夕凪の街、桜の国
広島のある、日本のある、この世界を愛するすべての人へ。
2007年 カラー ビスタサイズ 118min 円谷エンターテインメント、シネムーブ
製作 松下順一、吉崎秀一 企画 加藤東司 監督、脚本 佐々部清 脚本 国井桂 原作 こうの史代
撮影 坂江正明 音楽 村松崇継 美術 若松孝市 録音 高野泰雄 照明 渡辺三雄 編集 青山昌文
出演 田中麗奈、麻生久美子、吉沢悠、伊藤充則、中越典子、粟田麗、堺正章、金井勇太、田山涼成
藤村志保、田村三郎、松本じゅん、桂亜沙美、小池里奈
第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞したこうの史代の同名コミックを映画化。広島への“原爆投下”から十年後と現代に生きるが二人の女性を通して、現在までに至る原爆の影響を描いている。その難しい題材を扱ったにも関わらず、韓国、フランス、アメリカなど十カ国で出版され、海外でも注目を集めた感動の実写映画化である。この作品で描かれるのは、時代の違う二人の女性の人生。ひとつは原爆投下から十三年後の広島で暮らす皆実の物語『夕凪の街』。もうひとつは、現代の東京に暮らす七波の物語『桜の国』である。被爆体験を忘れられない皆実と、父の行動から伯母の残した想いを知って行く七波のふたつの物語をつなぎ、様々な愛の形を描き出していく。監督は『チルソクの夏』『半落ち』『出口のない海』の佐々部清。出演は『暗いところで待ち合わせ』の田中麗奈、『カンゾー先生』の麻生久美子が過去と現代に生きる女性を熱演している。他にも吉沢悠、中越典子、堺正章といった若手個性派からベテランに至るまで、充実したキャストを配している。
原爆投下から13年後、昭和三十三年の広島。平野皆実(麻生久美子)は復興の進んだ街で母のフジミ(藤村志保)と暮らしていた。ある日、皆実は会社の同僚である打越(吉沢悠)からの愛の告白を受けるが、皆実には原爆で家族を失い、自分だけが生き残ったことが心に深い傷となって残っていた。父や妹のことが頭から離れず、自分だけが生き残ったことに負い目を感じてしまい、打越との幸せを心から受け入れられない。それでも打越は真摯に愛し、皆実も気持ちが動き始める。しかし突然、皆実の体に原爆症が現れはじめる。月日は流れ…平成十九年、夏の東京。石川七波(田中麗奈)は最近父親の旭(堺正章)が挙動不審であることを心配していた。ある夜、自転車で出かけていく旭を追っていくと、駅で切符を買い求めていた。その姿を見ていた七波は、小学校時代の同級生である東子(中越典子)と久々に再会し、二人はさらに旭の後を追う。電車から長距離バスへと乗り換えた旭の行く先は広島だった。七波は旭の立ち寄る土地や会う人々を遠目から見ているうちに、亡くなった祖母のフジミや叔母の皆実へ思いをめぐらせる。また、東子は七波の弟である凪生(金井勇太)と交際しており、両親からは被爆者の末裔であることを理由に関係を反対されていた。旭と共に自らのルーツと向き合う七波、原爆がもたらしたものをその目で見つめていく東子。二人は広島で、平和の尊さや生きることの喜び、様々な愛情の形を確かめていく。
昭和20年8月6日、たまたまその時代、その日、その時間、広島のその場所にいたために原爆に遭遇した人々は、人生を大きく変えられてしまった。佐々部清監督は原爆が投下された広島で、生き残った主人公と三世代に渡るその家族の姿を真正面から捉えている。本作は前半“夕凪の街”と後半“桜の国”と2部構成となっており、前半では麻生久美子が演じる被爆した主人公が投下から13年後に原爆症で命を落として逝くまでを静粛に…そして、静かな怒りを持って描いている。ここで映し出される広島は復興が進み、人々の生活も一見平和を取り戻しつつあるかのように見える。街ではOLたちが夏物の洋服に心躍らせる姿が見られ、人間の生命力は凄いなぁと感心したのも束の間…主人公が銭湯で湯に浸かっているシーンで頭を殴られたかのような衝撃を受ける。湯船に浸かっている主人公、始めは気がつかなかったのだが、カメラが主人公をグルリと回った時、彼女の肩にある大きなケロイドが映し出される。いや、それだけではない、主人公が洗い場で体を洗う女性たちを見ながら、“何かが違う…”と心の中でつぶやく。そう…洗い場にいる彼女たちの体(主人公も同様に)にも、服の上からでは分からない背中や腰、脚に被爆した時に受けた痛々しいケロイドが広がっているのだ。ここは、街の復興という衣の中に隠れている広島の過去が露出する場面だ。黒木和男監督の『父と暮せば』の主人公もそうだったのだが、生き延びた人々は“生き残った事に罪悪感”に似た思いを抱いて生きている。この主人公もそうした人間の一人だ。やがて主人公は、原爆症が発症して静かに息絶えていく。原爆投下のあの日の恐怖から少しずつ立ち直りかけた頃に突然襲って来る“死”の恐怖。死の淵で主人公が心の中でつぶやく言葉が、最大の怒りを持った皮肉として原爆を作り、そして投下した人間(言わずもがなアメリカだが…)に向けて発せられる。正に、この言葉こそ未だに「戦争を早く終結するために必要だった」と明言している国民に聞かせてやりたいと思った。「なぁ、うれしい?13年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て“やった!また一人殺せた”って、ちゃんと思うてくれとる?」この言葉を現代の日本人も、もう一度反芻すべきである。同じ日本人でも広島や長崎に暮す人々と他府県の人間では原爆に対する知識も思いも大きな差がある事は哀しい事だし恥ずべき事だ。それが、現在も続いている…と、いう事を後半の“桜の国”で描かれている。田中麗奈演じる前半の主人公の姪が、広島に向かう父の姿と、被爆者の子供であることから結婚を反対されている弟の姿を見ながら、日本人の中にも根強く残っている被爆者に対する差別意識を浮き彫りにする。今の日本人の殆どが原爆に対する知識や認識は彼女と同等であり、それは恐ろしい事であることを肝に命じておかなくてはならない。
「生きとってくれて、ありがとうな…」自分は原爆が落とされた時に死ねば良かったのだろうか?と生き残った事に罪悪感を感じている主人公に、恋人が優しく語りかける言葉だ。
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