パーマネント野ばら
彼女の涙に秘められた、あまりにも切ない真実…。「ずっと好き」はどこにもないから私は毎日、小さな嘘をつく─。
2010年 カラー ビスタサイズ 100min 博報堂DYメディアパートナーズ、アミュースソフト、リクリ他
エグゼクティブ・プロデューサー 春名慶 監督 吉田大八 原作 西原理恵子 脚本 奥寺佐登子
撮影 近藤龍人 美術 富田麻友美 音楽 福原まり 照明 不治伊勇 録音 矢野正人 編集 岡田久美
出演 菅野美穂、小池栄子、池脇千鶴、宇崎竜童、夏木マリ、江口洋介、本田博太郎、加藤虎ノ介
畠山紬、山本浩司、ムロツヨシ、霧島れいか、汐見ゆかり、田村秦次郎
(C)2010映画『パーマネント野ばら』製作委員会
「イグアナの娘」「曲げられない女」など数々の大ヒットドラマに主演、確固たる演技力で個性的なキャラクターを体現しながらも、独特の透明感で唯一無二の存在感を放つ女優・菅野美穂。2002年公開の北野武監督『Dolls』以降、実に8年ぶりの主演映画として彼女が選んだ作品が、西原理恵子の叙情的傑作と名高い『パーマネント野ばら』である。強いキャラクターの中にも常に女性らしい可憐な姿が伴い、圧倒的な人気を持つ彼女。スクリーンの中で優しい眼差しと儚くも美しい新たな側面で観るものの共感と涙を誘う。共演者にも豪華役者陣が勢ぞろい。なおこの友人には小池栄子、池脇千鶴。母まさ子に夏木マリ。母の再婚相手に宇崎竜童。そして、恋人カシマ役には江口洋介と、様々な振れ幅の個性が物語を盛り上げる。メガホンを取るのは、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で、カンヌ国際映画祭の批評家週間部門に正式出品されるなど国際的にも評価が高く、人間の愛すべき可笑しさを描き続ける気鋭の監督、吉田大八。男性である吉田監督の俯瞰した目線が入ることにより、女たちの恋と、女同士の親子間に漂う繊細な愛情、そして人の弱さや痛さをもすべて包みこみ田舎町特有の大きな友情までもが深みを持って描かれている。ほぼ全編を西原の故郷である高知県ロケで行った本作。あけすけで温かい人間が多い独特の土壌と、太平洋に面する高知ならではの空と海の色を映像に収めることにこだわっっている。主題歌も高知県土佐清水市出身の注目アーティスト、さかいゆうの書き下ろしで、地元を愛する彼が明日からの一歩を進みだすために、そっと背中を押してくれる楽曲で深い余韻を残している。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
海辺の町にひっそりと佇む、小さな美容室“パーマネント野ばら”。そこは、離婚をして一人娘のももを連れて出戻ったなおこ(菅野美穂)と、その母まさ子(夏木マリ)が切り盛りしている町に一つのパーマ屋さん。町の女たちは日々ここへやってきては、退屈な日常に華を求めるように、恋にまつわる悲喜こもごものおしゃべりをする憩いの場になっている。まさ子には夫のカズオ(宇崎竜童)がいるが、カズオは外に作った女の家に入り浸っている。なおこの友人でフィリピンパブを経営しているみっちゃん(小池栄子)は、店の女の子と平気で浮気する夫ヒサシ(加藤虎之介)に頭を悩ませている。同じくなおこの友人のともちゃん(池脇千鶴)は男運が激しく悪く、ダメ男から散々な仕打ちを受けてきた。現在はギャンブルに溺れたあげく、行方不明となった旦那を心配している毎日を過ごしている。なおこは、高校教師をしているカシマ(江口洋介)と恋をしている。互いを優しく想いあいながら、デートを重ねるふたりだったが、その恋にもある秘密が隠されていた…。
西原理恵子の描く世界は生々しくどぶ臭い(どろ臭いのではない)部分があったりするのだが、どこか寓話的でもある。昨年の『女の子ものがたり』も本作『パーマネント野ばら』のどちらも西原の故郷・高知県が舞台となっているが両作品に共通するのは、時代とか地域とかを超越した独特の西原ワールドが存在しているという事だ。多分、自身の思い出を自分なりにデフォルメしたために登場人物たちのキャラが際立ってしまうのだろう。まるで不思議の国の住人のような人々は皆、愛すべき人間ばかりだ。本作(…に限らず西原作品全般に共通して)に出てくる女性たちは皆、男運が悪く菅野美穂演じる主人公なおこは離婚して幼い娘と共に実家の美容室に出戻ってくる。原作ではなおこのモノローグで心の声を表現していたのに対して、映画では物静かな感情を内に秘めたキャラクターになっているのが興味深い。勿論、ナレーションで処理するという方策もあっただろうが吉田大八監督と脚本家の奥寺佐渡子は敢えて主人公の心をセリフにするのを封印(素晴らしい英断である!)してしまった。全てを言葉で説明するのではなく映像だけで推し進めたおかげで中盤からミステリアスなエッセンスが加味されてくる。実は、これが上手く行った要因なのだ。なおこが密かに付き合っている江口洋介演じる恋人と温泉に訪れるエピソードは原作に無いものだが、このシーンがラストに向けての伏線になるわけで、大胆で素晴らしい脚色だった。この辺りのテンポは『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で、ジワジワと広がっていく不安感を表現した吉田監督の世界観に似ている。
主人公の物語と並行して描かれるのが高知の小さな漁港町にある美容室“野ばら”に集まる女性たち(近所のオバチャンや主人公の女友達)のエピソード。登場人物たちは、いずれも訳有りの事情や過去を持っており、“野ばら”で愚痴をこぼしては発散させる光景が面白い。(それを主人公は「ウチの客はチンコの話しかしない」と冷ややかな視線を投げかけるのが笑える。)こうした田舎町に住む住人たちの奇行は『ぼくんち』のようでもある。なおこの母もまた何人もの男性とくっついたり離れたりを繰り返して、今も正に長年連れ添ってきた夫が離婚しようとしている真っ最中だ。演じる夏木マリは言葉数が少なく、近所のオバチャン連中のシモネタに付き合いながらも亭主への感情を抑えているところに胸が締め付けられる。特に、彼女が離婚届にサインしないのは「もうちょっと苦しませるため」と言うセリフに女性の強かさと共に切なさを感じて不覚にもホロリときてしまった。
もう少し、菅野美穂の事を書かせていただく。彼女の表情の魅力は大きく見開いた目が無機質な冷たさを持っているところにある。いくら口元で笑顔を見せても彼女の瞳はマネキンのように見開いたままだ。だからホラー映画の傑作『富江』や精神を病んだ北野武の『Dolls』のような作品で、その瞳の威力を発揮する。正直言って本作で彼女を起用したというプレス発表当時から、ずっと違和感を感じていた。本作の主人公は周囲の人々を温かく見つめ、男運の悪い親友の面倒を甲斐甲斐しく見る女性だ。それらのシーンでは驚く事に彼女の瞳がいつになく柔らかいのだ。しかし、恋人と逢うシーンで時折見せる不安げで虚ろな目に無機質な光を宿す。その理由はラストシーンで解るのだが、彼女の目の演技を観るだけでも充分に価値がある映画だ。
「人は二度死ぬがやと…生きるのを止めた時と、忘れられた時」亭主と死別した池脇千鶴演じる親友のともちゃんが言うセリフ。ある意味、本作のテーマである。