しているようだ。部屋の外から入る日差しに浮かぶ日焼けした畳、手のひらのシワをなぞる主人公の指、誰もいない自宅に帰ってきた常盤監督が玄関を開けた時の磨りガラスから差し込んでくる逆光…等々、どのカットも赤の色調が抑えられているからこそ、ペットショップのザリガニの赤だけがスコーンと目に飛び込んでくる。この色彩のバランス(アクセントと言った方が正しいか?)が映画全体に柔らかな表情を持たせる事に成功しているのだ。

印象に残るセリフがある。人間の一生を24時間の時計に置き換えた時、自分と父親の針は何時何分を指しているか?と自問するところだ。

【常盤 司郎監督作品】

平成20年(2008)
99%の自殺

平成22年(2010)
クレイフィッシュ

平成23年(2011)
皆既日食の午後に

平成29年(2017)
終着の場所

令和1年(2019)
最初の晩餐




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