廃市
お姉さんあきらめなさい。そんなに隠れんぼばかりできないわよ…
1984年 カラー スタンダードサイズ 105min ATG
製作 佐々木史朗、大林恭子 プロデューサー 森岡道夫、多賀祥介 監督、企画、編集、作曲 大林宣彦
原作 福永武彦 脚本 内藤誠、桂千穂 撮影 阪本善尚 美術 薩谷和夫 照明 稲村和己 録音 林昌平
出演 小林聡美、山下規介、根岸季衣、峰岸徹、入江若葉、尾美としのり、林成年、入江たか子
古びた運河の町のある旧家を舞台に、そこを訪れた青年の一夏の出来事を描く。福永武彦が昭和35年に新潮社から発表した短編集“廃市”を『転校生』『時をかける少女』で尾道ブームを巻き起こしたヒットメーカー大林宣彦監督が映画化。九州・福岡県にある運河の街、柳川市を舞台にわずか2週間のロケーション撮影で完成させた大林監督の私的映画である。5千万円という低予算で制作された本作に参加したメインのスタッフや俳優たちは全て興行収入に対する歩合でギャランティーで引き受けており、予算削減のために強行なスケジュールで進行され、ロケ地となる柳川の市民がボランティアで参加されている。また、フィルムは16ミリで撮りあげており、結果的には撮影監督・阪本善尚による16ミリの風合いが作品のイメージに合った雰囲気を醸し出す事に成功していた。大林監督が18歳の時に出会った福永の長編“草の花”に惹かれて以来、ずっと映画化を熱望していながらも、映画化を全て断られてきた福永は決して首を縦に振らなかったという。福永の死後、福永夫人が大林監督の構想を理解してようやく実現の運びとなったのだ。脚本は桂千穂と内藤誠による協同執筆で完成し、撮影は大林監督とずっとコンビを組んできた阪本善尚が担当している。主演は『転校生』でハツラツとした演技を披露した小林聡美が一転して影のある少女を熱演(本来は本作が“さびしんぼう”となる予定で、大林監督と小林聡美の間で出演の取り決めが成されていたという)している。また、彼女のお姉さん役に根岸季衣が扮するなど意外なキャスティングが注目を集めた。
江口(山下規介)は大学生の頃、卒論を書くために、一夏をある古びた運河の町で過ごした。江口が親戚から紹介された宿泊先、貝原家を訪れると出迎えたのはまだ少女の面影を残す娘・安子(小林聡美)だった。その夜、寝つかれぬまま彼は、波の音、櫓の音、そして女のすすり泣きを耳にする。次の日、江口は安子の祖母・志乃(入江若葉)に紹介されるが、一緒に暮らしているはずの安子の姉・郁代(根岸季衣)は姿を見せない。ある日、貝原家から農業学校に通っている青年・三郎(尾美としのり)の漕ぐ舟で江口は安子と出かけた。町がすっかり気に入ったという彼に、「この町はもう死んでいるのよ」といつも快活な安子が、暗い微笑を浮かべるのだった。その帰り、江口は郁代の夫・直之(峰岸徹)を紹介された。ある日、母親の墓参りに出かけるという安子に付き合った江口は、その寺で郁代に出会う。安子の話だと、郁代が寺に移ってから直之も他に家を持ち、秀という女と暮らしているとのことだった。そして八月の末、ある事件が起こった。直之が秀と心中をはかったのだ。通夜の席で、郁代は直之が愛していたのは安子だったことを知る。二人を幸福にしてやりたいから、尼寺に入るつもりで寺に入ったと告げる。しかし、安子は兄さんは姉さんを愛していたというのだった。郁代は「あんたが好いとったのは誰やった?」と泣きくずれる。夏も終わりに近づき、卒論を仕上げた江口は、安子と三郎に見送られて列車に乗り込んだ。別れ際、三郎の言葉で江口は安子を愛していたことに気づくが、今ではもうおそかった。
ATG作品では異例といえる全国メジャー系列館において大ヒットを記録した『転校生』。そして当時、飛ぶ鳥も落とす勢いだった角川映画の代表作となった『時をかける少女』と立て続けにヒットを連発した大林宣彦監督の次作『廃市』を観た時、どうしてこんな自主製作のような小規模の映画を作ったのだろう?と疑問を抱いた反面「この監督はただ者じゃない!」と思った記憶がある。ヒットメーカーとして全国に名を広めた監督の次回作となれば、制作費もたくさんついた大作に着手すると思うのが普通だ。全編を16ミリフィルムで撮影したため画質は粗く、コントラストも不安だったりするのだが、それが廃市と呼ばれる福岡県柳川の持つイメージにピッタリなのだ。まるで夏休みにおじいちゃんの田舎に遊びに行った時、仏間に飾ってある昔の写真に怖さを感じた…あの感覚に似ている。線香とカビ臭い畳の匂いが感じられる映像って初めて(未だに他の作品でお目にかかった事がない)だ。16ミリでの撮影は、デビュー作から様々な映像手法にチャレンジし続ける大林監督らしい選択だと思う。
日本の土着的な体質を描いた作品で、大林宣彦が音楽を手掛けた『本陣殺人事件』も同じような世界観だったのは単なる偶然だろうか。思えば、大林監督の作品には、こうした泥臭い部分が見え隠れしている。余所者が踏み込めない因習というものが地方の田舎町にはあるものだが、本作の舞台となる幾重にも運河が交差する柳川という町も主人公にとって桃源郷のような異空間として描かれていた。主人公の大学生・江口が宿泊する旅館に着くと時計が止まり、町を出て行く時にまた動き出すというのも、そういう意味を含んでいるのだろう。川沿いにある古い旅館という妖しさもそうなのだが、その旅館で暮らしている小林聡美演じる聡明な現代っ子・安子の存在が周囲の環境と余りにもかけ離れているのが町の閉塞感を増長させる。時が止まったかのような古い旅館の中で、たった一人だけが時を刻んでいる彼女の不自然さ…彼女が水路を行き来するのは、現世と異空間を渡り歩いているかのように観客の目に映る。柳川は、日本のベニスと呼ばれているほど町の中を大小何本もの運河が入り組んで流れている福岡県に実在する美しい水郷の町だ。確かに、余所者にとって、日常の生活に溶け込んでいる運河の水面が幻想的にであり、一度は住んでみたいと思うような町だ。スーツ姿のサラリーマンが竿で舟を操る船頭と共に運河を渡って行く光景は至ってシュールだ。何故か筆者は溝口健二監督の名作『雨月物語』を思い出してしまった。中でも印象的なのは、祭の夜、川に面した舞台(舟舞台というらしい)で繰り広げられる歌舞伎を何十隻もの提灯灯りに照らされた舟を浮かべて観劇するシーンは幻想的で美しいことだ。
劇中、江口に対して安子が町について「この町はもう死んでいて、いずれは完全になくなる」と述べるシーンがある。タイトルとなっている『廃市』を表現した印象的なセリフだが、この退廃的に感じる言葉は北原白秋が郷里である柳川を呼んだところから原作者の福永武彦は引用している。決して自身の作品を映像化するのを良しとしなかった福永は自分の「文学」が映像化によって「文芸」になってしまう事を嫌ったためだ。大林監督と脚本を手掛けた桂千穂は言葉をかなり大事にされたのではなかろうか…?流れる歌のような文体が特徴的な福永文学のイメージをそのままに、セリフとしては現実味から遠い言い回しが見られる。しかし、それが逆に水の流れる音と相まって幻想的なムードを醸し出していたのは間違いない。
「聞こえるでしょう?この音。町が死んでいく音なのよ」安子が街を流れる運河のせせらぎを聞きながら江口に言うセリフ。何とも物悲しい地方都市にありがちな若者の言葉だ。
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