なごり雪 あるいは、五十歳の悲歌
行き惑う季節にいるあなたに。二十八年前のあの頃は、今、何を語り掛けるのか。
2002年 カラー ビスタサイズ 111min P・S・C、TOSエンタープライズ、大映
製作 大林恭子、工藤秀明、山本洋 監督、編集 大林宣彦 脚本 南柱根 原案、音楽 伊勢正三
撮影 加藤雄大 照明 西表灯光 美術 竹内公一 音楽 學草太郎、山下康介 録音 内田誠
編集 内田純子 衣装 千代田圭介 プロデューサー 山崎輝道、福田勝 音楽プロデューサー 加藤明代
出演 三浦友和、須藤温子、ベンガル、細山田隆人、反田孝幸、宝生舞、左時枝、長澤まさみ
津島恵子、日高真弓、田中幸太朗、斎藤梨沙、小野恒芳、大谷孝子、広瀬大亮、山本佳奈、前田麻子
「尾道映画」から「臼杵映画」へ。「大林映画」の新たな旅立ちとなった本作。大林恭子プロデューサーが、尾道映画『転校生』の初心に戻るという意思を込めて製作したのが本作『なごり雪』だ。古く良い美しさが残る町、大分県臼杵市でオールロケを敢行し、次回作『22歳の別れ』でもロケ地として選んでいる。高度経済成長期においてセメント工場の企業誘致を市民運動で阻止し、「開発という名の破壊」から古里の緑を守り抜いた人々の息吹が息づく町を古里・尾道を中心に二十五年に渡る「町守り」映画を続けて来た大林宣彦監督が一目で気に入ったのは言うまでもない。フォークソングの金字塔とも言える主題歌の“なごり雪”は臼杵の隣町・津久見の出身者である伊勢正三が駅のホームで夢想した物語を綴ったものである。主演には大林映画初となる三浦友和、その親友に常連のベンガルが扮し、共に映画の製作中に五十歳を迎え、作品のテーマをリアルに体現している。若き出演者たちには、若き日の主人公に細山田隆人、反田孝幸が扮し、ヒロイン雪子に1枚の写真だけで決定したという須藤温子が瑞々しい演技を披露している。その他に『あした』から大林組の常連となった宝生舞、デビュー間もない長澤まさみも花を添えている。
2001年初秋、東京。妻・とし子に三行半を突きつけられた日、梶村祐作(三浦友和)はかつての親友・水田(ベンガル)から彼の妻である雪子(須藤温子)が意識不明の重体であることを聞かされ、28年振りに故郷の臼杵に向かった。彼の脳裡に、青春時代の出来事が蘇る。祐作を一途に想い続けた雪子。彼女の気持ちを知りながらそれに応えられず、しかも東京の大学で知り合った恋人・とし子(宝生舞)を伴って帰省し彼女を傷つけた自分。そんな祐作に代わって雪子を守り、結婚した水田。そして雪子と最後に会った日、雪子が失恋に悲観して剃刀で自殺を図ったと思っていた祐作は、実は彼女が枕の中から白いビーズを取り出し、それを雪に見立てて降らそうとしたのだと気づく。雪など滅多に降らない温暖な町で、雪が降ったら奇蹟が起こると信じていた雪子は、それに叶わぬ願いをかけようとしたのだ。雪子が亡くなった。葬儀に出席した祐作は、薄っぺらな人生を送ってきた自分を反省し、残りの人生を一生懸命生きて行こうと心に誓い、東京へ帰って行くのであった。
尾道と決別した大林宣彦監督は、新しい舞台に大分県にある小さな田舎町白杵市を選んだ。タイトルとなっている『なごり雪』は伊勢正三の言わずと知れた名曲(イルカが歌っている方が馴染み深いだろうか)。歌詞には“東京で見る雪はこれが最後ねと…♪”とあるのに何故大分県?と疑問を抱く。てっきり池上線や小田急線あたりの東京郊外の駅を想像していた人も多かったのではなかろうか?しかし、大林監督は歌詞に書かれた駅は都内には存在しないと諦めて、逆に雪が降りそうにもない南国九州に歌詞の面影を寄せた。伊勢正三も隣町・津久見の出身だから、歌詞の中に浮かんでいた郷里はあながち遠くないはずだ。時代に取り残されたような町ではなく、敢えて時代の流れに乗る事を拒んだ町。それが白杵市の印象である。大林監督は尾道を舞台にした“尾道三部作”(新尾道三部作と共に)を「町守りの映画」として作ったのに対して、本作を「待ち残しの映画だ」と語っている。実に美しい響きだ。古い物を壊さずに良い活かし方が見つかるまで維持して待ち続ける(今ならばエコロジーだ)…こうした町に優しい精神が本作にも溢れているのだ。
ちなみに、本作に対する評価が二分しているのも事実としてある。セリフの言い回しだったりシナリオそのものに対して厳しい意見が述べられている。確かに伊勢正三の歌詞を無理に脚色しているために実写ドラマとしては不自然に映ったのも理解できる。しかし、大林監督の狙いはリアルな描写ではなく、名曲“なごり雪”の歌詞が持つ美しい言葉(語韻)を最大限に表現するところにあった。そのためにはセリフの演技を排除して、和歌や短歌を詠む如く俳優たちに語らせたのだ。言い換えればメロディーの無いミュージカルみたいなものだ。だからこそ、あらゆる世代の登場人物たちから発せられる言葉が美しいのだ。事実、大林監督は本作の撮影に入る前に過去の場面を画質(セピア調にするなど)で変えるといったよく使われるギミックを用いず、俳優たちのセリフの表現だけで再現しようと試みたと語っている。大林監督は本作で“美しい日本語”を再認識してもらうのが狙いだったそうだ。言葉を大切にする本作のオープニングは伊勢正三がギターの弾き語りで歌う“なごり雪”から始まる。そして、田舎の山間部を走る列車から見た線路の光景がインサートされる。危篤状態に陥っているかつての恋人を訪ねるため久しぶりに故郷へ戻ってきた三浦友和演じる主人公の現在のモノローグと高校時代の回想で物語は綴られる。オープニングから中盤に至ったところで、従来の大林作品にあったような画面のオプチカル処理が一切無いことに気づく。前述したように回想シーンをセピアにするギミックを使用しないという決め事に近いが、臼杵という街をそのままの姿で大林監督は見せようとしていたのかも知れない。その分、照明部はかなり苦労したと推測されるが…。
主人公が50歳を越えて、“死”を意識するようになった現在。まだ将来の夢に向かって日々を過ごしていた学生時代。年齢による静と動を時間軸で表現しつつ、田舎と都会の横軸でも静と動を表しているのが大林監督の職人技だと感じた。東京から主人公について来た大学の友人を演じた宝生舞演じるとし子は田舎の風景に無節操にはしゃぐ。田舎町で静かに暮らす須藤温子演じる雪子と対称的に、はちきれんばかりの快活さが余りにもギラギラ眩しすぎる。時間の流れが目まぐるしい昨今、もう一度“守るべき物”を考え直してみる分岐点にきているのではないだろうか?
「五十という歳は人の生よりも死の方が信じやすいものらしい」三浦友和が言うセリフに大きくうなずいた人は多いのではなかろうか?
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