第五福竜丸
彼らは太陽が西から昇るのを見た!もう一つの被爆を描く、衝撃の問題作。
1959年 モノクロ ニッポンスコープ 107min 近代映画協会、新世紀映画
製作 絲屋寿雄、若山一夫、山田典吾、能登節雄 監督、脚本 新藤兼人 脚本 八木保太郎
撮影 植松永吉、武井大 音楽 林光 美術 丸茂孝 録音 丸山国衛 照明 田畑正一
出演 宇野重吉、乙羽信子。小沢栄太郎、千田是也、清水将夫、永田靖、三島雅夫、松本克平
稲葉義男、浜田寅彦、永井智雄、清水将夫、内藤武敏、原保美、三井弘次、嵯峨善兵、中村是好
1954年(昭和29年)3月1日にアメリカ合衆国がビキニ環礁で行なった水爆の実験(キャッスル・ブラボー)で被曝したマグロ漁の漁船「第五福竜丸」とその船員たちの悲劇をドキュメンタリータッチで史実に忠実に描いている『原爆の子』で広島原爆被害の遺児を描き、原爆を描くことをライフワークとする新藤兼人が監督・脚本を兼ねて反核を訴え1959年度キネマ旬報ベストテン8位となった。進藤監督と共に共同で脚本を書き上げたのは『米』の八木保太郎。撮影は植松永吉・武井大が担当している。また本作は、1950年に新藤監督が旗揚げした独立プロダクション「近代映画協会」の製作であり、このため「反米的」として独立まもない日本の大手映画会社が敬遠しそうな内容を同人的な「同志」たちが集まって作り上げた。主人公の久保山夫婦役を、新藤監督のデビュー作『愛妻物語』から常連である宇野重吉と乙羽信子(『原爆の子』に主演。後に新藤と結婚)が熱演。感情的を強く出し過ぎない抑えた演技が高い評価を得ている。海外では"Daigo Fukuryu-Maru"あるいは"Lucky Dragon No.5"(『ラッキー・ドラゴン・ナンバー・ファイブ』)という英題で紹介された。
1954年3月、焼津港を出た漁船第五福竜丸は、魚を求めてビキニ環礁のあたりにいた。乗組む23人の漁夫たちは、故郷に妻や恋人や親たちを持つ、平凡な人々だった。苦労人の無線長久保山愛吉(宇野重吉)は乗組員たちの信任を得ていた。3月1日の午前3時42分、乗組員たちは夜明け前の暗やみの中に白黄色の大きな火の柱が天に向ってたちのぼるのを目撃した。6〜7分の後、大爆音があたりをゆるがせて響いた。ビキニ環礁で米国の専門家たちによって行われた水爆実験であった。立入禁止区域外にいて、何も知らなかった一同の頭上に、やがて真白な死の灰が降りそそいだ。3日後、船員たちは灰のついた部分の皮膚が黒色に変り、身体に変調が生じたのに気づいた。帰港後、焼津協立病院外科主任大宮医師の診断により、一同が原爆症とわかり、第五福竜丸の船体から放射能が検出されるに及んで、事件は大きく表面化した。物理学者・化学者・生物学者・医師等が焼津に集まり、報道陣は活躍をはじめ、日本中の目は焼津に注がれた。報道は世界中に打電され、アメリカからも専門家が調査にやってきた。しかし、彼等は何故か積極的な協力を日本側に与えようとはしなかった。23人の漁夫たちは東京の病院に移され、日本側医療科学陣の総力をあつめて治療が進められた。慰めの言葉や抗議文が、病人たちの枕辺にはうず高くつまれた。外国からも多くの手紙が殺到した。しかし、漁夫たちの中でも年長者であり、身体の衰弱の激しい久保山愛吉は、肉身の者に見守られながら、「身体の下に高圧線が通っている」と絶叫しつつ死んだ。こうして、原子力研究とは何の関係もない漁夫たちに突然襲いかかった悲劇は、今なお続いているのだ。
正直言って本作のような映画は冷静に観ていられない。映画のコメントを書く時にどうしても感情的になってしまうからだ。この映画が作られたのは“第五福竜丸”が被爆した事件(あえて事件と書かせていただく。これは紛れもなく国家規模の事件だ)が発生して5年後…。日本が大国に対して後込みせず問題定義の観点から早々に映画化した事に当時の国民の感情を伺い知ることが出来る。アメリカの行なったビキニ環礁沖での水爆実験によって付近で操業していた漁船“第五福竜丸”が被爆。その一部始終を当時の証言に基づき忠実に描いている。あえて余計な感情論を排除して、その時起きた出来事のみを第三者的視点から映像化に徹した新藤兼人監督。『原爆の子』に続くモノクロ映像は力強く、原爆の恐怖を克明に表現していた。また、客観的な脚本と構成によって、リアルタイムに事件を知らない観客も冷静に真実を見分ける事が出来た。被爆した漁師たちは普通の家庭を持った普通の人間である。わずか9年前に広島・長崎に原爆が落とされたばかりなのに、目の前でキノコ雲が立ち上ろうとも、原爆に対する知識の少なさ故(終戦後しばらくは原爆の調査をアメリカが禁じていたのだから無理もない)に、“爆発に巻き込まれなければ大丈夫だろう”という危機感の欠如が一番恐ろしい。“死の灰”が降り注いでも平然と漁を続ける彼らの姿にこそ戦慄を覚えたのは私だけではないだろう。
時代は、まさに東西冷戦の真っ只中にあり、原水爆が本当に近い将来使用されるのではないか?というきな臭いムードに包まれていた頃だ。マスコミが加熱報道を繰り返すのも無理はなく、こうした報道によって我々は恐怖を植え付けられる反面、その恐怖の存在を知るのである。それにしても日本人が一番“核”に対して敏感な国民である事くらい知っているだろうに…何故、アメリカは目と鼻の先にあるビキニ海域で水爆実験を行ったのか?当時のアメリカはソ連しか見えておらず、ヒステリックな状況だった。だからこそ、あちこちの共産圏の息が掛かった小国に喧嘩をふっかけていたのだ。その巻き添えを食ったのが唯一、原爆を投下された我が国…というのは皮肉な話しすぎる。焼津港に戻った彼等は放射能の影響で顔が真っ黒になりながらも笑いながら事情を話すシーンがある。続いて、灰を被った魚が水揚げされるシーンが続く。誰もが事の重大さに気づいていない印象的なシーンだ。後に笑っていられなくなるなんて夢にも思っていなかった彼等の周囲がにわかにざわつき始めるあたりから緊張感が高まってくる。新藤監督は、この緊張感を物語の進行に合わせて徐々に高めて行き、主人公が危篤に陥るシーンで頂点に達するように作っている…さすがだ。さらに宇野重吉が“壮絶”な演技で主人公を演じており、だからこそ、主人公が忌の際に絞り出す言葉がいつまでも脳裏に焼き付く。我々人類はこの声を恒久的に覚えておくべきだ。
「オラの体の下、高圧線が通っとる」これは、映画用にシナリオ化されたものではない。実際に人間が断末魔で上げた真実の思いなのだ!
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