

ある時は西伊豆のひなびた温泉芸者。ある時はヤクザも蹴散らす女番長。ある時は男を渡り歩く元シスター。またある時は峰不二子の原型であろうと思われるセクシーな女ねずみ小僧…。はちきれんばかりのナイスボディの持ち主、池玲子がスクリーンに登場したのは、まだ日活がロマンポルノという呼称で成人映画を製作する以前。メインプログラムの任侠映画が終わった後、併映の作品が始まるとスクリーンいっぱいに98cmのバスト(まだ巨乳という言葉すら無かった時代)が出現。日本初ポルノ女優(アメリカで使われていたポルノという言葉を日本に初めて移植。日活ロマンポルノは彼女の惹句が下敷きになっている)という称号を手にした池玲子の姿に世の男共は食い入るようにかぶりついた。惜しげもなく脱ぎまくりながら半端な男をぶっ飛ばしたり、手玉に取ったりする姿に健康的なエロティシズムを感じ、時折見せる憂いに満ちた表情にストイックさを感じさせる。こうした相反するキャラクターをバランスが良くも悪くも、ノビノビと楽しそうに演じていた池玲子。谷ナオミがかつてインタビューで和服が多い純日本的な役ばかりだから夏水着になれなかった…と語っていたのと対照的に、陽に焼けた小麦色の肌と天然パーマの黒々とした髪が印象的な彼女は、17歳の若さながら(デビュー時、本当は16歳だった!)ベテラン俳優に負けない堂々とした演技を披露していた。演技は決して上手くなかったけど、内からにじみ出てくる危険な香りは生々しく、高度経済成長期の裏側に潜む社会の歪みそのものを感じる。それは、どんな名女優ですら真似出来ない池玲子だけが発する1970年代のフェロモンだ。それもそうだ…本来、女優とは「女優になりたい」と思い、どんな小さな役でも必死になって演じるものだが、彼女の場合、恵まれたボディのおかげで大抜擢されたわけだから、基礎を身に付ける以前の半分素人みたいなもの…。だから撮影現場でも怖いもの無し、役者にとってのタブーを知らないからこそ、彼女の大胆な演技につながったに違いない。その大胆さが良く出ていたのが『女番長ブルース牝蜂の逆襲』で彼女の下で子分になりたいと願う女の子に「自分で処女を突き破っちまいな」と凄まじいセリフを吐くシーンだ。こんなセリフを考えた脚本家も脚本家だが…こんなセリフを臆面もなく言える女優は池玲子以外に考えられない。
日本人離れしたボディと潔い脱ぎっぷりにデビュー作『温泉みみず芸者』から池玲子は、いきなり主役を射止める。しっとりと、文芸色の濃い日活ロマンポルノに対して、アクションとバイオレンスの極彩色に彩られた東映ポルノ映画は、派手な顔立ちの池玲子が活躍するにこれ以上はない最高の舞台だ。そもそも、東映の看板スターだった藤純子の引退によって、ポスト藤を広く募集したのがポルノ路線への布石であったように思える。面白いのが映画館のロビーにデカデカと「ポスト藤純子ご推薦ください」というポスターが張り出され、合格者は100万円、推薦者はセリカを進呈というバッタまがいなチープさを全開にしていた事だ。この味が当時の東映が持っていたバイタリティである。池玲子は、プロデューサーの天尾完次と監督の鈴木則文が、当時主力作品だった任侠映画の併映となるべく作品を模索している最中に、モデルとして週刊誌に載っていたのを偶然見つけたのがキッカケである。早速、編集部に問い合わせて会ってみると、グラビアに載っていたエリザベス・テイラー似の女の子がチリチリのカーリーヘアに日焼けした真っ黒な顔で、現れた事に、二人共驚かされたというエピソードが残されている。その時に聞いた年齢は17歳…実は、後に16歳であることが判明するも、天下の東映は年齢をサバ読んで(それどころか名門のお嬢様という触れ込みにしたのだ)乗り切ってしまった。服の上からでも認識できる日本人離れしたボディの彼女にスター性を確信した二人の直感は大当たりして、池玲子は『女番長』と『恐怖女子高校』という2つのシリーズを確立させてしまう。
ところが、女優というこだわりが無かった彼女は何を勘違いしてしまったのか、歌手への転向を宣言してしまう。多分、どこかのレコード会社の入れ知恵か、それとも東映の主役級スターは、誰もが主題歌を歌っている事に「自分も…」と欲を出してしまったのだろう。やはり、まだまだ未成年…何本かの主役を務めただけで、そんな気持ちが湧いてきたのは無理もない。デビューしてわずか1年足らずで「脱ぐのはもう嫌」と宣言してしまい、これが彼女を発掘した天尾プロデューサーの逆鱗に触れる事となる。ところが、女優から歌手へ転身したと思いきや、わずか数ヶ月で「やはり女優でやっていきたい」と詫びを入れて戻ってくる。公式には彼女の心境は語られていないが、世に出たLP1枚、シングル2枚、カセットテープ1本…中でも「池玲子恍惚の世界」を聞いてみると理由は何となく推測出来る。このアルバム、“よこはまたそがれ”“夜明けのスキャット”が収録されたカバーアルバムと称されているものの歌というよりも「ウッフンアッハン」と、喘ぎ声と台詞で構成されたキワモノ(現在、廃盤のため入手困難なのが残念)。つまり、彼女が思い描いていた自分像と世間のソレとに大きなギャップ(彼女がステージで歌っている時も会場から「脱げ!」というヤジが飛び交ったという)がある事に気づかされたのであろう。しかし、映画界に戻った彼女の前に立ちはだかった現実は、それまで準主役であった杉本美樹の主役昇進…当たり前だが、その後半年間池玲子は、東映を干されてしまう。しばらくして、復帰するものの独占していた主役の座は杉本美樹と二分することとなり、交互に主役と準主役を務める事となる。それでも、くさることなく胸を張って裸になる池玲子は、アナーキーでカッコ良く筆者の目に映っていた。事実、3作目の『女番長ゲリラ』は主演の二人が正に女の意地がスパークした傑作となっていた。
しかし、時代と共に『女番長』シリーズの人気も下降線を辿る。カンフーブームによって、併映作品が千葉真一や志穂美悦子の空手映画になった事とポルノ映画は日活、大蔵、ミリオンが主流となった事によって観客は次第に東映ポルノ映画から流れていく。ポルノ映画が興行的に振るわなくなってから、東映トップの岡田茂は「ストリップ映画は所詮キワモノ」とアッサリ切り捨ててしまったのだ。当然、裸を武器にしていた池玲子らは徒労に迷うことになってしまう。しばらくは、『仁義なき戦い』等の実録ヤクザ映画に出演していたが、そのどれもが絡みのある役ばかり…しかし、『暴力金脈』における彼女は若山富三郎の娘役で父に犯され最後に自殺してしまう悲劇のヒロインを熱演、女優としての可能性を垣間見る。だが、映画界は甘くなく、香港のゴールデンハーベスト製作『悪魔の生首』に出演、海外デビューかと思ったら、やはりポルノホラーであり彼女の役は殺された女の生首役だった。次第に出番も少なくなった池玲子。女優として、どう活動していくか?…という明確なビジョンが無いまま(そもそも、彼女にとって最終目的地は女優だったのだろうか?)スクリーンから消えて行くしか道は無かったのかも知れない。

スケバン(女番、スケ番)は、主に中学校、高等学校において番長として位置する女子のこと、又は女子のツッパリのこと。1970年代初頭〜1990年代前半の不良行為少年の態様の一つとして、下記の特徴とともに見られた。1990年代中頃に入ると不良行為少年の態様としては減少し、1990年代後半になるとほとんど聞かれなくなり、2000年代には完全に絶滅したと言ってもいいような状況となっている。言葉の由来は、「スケ(女)」の「番長」から。ファッションはロングスカート(俗に言うロンスカ)が主流。ヘアスタイルはロングヘアー、パーマ、聖子ちゃんヘアーなど様々。概ね長い髪の割合が多く化粧は厚い。奇妙な武器(カミソリ・鉄板入れカバン・チェーン)を所持している。スケバンの舎弟(弟子と同意)は女子が殆ど。当時女子高以外でもスケバンの存在はあり、その場合は男子とは別のグループを組織している事が多く、男女混合のスケバン組織はそう多いものではなかった
池玲子と杉本美樹の人気シリーズ『女番長(スケバン)』は、併映ながらも東映の看板番組だった。若い不良少女たちが主人公の作品は、ピンク映画には最適なシチュエーションだったのか、昭和40年代は各社が様々な“スケバン”ものを製作していた。その先駆けとなったのが和田アキ子主演の日活映画『野良猫ロック』シリーズ。新宿を根城とする不良少女たちの姿をアナーキーな映像で描きあげている。音楽映画としての要素も強かった本作は、対立するグループとの抗争よりも、新宿のディスコ“サンダーバード”といった当時の若者たちのトレンドスポットを舞台に、モップスやオックス等のミュージシャンが出演し彼らの演奏を楽しむ事ができる。人気が出たのは、むしろ共演の梶芽衣子。その後、シリーズ化される『野良猫ロック』の主役を張るようになる。その直後に東映が大信田礼子の『ずべ公番長』シリーズを放つ。第1作目の『ずべ公番長 夢は夜ひらく』は、スケバンものというよりも、当時東映で流行っていた“夜の歌謡曲シリーズ”。タイトルの通り、藤圭子の大ヒット曲をモチーフに映画化。日本人離れした大柄な大信田礼子の放つ蹴りは迫力満点。和田アキ子にしても大信田礼子にしても初期のスケバンものの主役には、マジで強そうな体格が求められていた。ところが、同年に作られた『三匹の牝蜂』(このタイトル…絶対岡田茂作だ!)では、信じられない事にスケバンとは程遠い可憐な大原麗子が主役なのだ。内容も女のチンピラたちが体を売ってヤクザと対立するという過激なもので大原麗子ファンの筆者にとってショックは隠せなかった。そして昭和45年日活は『野良猫ロック』に続くスケバンものの新シリーズとして夏純子主演による『女子学園 悪い遊び』を公開。私立白ばら学園に転校して来た中学3年生の主人公が巻き起こす事件をコメディタッチで描いている。それまでのスケバンものがアウトロー的な主人公であったのに対し、本作はコケティッシュな女の子(年齢も中学生だしね)が主人公となっており、それでも下着姿でミエを切る表情なんか不思議な色気があった。3作品シリーズ化された知る人ぞ知る珍作である。
その後、ご存知の池玲子と杉本美樹による『女番長〈スケバン〉』シリーズの一人天下となり、アクションよりも色気…脱げる女優たちの登竜門となってしまった。昭和のサブカルチャーとでも言うべきスケバンものは成人映画の終息と共に昭和46年から4年足らずで終焉を迎えてしまう。スケバンという人種も時代の流れで、いつしか消えていくのだが、昭和の最後に『スケバン刑事』というヒーローものとして復活。斉藤由貴を主演に東映の制作でテレビドラマ化され、後に南野陽子、浅香唯が主演の続編が製作されるなど根強いファンを獲得する。既に〈スケバン〉という言葉が死語になったにも関わらず、平成に入ってからも松浦亜弥主演の『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』が公開されている。勿論、その中にはエロティシズムは一切存在しないが、東映のアバンギャルド精神はサディスティックな小物のオンパレードの中にしっかりと息づいている。

池 玲子(いけ れいこ)REIKO IKE 本名:池田 玲子
1953年5月25日〜 東京都生まれ。
身長165cm 体重49kg B98 W59 H90(当時)
日本初のポルノ女優。ヌードモデルを経て、1971年『温泉みみず芸者』で映画主演デビュー。女優デビューのきっかけは、天尾完次と鈴木則文監督が、池玲子が雑誌のモデルとして出ているのを見つけてスカウトされたことによるが、一説には「戸川昌子の青い部屋でスカウトされた」や「池の母親が経営するスナックを手伝っていたことで、芸能界関係の客の目に止まった」、など諸説ある。作品中で公称バスト98cmの豊満な裸体を脱ぎっぷりよく晒した池は一躍人気と注目を集め、1971年のゴールデン・アロー賞グラフ賞も受賞。以降も『女番長』シリーズ、『恐怖女子高校』シリーズ等に主演して東映ポルノのドル箱スターとなっていく。尚、池のデビュー時の年齢はプロフィール上では1953年生まれの18歳となっていたが、実際は1954年生まれの17歳で、撮影時は若干16歳であった。公称プロフィールは天尾完次が捏造したものである。1972年に歌手転向のため一時的に映画界を離れるが、短期間で映画復帰し、映画休業中に主演女優として台頭してきた杉本美樹との2トップ体制で東映ポルノの屋台骨を支えることとなる。『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』などの任侠作品での立ち回りの見事さや、『仁義なき戦い』シリーズでの印象的な役どころなど演技力にも定評がある。香港のゴールデン・ハーベスト『悪魔の生首』にも主演。テレビでは時代劇やアクションドラマで悪女役としても活躍した。
しかし、1977年5月には覚せい剤所持・同使用の疑い(不起訴)で逮捕され、同年10月にはクラップス賭博によりいずれも逮捕される。その後、女優に復帰するも映画2本と数本のテレビドラマに出演し、芽の出ないまま引退してしまう。(Wikipediaより一部抜粋)
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【参考文献】
Hotwax日本の映画とロックと歌謡曲 Vol.8
157頁 20.6× 15cm シンコーミュージック・エンタテイメント
前田 雅啓/五月女 正子【編集】
各1,990円(税込)
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【参考文献】
東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム
271頁 20.6× 15cm 徳間書店
杉作 J太郎/植地 毅【著】
各2,100円(税込)
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【参考文献】
クイーン・オブ・ジャパニーズ・ムーヴィー 野良猫ロック~女番長ブルース
Hotwax special collection (Hotwax special collection)
159頁 25.6 × 18.6cm ウルトラヴァイヴ
各2,940円(税込)
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