菅野美穂は怖い。全てを見透かされてしまいそうな大きく深みのある瞳。その瞳で見つめられると、蛇に睨まれた蛙の如く身動きが取れなくなりそうだからだ。ところが彼女が演じる殆どの作品は、眼力を活かす…というよりも視点の定まらない弱々しい役柄が多かった。誰かに操られる夢遊病者みたいに街を徘徊する少女だったり、恋人に裏切られ自殺を図った後に精神に異常をきたした女性だったり、かつて愛した人の死がキッカケとなり存在しない恋人とデートを繰り返していたり…いずれの役も精神的な脆さを持つ儚げな女性ばかりなのだ。実は、それが怖いのだ。美しく端正な顔立ちと大きな瞳のバランスが、フランス人形のような無機質な美を湛えている。だから、北野武監督が『Doles ドールズ』の主役に彼女を起用した時、大いに納得してしまった。勿論、タイトルの意味はまるで人形のように、心がもぬけの殻と化し、放浪を続ける主人公の男女から来ている。恋人の裏切りから睡眠薬自殺を図った末、精神に破綻をきたして放浪の旅を続ける主人公・佐和子を演じた菅野は、殆ど言葉を発せず、虚ろな目で視点が定まらないままフラフラと歩くその姿は、正に彼女の持ち味を十二分に活かしていたと思う。菅野の人形的な無機質さを北野監督が求めていたのは間違いないと思うのだが、佐和子役に菅野を起用するとは…さすが!世界の北野監督である。たまに、ボーッとしていた佐和子がニタ〜っと笑うシーンが出て来るのだが、この時の菅野が怖い。深遠な瞳から発せられる負のエネルギーは時に死んだ魚のようであり、負のエネルギーを内面へと抱え込んだ主人公を菅野が見事に体現した結果、表情だけで言い知れぬ冷たさが観客に伝わって来たのだ。回想シーンで見せる屈託のない笑顔とのギャップ、そして時折見せる悲しげな瞳が狂気の末の抜け殻感を倍増させていたのは言うまでもない。人形と言うには語弊があるかも知れないが吉原一の高級花魁・粧ひを演じた『さくらん』の菅野もやはり妖艶な雰囲気を漂わせた日本人形のようであった。幼い頃の主人公・きよ葉が、そっと客を取っている粧ひを覗いた時に見られている事を承知で男に抱かれている菅野の魔性の色香に度肝を抜かれた男性も多かったのではないだろうか?一方で、まだ女郎になる覚悟を固め切れていないきよ葉に向かって世の中の厳しさを教え込む時の菅野の力強さもまた惚れ惚れするような演技であった。海堂尊のベストセラーの映画化『ジーン・ワルツ』で不条理な法律によって不妊に悩む女性たちの救世主ともなる曾根崎理恵を演じた時も『さくらん』で見せた真っ直ぐ前を見つめる力強い表情が印象に残っている。冷静に(ここでは冷徹と表現されているが)物事を判断しながらも内に秘めた情熱が瞳の奥から放出されるアンバランス感が二面性となって現れる。全作品を振り返ってみると、この二面性が菅野の演技にとって非常に大きな役割を果たしているように思えるのだ。
菅野美穂という女優の名前を印象付けたのは1999年に立て続けに公開されたホラー映画『催眠』と『富江』であったのは言うまでもない。『催眠』では、何者かに催眠術をかけられたままある音を聞くたびにカッと目を見開き直立不動の姿勢で「ワタシハ、ユウコウテキナ、イチュウジンデス」としゃべり出す少女に扮していた。多重人格の彼女が一連の催眠誘導殺人事件の鍵を握っているわけだが、別の人格の時は左目を眼帯で隠して(逆に眼帯に隠された瞳の存在感が巨大化していく)天真爛漫な少女と化すところが不気味だった。それどころか、警察の取り調べ中に集団催眠を刑事たちに掛けて逃げてしまうのだから、能力は貞子並みと言っても良いだろう。結果的には警察関係者全員を自殺に追い込んでしまうのだからかなり怖い。天井の通風口から逆さに出現する姿(このシーンが一番怖かった!)を見ると、よくぞこの役を引き受けたものだと感心してしまう。そして、次々とシリーズ化していった程の大ヒットを記録した『富江』の富江役は、ある意味、菅野の真骨頂だったと言っても良い程のハマリ役だったかも知れない。菅野が演じた主人公・富江は、殺されバラバラにされても再生し続ける特殊能力を有する存在で、劇中瞬きせず相手を見据える表情がもの凄く怖かった。(翌年『リング0 バースディ』で貞子を仲間由紀恵が演じて話題になったが、人気女優が悪霊を演じる走りとなったのは『富江』からであることは間違いない)この作品は16ミリで撮影(16ミリフィルムの特性が陰湿な雰囲気を醸し出していた)されたものを劇場用にブローアップしたもので全体のトーンが昭和40年代の“怪奇大作戦”のような様相を呈していた。その色褪せた感じの雰囲気が菅野の端正な顔立ちにピッタリで、『世にも怪奇な物語』でフェデリコ・フェリーニが監督した“悪魔の首飾り”に出て来た白い少女のような不気味さに溢れていた。こうして、あまりにもインパクトが強くハマリ役だった『催眠』と『富江』のWヒットからこのままホラークイーンという道を歩むのか…と思っていたが、やはり演技派の菅野は易々と固定化されたイメージを歩む事はなかった。テレビドラマ“イグアナの娘”で見事イメージチェンジを図り、テレビと映画で巧みに演じ分けていた。(つまり、それだけ演技力があればこそなのだが)
そして8年ぶりの主演映画となった『パーマネント野ばら』なのだが、意外な事にこの映画に出てくる菅野美穂ははかなく、今にも消えてしまいそうだ。いつもは強烈な光を放つ彼女の瞳はどこか虚ろで、いつものような迫力が無い。それはそれで危なっかしい雰囲気を醸し出しているのだが、ラストに近づくにつれ“あっ、そうか…やっぱりこの役は彼女じゃなくては出来ない”というのが徐々に分かってくる。明らかに吉田大八監督と脚本家の奥寺佐渡子が原作には無かった温泉宿での恋人カシマ(江口洋介扮する)でのくだり辺りから目の光が変わってくるのが凄い。これは筆者の勝手な推測なのだが菅野自身、演技として作為的にやっているものとは到底思えないのである。結果的には本作で演じたヒロイン・なおこは間違いなく彼女の代表作となった。余りにキャラが際立つ美容院に集まるオバサンたちや男運の悪い友だちの中で“まとも”に見える彼女が実は大きな爆弾を抱えて生きており、それがはかなさとして内面から出ているのだから凄い。既に死んでいた恋人とデートを重ねるなおこ、実は周囲の人間も皆それを知っていて…小池栄子演じる親友みっちゃんに「みっちゃん、わたし…狂ってる?」と訊ねる時の彼女の悲しげですがるような目に胸が熱くなった。それから訪れるラストシーンで見せる菩薩のような全てを理解した上で浮かべる笑顔のアップは監督の吉田大八自身も驚愕した程の完璧な演技だった。吉田監督は後の取材で「あの顔を撮ることがこの映画の定めだった」と語っており、撮影時には監督から具体的な指示を出しておらず、監督自身ラストショットでの菅野の表情を見て「この顔で映画を終わらせるべきなのだ」とラストシーン(幕切れ)を変更したのだという。当初予定していたイメージと違う状況の中、急遽設定したシチュエーションで見事な表情を作り出して感慨深いエンディングとなった彼女の表情…結果として本作は、菅野美穂に始まり菅野美穂で終わった映画となった。
菅野 美穂(かんの みほ) MIHO KANNO 1977年8月22日〜 埼玉県坂戸市出身。
淑徳与野高等学校卒業、淑徳大学国際コミュニケーション学部中退。1992年(平成4年)のバラエティ『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格してデビュー。同番組のレギュラー出演を継続しながら、CMやドラマなど徐々に番組の外での活動を増やしていく。1993年(平成5年)に『ツインズ教師』でドラマデビュー、NHK朝の連ドラ『走らんか!』の準主役に抜擢。1996年(平成8年)『イグアナの娘』で主人公・青島リカ役を演じ、演技力が評価される。1997年(平成9年)『君の手がささやいている』では、聴覚障害者が困難を乗り越えて家庭を築いていく様を好演した。同番組は第15回ATP賞1998年(平成10年)のグランプリとなり、菅野も1998年エランドール賞新人賞の第3回大賞を受賞する。
一方でソロでの歌手活動も行い、1995年(平成7年)からシングル「恋をしよう!」、「太陽が好き!」、「負けないあなたが好き」を発表。1995年8月には1st Album『HAPPY ICECREAM』(ビクターエンタテインメント)を発表した。1997年(平成9年)8月22日、20歳の誕生日にヘアヌード写真集『NUDITY』を発売。写真集は80万部のベストセラーとなり、以後も人気が衰えることはなかった。2002年(平成14年)『Doles ドールズ』で第40回ゴールデン・アロー賞 映画賞受賞。(Wikipediaより一部抜粋)
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