いけちゃんとぼく
さようなら。私たち人生の終わりにとても短い恋をしたの。
2009年 カラー ビスタサイズ 107min 角川映画
監督 大岡俊彦 原作 西原理恵子 脚本 大岡俊彦 撮影 藤石修 美術 新田隆之 照明 磯野雅宏
録音 松本昇和 音楽 川嶋可能 主題歌 渡辺美里 編集 上野聡一 ラインプロデューサー 氏家英樹
出演 深澤嵐、蒼井優、ともさかりえ、萩原聖人、モト冬樹、蓮佛美沙子、柄本時生、江口のりこ
岡村隆史、吉行和子、上村響、村中龍人、中村凛太郎、白川裕大、窪田傑之、宮本愛子
TVドラマ「風魔の小次郎」の大岡俊彦監督が漫画家・西原理恵子の同名絵本を実写映画化。西原の息子が描いたラクガキから生まれた色も形も変幻自在な生き物“いけちゃん”と少年の交流をファンタジックに描く。当初、いけちゃんをクレイアニメで作っていたが、存在感がありすぎる事からCGに急遽変更。かすかに透けている立体的ないけちゃんは本作最大の見所となっている。いけちゃんの声を『鉄コン筋クリート』のシロ役で高い評価を得た蒼井優が担当。再び声優に挑戦した彼女の透明感溢れる瑞々しい声に原作者・西原理恵子は大絶賛した。主人公ヨシオを演じたのは『子ぎつねヘレン』の深澤嵐。300人のオーディションを勝ち抜いた実力だけに、現場では一度も台本を開かずに自然な演技を披露し、周囲のスタッフを驚かせた。共演の『うた魂♪』のともさかりえが母親、父親を『釣りキチ三平』の萩原聖人が各々演じ、他にも『結婚しようよ』のモト冬樹など個性的な俳優陣が顔を揃えた。ロケ地は原作に出てくる丸い山と青い海の大岡監督がこだわり西原の生まれ故郷である高知県・浦戸で約1ヵ月に及ぶ長期ロケを敢行している。撮影を『蛇にピアス』の藤石修が担当し、エンディングテーマを渡辺美里が爽快感溢れる楽曲を提供している。
いけちゃん(声:蒼井優)は、9歳のヨシオ(深澤嵐)にしか見えない不思議な生き物だ。いつの頃からかそばにいて、憧れの美人女子高生みさこ(蓮沸美沙子)と話してドキドキしたり、牛乳屋にいたずらをしたりというヨシオの日常を見守っていた。そんなある日、ヤス(村中龍人)とたけし(上村響)にいじめられたヨシオは、学校をサボっていけちゃんと一緒に山登りをする。家に帰るとヨシオの父・茂幸(萩原聖人)がヨシオを叱るが、その翌日、茂幸は事故に遭いこの世を去ってしまう。事態を理解できないヨシオにいけちゃんがそっと寄り添い、いけちゃんの言葉にヨシオは早く大人になろうと決心する。その日から毎日ごはんを三杯食べ、牛乳屋の清じい(モト冬樹)に空手を教えてもらうヨシオ。その頃、ヨシオの母・美津子(ともさかりえ)は、昼も夜も働きに出るようになっていた。一人のお風呂や、寝る前の電気が消えた部屋を怖がるヨシオに、いけちゃんはいつも寄り添い、ヨシオが女の子と遊んでいるのを見つけると、真っ赤になって怒りだす。この時、ヨシオは初めていけちゃんが女だと気付くのだった。ある日、ヨシオは一人で隣の隣のその隣町まで冒険に出る。父が死ぬ直前に会っていた愛人がいるらしいのだ。だが、そこで評判の悪ガキたちにつけ入れられ、その後、彼らはヨシオの町の野原にまで襲撃しにやってきた。ヤスやたけしも交えてケンカになりそうなところで突然、ヨシオは野球で勝負しようと提案する。みんなの野原を守るため、機転をきかせたヨシオは逞しく賢く成長を遂げていた。と同時に、ヨシオにいけちゃんが見えなくなることが多くなっていく。そしてヨシオの少年時代が終わろうとする頃、いけちゃんはヨシオにあることを打ち明ける。「もうこんな形で会えないかもしれないから、私がほんとは誰なのか言いたい」。それはあまりにも切なく、思いもよらない告白だった。
西原理恵子の漫画に出てくる子供たちは、したたかで残酷でズル賢い一面を持っている。本作のようなファンタジーでも子供たちは子供たちなりの世界で力強く生きているというリアルな姿がしっかりと描かれているのが特徴だ。あぁ…学校に上がるとひとつの社会が形成されて、その中で子供なりの葛藤があったりするんだなぁ〜と、愛おしさが増している。主人公のヨシオ少年はクラスのいじめっ子に毎日のように殴られながらも涙ひとつこぼさず徹底して抵抗していながら、その鬱憤を昆虫で晴らしており、目を背けたくなるこの場面を真っ正面から大岡俊彦監督は描く。いじめっ子にボコボコにされた悔しさをトンボの頭をちぎったり、蝶々をノートに生きたまま貼り付けたり…下手すると、この時点で観客は主人公に感情移入出来なくなる危険性があるにも関わらない場面だ。しかし、この場面があるからこそ主人公が中盤で、おつむの弱い同級生に意地悪をした時に自分も弱者に対していじめっ子と同じ事をしている!と、ハッとするのだ。この瞬間に見せるヨシオを演じる深澤嵐の表情が実にイイ。
本作はヨシオ少年の成長物語であるが、少年が主人公でも男の子目線に立って描かれてはいない。むしろ、いけちゃんというキャラクターの視線が母親のように注がれているおかげで、全体的に女性が大好きな男の子を見ているような眼差しを感じる。明らかに酷い事をするヨシオをいけちゃんは声を荒げて責めたりしないし、その代わり救けたりもしない。ヨシオを誉める時に「よく気付いたね」と、そっと言葉を添えるだけだ。いけちゃんそのものが“母性”を表すメタファーとして存在しており、ヨシオの成長を手助けするのではなく見守る事に徹しているのは正に“母性愛”そのものである。これは西原理恵子が、いけちゃんを創造したのは息子のランドセルに描かれたいたずら描きに起因している…という事に大きく関係しているようだ。「自分の息子の成長を見るのは、好きだった人の子どもの頃を見直しているような気持ちになる」と自身が述べているように、いけちゃんは西原自身なのかも知れない。いけちゃんの声を演じた蒼井優のトーンが柔らかく正に“母性”を感じさせる。
映画の舞台となった高知県浦戸が作品のトーンにマッチしており、人が生活している匂いが漂う港町が、イマジナリーフレンド(空想の友だち)が生まれやすそうな土壌だと思う。まずオープニングタイトルのバックで遠くに港を臨む原っぱを走るヨシオといけちゃん、そして電鉄の車庫や野原に佇む廃屋の映像から早々にグッときてしまう。夕日を眺めながら砂浜でいけちゃんとヨシオが語り合う場面の藤石修によるカメラワークと磯野雅宏による紫がかったライティングが情感に溢れ素晴らしかった。全体的に淡いライティングと空や海の色が優しく浮かび上がるような色彩がいけちゃんや妖怪たちの世界観にピッタリで、正に西原の絵本を実写にしたらこうなる…というお手本のような映画だったと思う。(全体的に青みがかったトーンは正に西原の描く色彩の青でキタノブルーならぬサイバラブルーと命名してはどうか?)子供の目にそれまで見えていたイマジナリーフレンドや妖怪やお化けたちが見えなくなるのは『かいじゅうたちのいるところ』や『トイストーリー』でも語られていたが、それは人間が一番最初に体験する決別なのかも知れない。いつの間にか一端の口をきくようになったヨシオを嬉しそうに見る母親を演じたともさかりえ(最近はすっかりお母さん役が板についてきた)が相変わらずイイ演技をしている。逞しくなった息子の後ろ姿を見送った後、いつも気配を感じていたお母さんが、いけちゃんにお礼を言う場面はジーンときてしまった。
「夏を過ぎた男の子は日向の匂いがする」物語に直接関係ないが、太陽をたくさん浴びている男の子たちは皆そうかもね。
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