正直な話…金田一耕助という探偵が出ている推理小説がどんなものなのか全く知らなかった。角川映画が大々的に宣伝し、単行本と連動したキャンペーンで初めて、本の表紙を見ることとなる。エアスプレーで描かれた和風女性のイラストに江戸川乱歩とは異なる怪しさを感じた。映画のポスターは湖面から突き出した二本の足という70年代の映画らしいグロさに怖いもの見たさの欲求に駆られながら、劇場に向かった。しかし、こちらが予想していた映画のトーンとは異なり、『犬神家の一族』は何とも清々しいミステリー映画だったのだ。確かに血しぶきを上げて殺される場面や首が切断される場面があるのだが、石坂浩二演じる金田一耕助は、それらショッキングな残虐シーンを全て包括して尚余りある程、優しくユーモアに溢れた愛すべきキャラクターなのだ。死体を見たとたん誰よりも大きな声で叫び、その首がポロリと落ちると「ギャー!」と遂にはしゃがみこんでしまう。何とも頼りないこの探偵に多くの観客が魅了され、石坂浩二=金田一耕助シリーズは、東宝のドル箱番組となったわけである。石坂浩二は金田一耕助を演じるにあたり「金田一耕助はギリシャ神話の中に出てくるコロス(破局へと向かう悲劇を悲しみながらも最後まで見届け、決して舞台の中央に登場しない人物。神は何故、自らの創造物である人間に罪を犯させるのかと、問う)なのだ」と役柄を捉えている。コロスとは、合唱隊という意味の他に神々の代弁者とも解釈できる。「自分に金田一耕助が演れるだろうか…?」と不安を覚えていた石坂浩二に市川崑監督が言った「石坂君、金田一耕助は神様なんだよ」という言葉によって彼なりの金田一耕助像が確立されたという。
確かに『犬神家の一族』に出てくる探偵・金田一耕助は大量殺人を結果的には止める事は出来ず、犯人である松子夫人(高峰美枝子)が全ての犯行を完了した後に、ようやく謎を解明する。「犯人は…」と一拍置いて「あなたです…」と言う時の石坂浩二の声は犯人の心を救済し解放へと導くかのように優しさに満ちている。そう、金田一耕助は真犯人を追い詰めるのではなく、常に犯人の身になって自白に向かわせる(強要ではない)のだ。『病院坂の首縊りの家』で、草刈正雄が演じる探偵に憧れる若者が金田一に「金田一さんは、犯人に同情的ですね。いつもそうなんですか?」と言う場面があるが正にその通りだ。昭和30年前半で金田一耕助を演じてきた片岡千恵蔵や高倉健は時代が求めていたせいもあってヒロイックな探偵であったが、横溝正史の原作に登場する金田一耕助は、決してカッコ良くない…が、犯人を本当の意味で救ってやる事が出来る優しさを持っている探偵なのだ。そして、金田一が傍観者でいるしかなかった顕著な作品は『悪魔の手毬唄』ではなかろうか…。十数年前に起こった殺人事件から、現在に至るまで消すことができない忌まわしい血の系譜。その血を断ち切るには殺人しか選択肢がなかった犯人を前にして、金田一耕助はただ目に見えない人間関係の糸を手繰りながら真相を突き止めるしかないのだ。その反面、自分が一番最初に真相を発見してしまった悲しみを抱きながら真実を明かすのだ。そう…犯人を一番知りたくなかったのは、本当は金田一なのかも知れない。
石坂浩二は、次々と原作には描かれていない金田一耕助という人物像を彼なりの解釈で掘り下げて演じている。その中で「金田一耕助は裕福な家庭で育った子息ではないか?」という推察は実にユニークであり的を得ている気がする。その論拠のひとつに原作で、あの時代に海外留学をしていたと紹介しており、更には麻薬に溺れたという過去まであるのだ(思えば名探偵シャーロック・ホームズも麻薬中毒であった)。だから『犬神家の一族』の中で裸足で外に飛び出した金田一がそのままかまちに上がろうとしたところで坂口良子演じる旅館の女中さんが、文句を言いながら足を拭く場面があるのだが、石坂浩二はここで自然に片方の足も当然の如く差し出す演技を付け加えた。このさりげない演技のおかげで金田一の持っている無邪気な少年性(それもお坊ちゃん育ちのせいか?)が、ものの見事に浮かび上がったのだ。また『獄門島』で他国者(島外の人間)という事から殺人犯に間違えられ上條恒彦演じる巡査に牢屋に入れられた時も、案外ケロッとしている。このちょっとの事には動じない脳天気さこそが金田一耕助が世間と少しズレているイイとこの育ちであることがうかがえる。またマイペースな処も金田一の特徴のひとつ…皆さんは『犬神家の一族』と『病院坂の首縊りの家』の共通点にお気づきだろうか?前者は坂口良子演じる旅館の女中に毒薬について知り合いの大学教授に調べてもらった報告を受ける場所が定食屋で、お礼にうどんを奢っておきながら質問攻めにして彼女は満足に食べる事が出来なくなってしまう。後者は草刈正雄演じる助手の黙太郎をやはり定食屋でおごってあげる際に玉子丼を食べている最中に生首殺人の話しを平気でする。思わず吹き出しそうになった黙太郎の事など気にもせずに延々と話しを続けるのだ。この熱中すると周りが見えなくなるのも案外お坊ちゃん育ちの由縁かも知れない。
『犬神家の一族』のヒットを受けて5作品(リメイク版『犬神家の一族』を含めると6作品)で金田一耕助を演じた石坂浩二。当初、原作のイメージに比べ二枚目過ぎるのでは?という意見もありつつ蓋を開ければ彼ほどイメージにピッタリの金田一耕助はいなかったわけだ。『悪魔の手毬唄』のエンディングで、若山富三郎演じる磯川警部に「あなたはリカさんを愛していたんですね…」と問いかける金田一。『獄門島』で大原麗子演じる分家の娘に「もう島を出たいなんて言いませんね…」と元気づける金田一。家族のように慕っている家庭教師を疑っていると知り食ってかかる中井貴恵演じる娘に「僕はただ動機が知りたいだけです」と諭す『女王蜂』の金田一。逆に『病院坂の首縊りの家』では、佐久間良子演じる犯人が背負ってきた犯行の動機となる証拠品を自らの手で始末してしまう金田一。そのどれもが優しさや慈愛に満ちた表情に満ちている…石坂浩二は金田一耕助という架空の人物に命を吹き込むどころか、自分の体内に吸収してしまったのだ。「自分で勝手に金田一耕助の人生らしきものを創造して、それに沿って演じてきた」と語る石坂浩二。30年という歳月を経ても色褪せない石坂=金田一が完全リメイクの『犬神家の一族』で熟成された金田一となって登場した時、「やっぱりこの人じゃないと」と確信する。果たして、金田一耕助がすごいのか石坂浩二がすごいのか…。
オリジナル版『犬神家の一族』は、低迷していた日本映画を活性化させるある種の起爆剤となり、日本映画でも大作は一本立興行が成り立つ事(当時は、まだ日本映画は二本立が主流だった)を証明してみせた。それから30年を経て、日本映画が洋画に迫る勢いを見せる平成18年に、リメイク版『犬神家の一族』が公開されたのは単なる偶然とは思えない。プロデューサーの一瀬隆重は、リアルタイムで日本映画が変貌する様を見て、映画界に足を踏み入れただけにオリジナル版への思い入れ(執着と言った方がよろしいか?)は強い。まさに1970年代パニック映画に始まった大作至上時代で育った世代が一線で活躍できるようになったのが現在(いま)なのかも知れない。一瀬プロデューサーは現在の日本映画は、撮影所システムが崩壊して学ぶべき先輩がいなくなった事に危機感を覚えていた。彼は、大ファンだった市川崑監督から“何かを学びたい”と企画の構想を練っていた矢先に、久々にDVDで見た『犬神家の一族』から“これをやったらどうだろうか?”と思い立ったという。日本映画の時代が戻ってきたという世間の風潮に対して「昔よりもひどい状況」だと一瀬プロデューサーはいう。むしろ、誰でも簡単に映画を撮れるようになった分、クオリティが劣化していると危惧するのだ。「だからこそ平成の『犬神家の一族』によって日本映画が象徴的に変わってもらいたい」という思いでリメイクの企画にたどり着いた。
市川崑監督がセルフリメイクするのは『ビルマの竪琴』で体験済みだが、あれはモノクロのオリジナル版をカラーで表現したい(ビルマの土は赤い…を映像で見せたかった)という理屈があった。しかし、本作はリメイクというよりトレースと言って良いほどカメラのアングルもセリフのひとつひとつもテーマ曲も…オリジナル版そのままキレイになぞられている。市川崑監督に、一瀬プロデューサーがした注文は3つ…金田一は石坂浩二、ヒロインは松嶋菜々子、そしてテーマ曲はオリジナルのまま…。その依頼からスタートした平成版『犬神家の一族』だが、オリジナルが製作された昭和53年と違いオールロケーションで撮影するには時代は進みすぎてしまった。勿論、当初監督は設定を湖から川へ変更するなどの案を出したのだが、最終的にはオリジナルのまま行く事となった。とはいうものの、金田一が宿泊する那須ホテルも古館法律事務所も今は残されていないのかセット撮影になっているのが寂しい。だが、オリジナル以上に本作は人間ドラマに焦点が置かれるようになり母と子の絆がより明確に描かれている。その中で、今回再び同じ役に挑んだ石坂浩二は新しい金田一耕助像を構築している。年齢を重ねた金田一は、母をかばって罪を背負おうとする息子に対して父親のような眼差しで彼を自白へと導く。一方で、より少年っぽさが強調され、深田恭子演じるおはるさんに協力料の代わりにうどんをやる名シーンでは以前にも増してせっかちになっている。
ただ…数少ない変更点の中で大きく様変わりしたのはオリジナル版で市川崑監督も気に入っていたというラストシーン。オリジナルでは金田一を見送りに出かけようとするホテルの女中や警察署長、そして珠世が菊の花束を持ってきた猿蔵対して「お前も見送りにいくの?」と聞くと「あの人の事…忘れられない」と笑顔で答える。という各々のカットの後に見送られる事が苦手な金田一は一本早い汽車に飛び乗るシーンで終わるのに対して、リメイク版では見送りにきたメンバーが一同に介して古館法律事務所にやって来る。ラストショットは一本道を歩く金田一が振り返り一礼をする。個人的には全員が集まってドカドカやってくるよりもオリジナル版の方が味わい深くて好きだ。とは言え、リメイクはオリジナルを超えられるか?などという議論は本来意味を成さない。映画…特に本作のようなオールスターキャストの大作はイベントであり作品そのものをお祭りとして楽しむ事ができればそれで良いのだ。…比較なんて無粋な事を考えずにオリジナルとの違いを探して楽しんでいただきたい。そして、本作が市川崑監督の遺作となった事を筆者は不謹慎とは思いつつ、心底感謝している。